東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故以後
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「双葉町」の記事における「東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故以後」の解説
2011年(平成23年)3月11日 - 午後2時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、町内で震度6強を観測し、午後3時30分頃には大津波を観測する。消防団の必死の救助活動も津波により死者・行方不明者併せて21名の被害を受けた。福島第一原子力発電所も津波の被害を受けたことから、同日夜に、発電所から半径3㎞圏内に避難指示、3〜10km圏内に屋内退避指示が出される。これは双葉町の大部分を占める面積である。これにより、翌朝から再開が予定されていた、津波被災地域の行方不明者の捜索が困難となる。 3月12日 - 午前5時44分、政府より福島第一原子力発電所半径20km圏内(町内全域)に避難指示。しかし、町はその避難指示を政府や関係省庁からでなく、マスコミ報道等により遅れて知ることとなる。町は川俣町に避難者の受け入れを要望し承諾を受け、午前7時30分に災害対策会議を開き午前7時40分から福島市方面(福島県伊達郡川俣町)に避難するよう防災無線等で数回にわたり住民に広報する。これにより、住民約2200人が川俣町へ避難した。町の要請を受け、川俣町長古川道郎、川俣町役場職員、地元住民らも自らも地震による被害が甚大ななか、川俣町を上げて、川俣小学校や川俣町体育館など複数の避難所を設置し、双葉町からの避難者は入浴や炊き出しなど多大な支援を受けた。双葉町役場も閉鎖され川俣町合宿所に災害対策本部を設置した。最大で当時の町の人口の半分以上の4000人超の町民が川俣町へ避難した。午前9時過ぎにベント開始。大熊町に立地する福島第一原子力発電所で、午後3時36分、1号機の原子炉建屋が水素爆発(福島第一原子力発電所事故)。 3月19日 - 原発事故の影響を受けて住民の避難が必至となり、40台のバスで約1200人の被災住民は役場の機能ともに埼玉県さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナへ集団避難したほか、住民によっては他の場所にも避難した。さいたまスーパーアリーナ内に「埼玉出張所」を設置。役場は避難者と一緒に生活し交代制で24時間体制で対応。(役場と住民の避難所が別れる同年9月頃まで続いた。) 3月30日 - 31日 - 役場の機能および避難住民が、埼玉県加須市にある廃校(旧 埼玉県立騎西高等学校)へ再移転・移動し、同所にある校舎を拠点とする。また、避難した小中学生は4月から移動先の学区の学校に転入する。 3月31日 - さいたまスーパーアリーナを避難所としての使用を終了し「埼玉出張所」を閉鎖。 4月1日 - 埼玉県加須市の旧埼玉県立騎西高等学校内に「双葉町埼玉支所」を福島県耶麻郡猪苗代町のホテルリステル猪苗代内に「双葉町猪苗代出張所」を開設。 4月4日 - ホテルリステル猪苗代に避難者の受入を開始。 4月8日 - 川俣町合宿所の災害対策本部を退去。 4月18日 - 福島県警が福島第一原子力発電所から10㎞圏内で双葉町内の捜索を開始。 4月21日 - 福島第一原子力発電所から半径20km圏内の警戒区域設定が決まる。翌日22日区域設定。町内全域が警戒区域となる。 4月25日 - 福島県警と警視庁の機動隊及び双葉地方広域市町村圏組合消防本部の隊員等が防護服をまとい福島第一原子力発電所から5㎞圏内で重機を使い本格的に双葉町内の地震や津波の行方不明者捜索を開始。 5月26日 - 警戒区域への町民の一時帰宅開始。 6月11日 - 警戒区域内(浜野地区)で双葉町慰霊祭を開催。 7月1日 - 福島県内の応急仮設住宅に住民の入居開始。 8月26日 - 福島第一原子力発電所から3km圏内の一時帰宅開始。 9月30日 - リステル猪苗代避難所を閉鎖。ピーク時には800人超が避難していた。役場職員は事務処理のためその後もしばらく滞在。 10月28日 - 福島県郡山市に「双葉町福島支所」を開設。 