1993年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1993年死刑確定囚の意味・解説 

1993年死刑確定囚(7人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1993年死刑確定囚(7人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)連合赤軍事件坂口弘1993年3月9日上告審判決への訂正申立対す棄却決定日) 1971年 - 1972年2月 1946年昭和21年11月12日生まれ2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在75歳)。共犯一部超法規的措置出国1982年6月18日東京地裁中野武男裁判長)で死刑判決を、1986年9月26日東京高裁山本茂裁判長)で控訴棄却判決受けた1993年2月19日最高裁第三小法廷坂上壽夫裁判長)で上告棄却判決第一審控訴審死刑判決支持)を受け、同判決への訂正申し立て1993年3月9日付で棄却されたため、坂口永田死刑植垣康博(元兵士)の懲役20年判決確定著書坂口弘歌稿』『あさま山荘1972』や歌集『常しへの道』『暗黒世紀』など。 連合赤軍事件永田洋子1993年3月9日上告審判決への訂正申立対す棄却決定日) 1971年 - 1972年2月 1945年昭和20年2月8日生まれ坂口共犯裁判経緯坂口同一)。脳腫瘍の手術後脳萎縮誤嚥性肺炎などを患い2011年2月5日多臓器不全のため東京拘置所内で死去65歳没)。死去時点再審請求中だった。著書十六墓標』『私生きてます』など多数山中湖連続殺人事件澤地和夫1993年7月7日 1984年10月11日1984年10月25日 1939年昭和14年4月15日生まれ。元警視庁警部1980年1月21年あまり勤務した警視庁退職し新宿大衆割烹店開店したが、経営悪化1983年8月には1億5,000万円夫妻抱えて閉店追い込まれ一攫千金狙って強盗殺人計画した1984年10月11日自分と同じく借金苦しんでいた仲間の男2人I・P両名それぞれ死刑無期懲役が確定)と共謀し東京都北区宝石商男性当時36歳)を山梨県南都留郡山中湖村別荘誘い出し絞殺現金指輪など6,000万円相当を奪い死体床下埋めた次いで同月25日、Iと共謀して埼玉県上尾市女性金融業者当時61歳)を土地をめぐる融資話で誘い出し浦和市(現:さいたま市浦和区)内を走行中の車内絞殺現金2,000万円指輪預金通帳などを奪い死体別荘床下埋めた刑事裁判では強盗殺人死体遺棄罪などに問われた。1987年10月30日東京地裁刑事第2部中山善房裁判長)は澤地・Iの両被告人死刑、P被告人無期懲役とする判決言い渡し東京高裁第9刑事部内藤丈夫裁判長)も1989年3月31日に3被告人控訴いずれも棄却する判決言い渡したその後澤地・Iの両被告人最高裁に上告していたが、1993年3月死刑執行3年4か月ぶりに再開されると、澤地はそれに対す抗議意図で、同年7月5日東京拘置所長に上告取下書を提出上告取下書は同月7日付で最高裁送付され同日付で第二小法廷大西勝也裁判長)によって受理されたため、死刑確定した。なお、共犯Iは1995年平成7年7月3日最高裁第二小法廷大西勝也裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定している。2007年10月から胃癌治療受けていたが完治せず延命治療拒否し2008年12月16日東京拘置所内で多臓器不全のため獄死69歳没・再審請求中)。公判中の1989年1月手記監獄日記 東京拘置所四季』(彩流社)を出版以後死刑確定後には『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年死刑囚仲間たち』(2006年3月彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚言い分』(2006年10月柘植書房新社)を刊行したほか、死後にも『殺意の時 元警察官死刑囚告白』(2010年4月彩流社)が刊行された。 今市4人殺傷事件藤波芳夫1993年10月4日 1981年3月29日 1931年昭和6年5月15日生まれ本籍地埼玉県鴻巣市逆川一丁目75番地1。栃木県今市市大室(現:日光市大室)で離婚した妻の実家押し入り親類男女2人刺殺した。1982年2月19日宇都宮地裁竹田裁判長)で死刑判決を受け、1987年11月11日東京高裁岡田満裁判長)で控訴棄却判決受けた1993年9月9日最高裁第一小法廷味村治裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑確定死刑確定後に「事件当時覚醒剤影響下にあり、飲酒によりフラッシュバック状態になって事件起こした」として、責任能力問題主張し再審請求していた。2006年12月25日東京拘置所死刑執行75歳没)。