1988年以降の盛り返しから黄金時代へ
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「デポルティーボ・ラ・コルーニャ」の記事における「1988年以降の盛り返しから黄金時代へ」の解説
1988年夏には弁護士で政治家であるアウグスト・セサル・レンドイロが会長に就任した。この時点で借金は600万ペセタまで積み重なり、15シーズンもプリメーラ・ディビシオンから遠ざかり、財政面やスポーツ面での問題からクラブ施設を建設することができなかったが、かつてデポルティーボで選手や監督として在籍したアルセニオ・イグレシアスが再び監督に就任し、1988-89シーズンのコパ・デル・レイでは準決勝に進出した(レアル・バリャドリードに敗れた)。1989-90シーズンはリーグ戦で快進撃を続け、昇格プレーオフに出場したが、CDテネリフェに敗れて昇格は果たせなかった。1990-91シーズンはリーグ戦を2位で終え、18年ぶりにプリメーラ・ディビシオン昇格を果たすと、クラブの財政状況は改善に向かい、特に若手グループからの社会的な支援が増加した。久々のトップリーグ参戦となった1991-92シーズンは下位に低迷し、残留プレーオフを戦うことになったが、2試合のプレーオフでレアル・ベティスに勝利して残留を果たした。イグレシアス監督は4期に渡ってデポルティーボの監督を務め、ルイス・レカルテ、パコ・リアーニョ、クラウディオ・バラガン、ホセ・ルイス・リベラ、アドルフォ・アルダーナ、ドナトなど強豪クラブ在籍経験のあるベテラン選手たちと若手のフラン(地元出身)、ベベット、マウロ・シルバ(いずれもブラジル出身)らを組み合わせてチームレベルを引き上げた。1992-93シーズンはシーズンを通じて上位につけ、最終的にレアル・マドリードとFCバルセロナの2強に次ぐ3位となってクラブ史上初の欧州カップ戦(UEFAカップ)出場権を獲得した。このシーズンにはベベットが得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、リアーニョがサモラ賞のタイトルを獲得した。リアソールで行われたレアル・マドリード戦は前半を終えて0-2であったが、後半に3得点して逆転した。レアル・マドリード相手に2009-10シーズンまで18シーズンも続いたリアソールでの不敗記録の始まりであった。 1993-94シーズン、リーグ戦ではシーズンを通じて首位を維持したまま最終節を迎えた。中位に低迷していたバレンシアCFとの対戦となった最終節に勝利すれば自動的に優勝が決まるはずであったが、試合終了間際にミロスラヴ・ジュキッチがPKを外すなどして引き分けに終わり、FCバルセロナに逆転を許した。なお、勝ち点1差から最終節に逆転したFCバルセロナは、バレンシアCFの選手に勝利ボーナスを提示したとして非難された。リーグ戦初優勝は逃したものの、リアーニョは2シーズン連続でサモラ賞を受賞し、初めて出場した欧州カップ戦(UEFAカップ)ではオールボーBKやアストン・ヴィラFCを倒してベスト16となったため、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}サポーターは1993-94シーズンが記憶に残るシーズンであったと認識している[要出典]。1994-95シーズン開幕当初、イグレシアス監督は同シーズン終了後の退任を示唆していたが、2シーズン連続でリーグ戦2位という好成績を残した。同シーズンのUEFAカップでは再びドイツのボルシア・ドルトムントに敗北を喫したが、コパ・デル・レイでは快進撃を続けてクラブ史上初めて決勝に進出した。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたバレンシアCFとの決勝は、1-1で迎えた83分に暴風雨の影響で中断され、3日後に83分から開始されることとなったが、この試合でアルフレド・サンタエレーナがヘディングシュートを決めてクラブ初のメジャータイトルを獲得した。 1998年夏にハビエル・イルレタ監督が就任すると、チームはスペイン屈指の戦術家であるイルレタ監督によって徹底的に鍛え上げられ、1999-00シーズンにはリーガ・エスパニョーラ制覇を達成。このシーズンのチームはブラジル代表のジャウミーニャとマウロ・シルバ、スペイン代表のフラン、オランダ代表のロイ・マカーイなどが主力選手であり、FCバルセロナとバレンシアCFに勝ち点5差を付けて優勝した。ア・コルーニャは人口約20万人程度の町であり、リーガを制したことのあるクラブの本拠地の中でもっとも人口の少ない町であった。1992-93シーズンから2003-04シーズンまでの12シーズンの間に、リーグ戦で4度2位となり、さらに4度3位となった。そしてUEFAチャンピオンズリーグには2000-01シーズンの初出場から5シーズン連続で出場し、2003-04シーズンには準決勝に到達した。イングランドのアーセナルFCやマンチェスター・ユナイテッドFC、イタリアのユヴェントスFCやACミラン、ドイツのバイエルン・ミュンヘンなど、多くの強豪クラブがデポルティーボに敗れているが、特にユヴェントスFCとは短期間に頻繁に対戦して数々の名勝負を繰り広げ、対戦成績は3勝4分1敗と勝ち越している。この黄金期のチームは「スーペル・デポル」(Super Depor)と呼ばれた。
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