10月31日 - 旧騎西高避難所でのプライベートのない生活に次第に不満が高まる。町長は「できるだけ放射線の危険から、町民を離したい。安全が確認されるまでは(主な機能は)埼玉に」と主張するが、福島県内で避難生活を送る町民からは「われわれの安全はどう考えてくれるのか」との声があがる。 12月12日 - 茨城県つくば市に「つくば連絡所」を開設。 12月28日 - 細野豪志環境相兼原発事故担当相が福島第一原発事故による汚染廃棄物を受け入れる中間貯蔵施設を双葉郡内に整備する意向を佐藤雄平知事と地元首長に正式に伝達。 2012年(平成24年)4月1日 - いわき市南台応急仮設住宅に「いわき南台連絡所」を開設。 12月10日 - 双葉郡町村長から双葉地方町村会長の辞任要求を受けた町長井戸川克隆が辞任。新会長には広野町長山田基星が就いた。 12月20日 - 町議会が町長井戸川克隆の不信任決議を全会一致で可決。 12月26日 - 町長井戸川克隆が町議会を解散。 2013年(平成25年)1月5日 - 町長井戸川克隆は避難先の埼玉県加須市で行われた仕事始めの訓示で「目標を暫定的に30年後とする」との方針を示した。 1月23日 - 町長井戸川克隆が2月12日付けでの辞職を表明。 2月12日 - 町長井戸川克隆が辞職、副町長井上一芳が町長職務代理者となる。 3月10日 - 町長伊澤史朗が就任。 3月12日 - 町長伊澤史朗が初登庁するも前町長等から何も引継ぎをされないまま職務にあたる。 5月28日 - 警戒区域が解除され町域が「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」の2つに再編される。日中の立ち入りが許される「避難指示解除準備区域」に指定されたのは、町北東の沿岸部にある3地区(大字両竹・大字中野・大字中浜)、町の4%に過ぎず、残り96%の地域は「帰還困難区域」に指定されており、除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は一時帰宅を含めた町内への立ち入りが厳しく制限されている。 6月11日 - 町長伊澤史朗は旧騎西高避難所閉鎖に向け、福島県いわき市内に町民向けの集合住宅を新たに確保する方針を示した。「旧騎西高避難所の町民の約半数が埼玉県に残りたいと考えている」アンケート結果を県に報告した事を明らかにした。 6月17日 - 福島県いわき市内に町役場仮庁舎「いわき事務所」開所。役場機能が2年3ヶ月ぶりに県内に戻る。「双葉町福島支所」を「双葉町郡山支所」へ改称し、引き続き、主に会津、中通り方面の避難者支援のため設置。 7月19日 - 双葉町は埼玉県加須市の旧騎西高避難所を閉鎖する方針を固め、避難所の住民に移転先の希望を聞く調査を行った。 10月1日 - 「双葉町埼玉支所」を旧騎西高校から埼玉県加須市騎西総合支所内へ移転。 12月27日 - 旧騎西高校避難所の入所者全員が退所。 2014年(平成26年)3月27日 - 町は埼玉県加須市の旧騎西高校避難所を埼玉県に返還した。2013年12月に最後の住民が退去し、片付けと清掃が完了したため。町長伊澤史朗が埼玉県知事上田清司に謝意を伝え鍵を渡した。 5月7日 - 小学館の漫画誌『週刊ビッグコミックスピリッツ』に掲載された漫画「美味しんぼ」に、福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面があった問題で、町は小学館に抗議文を発送した。抗議文の内容は「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない」「風評被害を生じさせ、双葉町民と福島県民への差別が助長されると危惧している」というもの。 6月30日 - 福島県南相馬市に「南相馬連絡所」を開設。 8月24日 - 町が福島県いわき市錦町に建設を進めてきた、ふたば幼稚園、双葉南、双葉北両小、双葉中の仮設校舎が完成し、落成式が行われた。 9月14日 - 国道6号の町内の帰還困難区域の自由通行が可能となる。 11月7日 - 双葉町民向けに福島県が整備した県営の災害公営住宅、鉄筋コンクリート造り3階建て1棟(20戸)が福島県郡山市で完成。 