バーニー・エクレストンの参入とは? わかりやすく解説

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バーニー・エクレストン(TWP)の参入 (1992年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 08:16 UTC 版)

ロードレース世界選手権の沿革」の記事における「バーニー・エクレストン(TWP)の参入 (1992年)」の解説

1992年 - バーニー・エクレストンTWP社長)の参入 1992年にはFIM今まで保有していたロードレース世界選手権WGP)の権利をドルナ(DORNA)とバーニー・エクレストンTWP社長 - Two Wheel Promotions)に分割し同時にIRTAはすべてのチーム商業的なことを把握することになった。ドルナは5年間のテレビ放映権獲得した。これによりWGP実際権限FIMから離れエクレストンTWP)が掌握することになったエクレストンWGP4輪のF1のような大きな事業すべくWGP参入しレース運営手法としてF1方式導入する。これは旧態依然としたFIM体質である金銭的なことを重視しないアマチュア的な運営方式から、ライダーチームなどの活躍相応わしい報酬支払運営方式への転換であったエクレストン次のように語っている。「FIMが、ライダー要求気づくのが遅すぎた」(バーニー・エクレストン) しかし、エクレストンWGPファンには評判悪くドイツGPホッケンハイム)とオランダGP/ダッチTTアッセン)では、観客席に「エクレストン・ゴー・ホーム」(意訳エクレストン帰れ!」)と書かれた横断幕出たほどである。また、ドイツGP観客数例年12万人超から78千人にまで減少しグランド下部コース側は空席が目立つような状態であった。その原因一つ入場料高騰である。WGPレース主催者エクレストンTWP)に最低100万ドル支払なければならず、このことが入場料高騰原因考えられる当初FIMエクレストンTWP)に抵抗していたが、エクレストンTWP)とIRTAがFIM強く迫り始める。1990年にはライダーチーム大半がIRTAと契約を結び、FIMとは別の世界選手権開催する可能性が既に生じていた。 エクレストンTWP)がWGP運営を行うようになってからはFIM時代より情報公開度が下がったライダージャーナリストには把握できないこと確かめようのないことが増えた。それはWGPレース私企業TWPエクレストン)が営利目的興業として行うようになったためと推察される。 このようにエクレストンTWP)の参入によって負の面も出たが、良い面もあった。パドック含めサーキット環境改善ついては以前からライダージャーナリストたちがレース主催者要求しており、その間多く事故ライダーの死という多大な犠牲払ってきた。レースボイコットするなどの抗議行って長い年月をかけて少しずつサーキット環境改善されていったのだが、エクレストンTWP)の参入によって改善速度速まったのであるまた、IRTAはエクレストンTWP)と契約しエクレストンTWP)は各WGPレースごとにIRTAに100万ドル支払う。IRTAはその100万ドルを500ccクラス250ccクラス125ccクラスの各チーム分配し、各チームこの分配金とスポンサーからの契約金レース活動を行う。レース主催者との契約方式もF1方式となり、各レース主催者は各チーム契約結んでレース開催するが、この契約にはライダー関わらずライダーチーム契約するライダーWGP出場資格様変りした。1991年までFIM主導時代は、昨シーズンランキング20以内ライダー2年前のシーズンランキング5位までのライダー優先され、その次がヨーロッパ選手権ランキング6位までのライダー日本場合全日本ロードレース選手権チャンピオン、そしてその次がWGP開催国ライセンスを持つワイルドカードライダーである。しかし、1992年からは、各チーム契約するライダーならばどのようなライダーでもレギュラーライダーとしてWGP参戦できるようになったWGP出場するためのライセンス必要だが、昨シーズン以前成績などには左右されなくなったレース戦っていく上でチーム実力ライダー実力よりも、チーム資金力チームにつくスポンサー)やライダー資金力ライダー個人につくスポンサー)が重要になった。 1993年 - ケビン・シュワンツ 500ccクラスタイトル獲得、原田哲也 250ccクラスタイトル獲得、バーニー・エクレストンがWGPの商業的権利をドルナに売却 ケビン・シュワンツスズキRGV500)が500ccクラス世界チャンピオンになる。250ccクラスでは原田哲也ヤマハTZ250M)が世界チャンピオンになり、片山敬済1977年350ccクラス世界チャンピオン以来16年ぶりの日本人世界チャンピオン誕生である。詳細は「原田哲也#1993年」および「原田哲也#1993年最終戦・FIM GP」を参照 バーニー・エクレストンTWP)がロードレース世界選手権WGP)の商業的権利をドルナに売却した1994年 - ミック・ドゥーハン 500ccクラスタイトル獲得 500ccクラスミック・ドゥーハンホンダNSR500)が世界チャンピオンになる。ドゥーハンの500ccクラス5連覇始まりである。 1995年 - 1996年 - 1997年 - 1998年 - ミック・ドゥーハン 500ccクラスで5連覇 ミック・ドゥーハンホンダNSR500)が500ccクラスで5連覇達成する詳細は「マイケル・ドゥーハン#略歴」を参照 1999年 - アレックス・クリビーレ 500ccクラスタイトル獲得 アレックス・クリビーレホンダNSR500)が500ccクラス世界チャンピオンになり、ホンダマシン6年連続で500ccクラスのチャンピオンマシンとなった2000年 - スズキのマシンが7年ぶりに世界チャンピオンに ケニー・ロバーツ・ジュニアスズキRGV500を駆り、500ccクラス世界チャンピオンになる。 2001年 - 今シーズンを最後に500ccクラス廃止、ホンダが通算500勝を達成 2001年シーズン最後に500ccクラス廃止になる。来シーズンからは500ccクラスに代わってMotoGPクラスが始まる。スズキ2002年から4ストロークマシンでMotoGP参戦することを発表しカワサキ2003年からMotoGP参戦することを発表するホンダは第1戦日本GP鈴鹿)でロードレース世界選手権通算500勝を達成した記念すべき500勝目は、1997年125ccクラス世界チャンピオン1999年250ccクラス世界チャンピオンバレンティーノ・ロッシホンダNSR500)によってホンダに齎された。またロッシ今シーズンをもって廃止される500ccクラス世界タイトル獲得し、500ccクラス最後の世界チャンピオンとなった

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