この年齢は同日処刑され秋山芳光(当時77歳とともにそれまで戦後最高齢とされていた古谷惣吉71歳3か月)を上回っている。2008年10月11日開催された「響かせあおう死刑廃止の声2008 死刑囚からあなたへ」では「死刑執行時は車椅子乗った状態から刑務官両脇抱えられ刑場に立たされた」とする死刑執行場面再現されているほか、『年報死刑廃止2007』には遺書全文掲載されている。 名古屋保険金殺人事件 (H) 1993年9月21日 1979年11月19日 - 1983年12月25日 1950年昭和25年11月3日生まれ旧姓T。経営していた板金塗装会社経営不振から、1979年11月知人共犯Iと共謀して知り合い織布工A(当時20歳)に生命保険(2,000万円)を掛け衣浦港愛知県知多郡武豊町)に突き落とし殺害した。さらに1983年1月にも雇っていた従業員B(同30歳)に生命保険(2,000万円)を掛けた上で京都府相楽郡加茂町内にて交通事故装って殺害したほか、同年12月には愛知県半田市内で金融業者C(当時39歳)を借金逃れのために殺害した1985年12月5日名古屋地裁刑事第2部鈴木雄八郎裁判長)で共犯Iとともに死刑判決を受け、1987年3月31日名古屋高裁刑事第1部山本卓裁判長)で控訴棄却判決受けた共犯Iは控訴審判決後上告せず、死刑確定自身1993年9月21日最高裁第三小法廷園部逸夫裁判長)で上告棄却判決(5裁判官全員一致)を受け死刑確定したが、裁判官大野正男が「死刑制度憲法違反とは断言できないが、合憲判断下した1948年大法廷判決以降死刑が「残虐な刑罰」(日本国憲法36違反)に当たると評価される余地著しく増大した死刑廃止向かいつつある国際的動向と、死刑制度存続支持する我が国民との意識とが大きな隔たり持ち続けることは好ましくない一定期間死刑執行法律実験的に停止し犯罪増加有無との相関関係調べるなどの立法的施策考えられる」と補足意見述べた死刑確定後には1997年11月2000年5月下旬2度にわたり恩赦出願をしたが、2度とも名古屋拘置所から「恩赦不相応」の告知なされた死刑確定した1993年および死刑確定後2000年には被害者Bの遺族母親・兄ら)が「Hを許すことはできないが、生きてこそ償いだ。死刑執行望まない」とする嘆願書収監先・名古屋拘置所宛に提出し後者死刑囚Hの弁護人2000年5月下旬提出した恩赦願い添えていた。Bの兄は2001年4月にも高村正彦法務大臣対し死刑執行中止などを訴えたが、森山眞弓法務大臣死刑執行命令により2001年12月27日名古屋拘置所死刑執行51歳没)。 北九州母娘殺傷事件 (M) 1993年11月16日 1990年3月12日 1950年昭和25年3月18日生まれ無期懲役刑受刑者仮釈放中に再犯した事件1993年10月27日福岡地裁小倉支部森田富人裁判長)で死刑判決を受け、弁護人控訴したが、1993年11月16日に自ら控訴取り下げたことで死刑確定したその後公判再開申し立てた棄却され2009年1月29日福岡拘置所死刑執行58歳没)。本事件死刑確定以降被害者1人殺人事件対す死刑確定1998年4月熊本大学生誘拐殺人事件)までなかった。 平取事件 (O) 1993年12月10日 1979年7月18日 1944年昭和19年1月19日生まれ日高振興局管内沙流郡平取町剥製業者一家4人を射殺した1984年3月23日札幌地裁安藤正博裁判長)で死刑判決を受け、1987年5月19日札幌高裁水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決1993年12月10日最高裁小野正男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定したが、1999年11月8日収監先・札幌拘置支所札幌刑務所隣接)で入浴中貸し出され剃刀で右頸部頸動脈)を切り自殺55歳没)。

※この「1993年死刑確定囚(7人)」の解説は、「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の解説の一部です。
「1993年死刑確定囚(7人)」を含む「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事については、「日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1993年死刑確定囚」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1993年死刑確定囚」の関連用語

1993年死刑確定囚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1993年死刑確定囚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本における死刑囚の一覧 (1970-1999) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS