柄沢晃弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/31 09:23 UTC 版)
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       からさわ あきひろ
       柄沢 晃弘 | 
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| プロフィール | |
| 出身地 |   | 
    
| 生年月日 | 1961年9月3日(61歳) | 
| 血液型 | O型 | 
| 最終学歴 | 青山学院大学文学部 | 
| 勤務局 | WOWOWアナウンサー | 
| 職歴 | TBSアナウンサー(1984年 - 1991年) | 
| 活動期間 | 1984年 - | 
| ジャンル | スポーツ実況 | 
| 公式サイト | プロフィール | 
| 出演番組・活動 | |
| 出演中 | サッカー中継 など | 
| 出演経歴 | 野球中継 など | 
柄沢 晃弘(からさわ あきひろ、1961年9月3日[1][2] - )は、日本のアナウンサー。
来歴・人物
神奈川県出身[3][4]。血液型O型[4]。青山学院大学文学部卒業[5][6]。1984年4月、TBS[注釈 1]へアナウンサー第21期生として入社(同期は椎野茂)[7][8]。就職活動時には他によみうりテレビの試験も受けていた[9]。入社後は、主にスポーツ中継を担当[10][11]。1987年6月には、TBS初のヨットレース実況中継として「相模湾オープン・ヨット・レース」を担当した。1991年9月に退社[10][11]。
その後は、アメリカに留学[12]。留学中に当時アナウンサーを探していたWOWOWから誘いを受け、1992年にWOWOWへ入社。以後、主にサッカー中継を中心にスポーツ実況を担当している。熱心なバルセロナファンであり、時にバルセロナに偏った実況になってしまうことがあるが、それもまた個性として認知されている。
1998年には中田英寿のセリエAデビュー戦の実況を担当した[9]。
2017年春の人事異動で編成局編成部シニア・エグゼクティブ・アナウンサーへ昇格となった[13]。
WOWOW勤務の傍ら、民放労連のアナウンス研修会で講師を務めることもある[14]。また、2009年には早稲田セミナー専任講師に就任し、アナウンサー講座を担当していた[15]。
現在の担当番組
- サッカー中継(実況・いずれもWOWOW)
 
過去の担当番組
TBS時代
- スポーツ中継(野球[10][11]、アイスホッケー[10][11]、バレーボール[10][11])
 - サンデースポーツ(ラジオ。1989年)[10][11]
 - JNNおはようニュース&スポーツ(テレビ。1985年)[10][11][20]
 - 加ト茶の史上最大の作戦(テレビ。1986年)[10][11]
 - ザ・ベストテン(テレビ。1989年)[11]
 - ナイスプレー!ライオンズ(テレビ)
 
WOWOW時代
- スポーツ中継 
    
- サッカー中継 セリエA(WOWOWスーパーサッカー)、ブンデスリーガ
 - ロードレース世界選手権中継
 
 
注釈
- ^ 2001年9月まではラジオテレビ兼営局だったが、その後ラジオ・テレビともに子会社として分社化された(ラジオは2001年10月に「TBSラジオ&コミュニケーションズ」へ、テレビは2009年4月に「TBSテレビ」へそれぞれ移行)。東京放送はテレビの分社とともに持株会社「東京放送ホールディングス(TBSHD)」となり、「TBS」の呼称もTBSテレビの略称として継承された。
 
出典
- ^ 「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁“柄沢 晃弘(24)”と表記。
 - ^ “WOWOWアナウンサー紹介 柄沢晃弘|WOWOWオンライン”. 2014年8月19日閲覧。 “生月日:9月3日”と明記。
 - ^ 「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁“神奈川県出身”
 - ^ a b “WOWOWアナウンサー紹介 柄沢晃弘|WOWOWオンライン”. 2014年8月19日閲覧。
 - ^ 「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁“青山学院大文卒”と明記。
 - ^ 出身大学は、WOWOW公式サイト内プロフィールにも明記。
 - ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"1984.4<21期生> 2人入社(男2) 柄沢晃弘 椎野茂"。
 - ^ 「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』、28-29頁。"84.4 <21期生>2人入社 柄沢 晃弘 椎野 茂"。
 - ^ a b “新・読書日記 2013_046 道浦俊彦time”. 讀賣テレビ放送 (2013年3月10日). 2014年8月19日閲覧。
 - ^ a b c d e f g h 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"柄沢晃弘[1991.9退社]『スポーツ中継(野球、アイスホッケー、バレーボール)』 R「サンデースポーツ(1989)」 TV「おはようニュース&スポーツ(1986)」「加ト茶の史上最大の作戦(1986)」"。
 - ^ a b c d e f g h i 「TBSアナウンサーの動き」(DVD-ROM & PDF)『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』、28-29頁。"柄沢 晃弘…[91.9 退社] 『スポーツ中継(野球、アイスホッケー、バレーボール)』 R「サンデースポーツ(89)」 TV「おはようニュース&スポーツ(86)」「加ト茶の史上最大の作戦(86)」「ザ・ベストテン(89)」 ☆87.6 初のヨットレース実況中継(相模湾オープン・ヨットレース)"。
 - ^ “世界最高峰の試合を言葉で彩る 柄沢晃弘(WOWOWアナウンサー) SOCCER KING” (2014年4月12日). 2014年8月19日閲覧。
 - ^ “WOWOW人事異動”. 2017年3月29日閲覧。
 - ^ “活動報告・1998年7月 民放労連”. 2014年8月19日閲覧。
 - ^ “アナウンサー講座 早稲田セミナー”. 2014年8月19日閲覧。
 - ^ 1996年大会からWOWOWで実況
 - ^ 2002-2003シーズン以来18年ぶりWOWOWで実況
 - ^ a b “「UEFAチャンピオンズリーグ」20-21シーズン WOWOWで決勝トーナメント全29試合独占生中継!|2021年1月14日”. WOWOW. 2021年2月16日閲覧。
 - ^ “帰ってきたCL中継にかける男たち”. 日刊スポーツ (2021年2月10日). 2021年2月15日閲覧。
 - ^ 「特集 保存版TV アナウンサーキャスター365人・大集合(下)スポーツ、ワイドショー、バラエティー編」『週刊読売 = The Yomiuri weekly』第44巻第43号、読売新聞社、1985年10月20日号、130頁“「おはようニュース&スポーツ」のスポーツ担当”という記述あり。
 
参考資料
- 『週刊読売』1985年10月20日号(読売新聞社発行)
 - 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。…国立国会図書館サーチの書誌情報
 - 各種外部リンク
 
関連項目
外部リンク
- WOWOW公式サイト内プロフィール
 - 柄沢晃弘 (@akihirokarasawa) - Instagram
 
- 柄沢晃弘のページへのリンク