大野正男とは? わかりやすく解説

大野正男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 17:22 UTC 版)

大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は日本の弁護士最高裁判所判事

東京府出身。小学生時代に大蔵官僚であった父大野龍太帝人事件で逮捕・起訴され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。

第一高等学校 (旧制)を経て、1951年東京大学法学部卒業。在学中は政治思想史丸山ゼミに所属[1]。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件砂川事件西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件芸大事件を担当した。

1993年4月に最高裁判事に就任。1997年9月に定年退官。

1999年、勲一等瑞宝章受章[2]

著書

  • 『裁判における判断と思想 判決分岐点の追究』日本評論社 1969
  • 『社会のなかの裁判』(岩波書店、1998年)
  • 『弁護士から裁判官へ-最高裁判事の生活と意見』(岩波書店、2000年)

共編著

  • 『条解改正公労法・地公労法』松岡三郎,内藤功共著 弘文堂 1957
  • 『フィクションとしての裁判 臨床法学講義』大岡昇平対談 朝日出版社・レクチャーブックス 1979
  • 『刑事裁判の光と陰 有罪率99%の意味するもの』渡部保夫共編 有斐閣 1989 人権ライブラリイ

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『60年安保のゼミ生、丸山氏囲み36年 活発に歩んだ「60年の会」』朝日新聞 1996年8月29日朝刊
  2. ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊

大野正男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:37 UTC 版)

ゴリラーマン」の記事における「大野正男」の解説

白武高校用務員学園錦鯉の飼育と考える人レプリカ像を磨くことに生きがい感じていた用務員。かつて「昭和三四郎」とも呼ばれた柔道スーパースター東京オリンピック代表候補で、出場すれば必ずアントン・へーシングを倒すとまで言われ実力者だったが、試合相手の首の骨を折ってしまい以後柔道の技を封印してきた(当然東京五輪には出場せず)。しかしあることが原因作中で技の封印を解く。作中ではかつての実力存分に発揮するかのごとく、柔道部員含め多く生徒彼の怒りを買い、投げられてしまい、実力は全く衰えていない。後半はやや大人げない性格になり、気に入った犬を飼うため、前の飼い主の子供を投げるなど、行動変わり真面目なキャラからコミカルなキャラ変貌名前の由来広島カープ大野豊

※この「大野正男」の解説は、「ゴリラーマン」の解説の一部です。
「大野正男」を含む「ゴリラーマン」の記事については、「ゴリラーマン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大野正男」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大野正男」の関連用語

大野正男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大野正男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大野正男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのゴリラーマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS