平取事件とは? わかりやすく解説

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平取事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 02:47 UTC 版)

平取事件(びらとりじけん)とは、1979年(昭和54年)7月18日北海道沙流郡平取町振内町で発生した殺人事件。男O(事件当時35歳)がライフル銃を発砲し幼児を含む一家4人を殺害した。

事件概要

事件当日夜、犯人Oは被害者宅を訪れ、被害者Aから買い入れた狐毛皮代金支払いの猶予を求めたが、Aが暴力団と関係があり、かつ厳しく詰めてきた上、Aに貸し出すためOが持参した22口径自動式ライフル銃をAがOの胸元で振り回したため恐怖感にかられ、ライフル銃を奪いAの頭部を1発撃ち、続けてAの妻B、Aの子C(当時2歳)それぞれの頭部を1発ずつ撃った。Oは2階に上がり、逃げようとしたAの子Dの頭部を1発撃った。その後、倒れた4人全員の頭部にAとBには2発ずつ、CとDには1発ずつ撃ち込み殺害した[1][2]

捜査

捜査本部は事件直後から犯人Oを被疑者の1人としていたが、物的証拠が無く捜査は難航する。1980年9月末、別事件の犯人の供述から、事件前にOがライフル銃の試射や密猟のために撃った薬莢・弾丸を発見し、犯行現場に残された物と同じ製品かつ、同じ銃から発射された物と特定。事件から1年4ヶ月後の1980年11月15日朝にOを逮捕した[3][4]

犯人Oはライフル銃を洞爺湖に捨てたと供述したが、警察の捜索では発見されなかった。

犯行に使われたのはウェザビー社製22口径自動式ライフル銃(22ロングライフル弾)とされている。事件当時既に22口径ライフル銃での狩猟は違法であったが、Oが密猟のため違法に所持していた。

裁判・獄死

凶器が見つかっておらず、現場にOが居た物的証拠も無いこと等から独自に弁護団が作られたが、被告人Oは裁判で供述を拒否し、1984年3月23日、札幌地方裁判所(安藤正博裁判長)にて死刑判決[5]

量刑不当で控訴するも、1987年5月19日、札幌高等裁判所(水谷富茂人裁判長)にて被告Oの控訴棄却の判決[6]

1993年12月10日、最高裁判所第三小法廷大野正男裁判長)にて被告Oの上告棄却の判決[1][7]。21日に死刑確定者(死刑囚)となった。

1999年11月8日午前9時半ごろ、収監先の札幌拘置支所の浴槽内にて、安全剃刀の刃を抜き取り右首の静脈と左手首を切り自殺した(55歳没)[8]

関連書籍

脚注

  1. ^ a b 最高裁判所判例集 事件番号 昭和62(あ)1062” (PDF). 裁判所. 2024年1月11日閲覧。
  2. ^ 『静かすぎる被告人』光文社、1985年11月1日 1985。 
  3. ^ 『読売新聞』1980年11月15日夕刊10頁「はく製業者逮捕 北海道の一家4人射殺事件 16か月ぶり解決」
  4. ^ 『朝日新聞』1980年11月15日東京版夕刊13頁「一家射殺犯を逮捕 はく製業者、銃から足」
  5. ^ 『朝日新聞』1984年3月23日東京版夕刊19頁「一家4人殺し「死刑」平取事件に札幌地裁判決 無罪論を退ける」
  6. ^ 『毎日新聞』1987年5月19日東京夕刊8頁「北海道の一家四人殺しの控訴を棄却」
  7. ^ 『毎日新聞』1993年12月11日東京朝刊23頁「上告を棄却、死刑確定 北海道の一家4人射殺」
  8. ^ 『毎日新聞』1999年11月9日東京朝刊26頁「「平取事件」の死刑囚が自殺 札幌拘置支所」



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