1993年最終戦・FIM GP
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「原田哲也」の記事における「1993年最終戦・FIM GP」の解説
スペインのマドリッド郊外、ハラマサーキットで迎えた最終戦・FIM GPは、急遽代替開催としてカレンダーに組み込まれたにも関わらず、近年のシーズンにしては珍しく、客席が空席なく埋まるほどの大観衆の前で開催された。原田がタイトルを獲得するには、たとえこのレースで優勝しても、チーム・ピレリのカピロッシが4位以下にならなければタイトル獲得は成らないという非常に厳しい状況であった。カピロッシのマシンはホンダ・NSR250。対する原田のヤマハ・TZ250MはストレートスピードでNSRに後れを取っており、周囲はカピロッシ断然優位と見ていた。 序盤、レースはチェスターフィールド・アプリリアのジャン・フィリップ・ルジアが優位にレースを進め、単独トップに躍り出る。この年のルジアは非常に安定しており、ここまでリタイアはマシントラブルによるものだけであった。しかしルジアはフロントからスリップダウン、転倒によりリタイアとなってしまう。代わってトップに躍り出たのは同じくアプリリアのロリス・レジアーニ、2位にロスマンズ・カネモト・ホンダのマックス・ビアッジ、カピロッシと原田は3位のポジションを争っていた。原田の後ろを走っていればタイトル決定のカピロッシではあったが、カピロッシはそれをよしとせず、表彰台に上ってのタイトル獲得を目指していた。それでも原田は粘るカピロッシをかわし、3位に躍り出る。 原田にパスされたことで焦りを感じたカピロッシは、コースを大きくオーバーラン。転倒こそ免れたものの原田から大きく離されてしまう。だが、原田がタイトルを獲得するには優勝が必須であり、これだけではカピロッシの優位は動かない。原田は前を行くビアッジとレジアーニのトップ争いに加わり、まずビアッジをパス。さらにトップを行くレジアーニを捕らえ、トップに躍り出る。レジアーニもそう簡単に先行を許さず、一度は1コーナーで原田をパスするが、原田は2コーナーで再びレジアーニをパスして、そのまま後続を引き離しにかかる。レジアーニは原田を深追いすることはせず、2位キープに回る。最終ラップ、原田がコントロールラインをトップで通過。以下レジアーニ、ビアッジという順位で通過し、カピロッシはアルベルト・プーチにも抜かれ、5番手に後退する。原田はそのままリードを守り切ってシーズン通算4勝目を飾り、1度は遠ざかった世界チャンピオンをその手に引き寄せた。 この模様は、地上波ではテレビ大阪(TVO)の千年屋俊幸が、BS放送ではWOWOWの柄沢晃弘(解説・八代俊二)が現地から実況を担当し、日本のお茶の間にレースの模様を伝え、WOWOWの放送センター内では現地からの生中継で一部のファンに公開された。(このとき、TVOのブースとWOWOWのブースが隣同士だったため、WOWOWの音声に千年屋の音声が飛び込むハプニングも発生した) チェッカーを受けた後も原田はチャンピオンを獲得したことを知らず、大喜びするスタッフを見て「何でそんなに喜んでいるのかな?」と思い、ピットに帰って、ようやくチャンピオンになったことを知らされた。レース後の記者会見でも、「タイトルのことは頭になく、とにかくレースに勝つことだけに集中してました。ピットに帰って来て、みんなが大騒ぎしていて、タイトルが獲れたと聞いて驚いてます」と語った。 イタリアのプレスからは2位のレジアーニにも質問が向けられた。「君が原田を抑えれば、カピロッシがタイトルを獲れたではないか?」との質問に対し、レジアーニは「今日の原田はとても速かった。だから、今日の原田は誰にも抜けなかったんだ。」と語った。表彰台で、原田はドラマチックなレースに酔いしれた大観衆の歓声に迎えられた。大観衆は東洋から来た小さな若者を、スタンドが震えんばかりの「オーレ」の大合唱で迎えた。
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