2015年(平成27年)1月13日 - 1月14日、原発事故に伴う除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の受け入れを町長が提案し、町議会が了承。 3月25日 - 環境省双葉町の仮置き場から施設内にある一時保管場へ除染廃棄物の搬入を開始。 4月16日 - 双葉町教育委員会と筑波大学が、双葉町が保有する東日本大震災の資料をホームページ「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」で公開。 5月20日 - 環境省による本格除染が始まる。 2016年(平成28年)3月1日 - 個人番号カードの発行開始に伴い、住民票を町に置いたまま遠方に避難している住民が多いことから、同カードを利用したコンビニエンスストア等に設置されている マルチコピー機から住民票の写し等を交付できるサービスを開始。 11月3日 - 埼玉県加須市と友好都市盟約を締結。 11月15日 - 中間貯蔵施設の本体工事に着手。 2017年(平成29年)3月22日 - 双葉町復興整備協議会を設立。 5月1日 - 4月29日に落雷により浪江町井出地区の国有林で発生した山林火災が双葉町石熊地区にも延焼。これにより浪江町の対策本部へ双葉町も合流し合同対策本部を設置、町職員を交代で情報収集や自衛隊及び消防隊の後方支援のため現地に派遣。放射線量が高く人の立ち入りが禁止されている帰還困難区域内での消火活動は、自衛隊や宮城県などの隣県のヘリによる消火活動に加えて、自衛隊員や消防隊員等が、連日、早朝から日没まで十万山の登山口などから高線量の山林の中の火元まで行き消火活動を行なった。5月6日鎮圧、5月10日鎮火。この火災の焼失面積約75haのうち双葉町の焼失面積は約53ha。鎮火まで動員した人数は述べ6385人。これは、平成以降福島県内最大規模の山林火災である。 2018年(平成30年)2月13日 - 双葉町ふれあい広場が中野地区から国道6号沿いに移転。 5月9日 - 双葉町農地保全組合を設立。 6月1日 - 町営墓地「寺内前霊園」を設置し募集開始。 12月25日 - 原発事故による帰還困難区域を抱える町村の協議会が設立され同協議会へ加わる。 2019年(平成31年/令和元年)3月28日 - 復興まちづくり推進のため、一般社団法人ふたばプロジェクトが設立。 2020年(令和2年)3月4日 - 避難指示解除準備区域および、JR常磐線双葉駅周辺の帰還困難区域の避難指示を解除。帰還困難区域の解除はこれが初めて。この区域の解除により、同日、双葉町内に「双葉町役場コミュニティーセンター連絡所」を開所。双葉町民が双葉町内で住民票の写しなどの各種証明書の交付を受けるという当たり前のことが9年ぶりに可能となる。 3月7日 - 常磐自動車道常磐双葉ICが整備され同日15時から開通。 3月14日 - 常磐線双葉駅が、富岡駅 - 浪江駅間の復旧(常磐線全線復旧)に伴い、営業再開。 9月20日 - 東日本大震災・原子力災害伝承館が開業。 10月1日 - 双葉町産業交流センター(F-BICC)が開所。 10月25日 - 町内で東日本大震災後初めて前田稲荷神社に女宝財踊りが奉納される。 12月10日 - 国道288号の山田〜前田間の通行止めが解除され一般車両の通行が可能となり全線再開。これにより双葉町(国道6号)〜郡山市(国道4号)間が9年9ヶ月ぶりに迂回せずに通行可能になる。 2021年(令和3年)1月9日 - 新型コロナウィルスの影響で双葉町ダルマ市は中止となったが、有志により東日本大震災後初めて町内で双葉ダルマを販売。 2月2日 - 町内での交通死亡事故ゼロの期間が6000日を達成。 3月11日 - 町内で東日本大震災後初めて東日本大震災双葉町追悼式が挙行される。 3月25日 - JR常磐線双葉駅前広場において東京2020オリンピック・パラリンピック聖火リレーが行われる。 5月1日 - 町内での成人式を東日本大震災後では初めて開催。新成人62人のうち避難先から19人が出席。 5月19日 - 町内で東日本大震災後初めて水稲試験栽培として田植えが行われる。町内での田植えは11年ぶり。 8月8日 - 東日本大震災の津波で流出した中野八幡神社の竣工祭が行われる。 9月5日 - 特定復興再生拠点区域内の農地で野菜の作付け実証を開始。 9月22日 - 町内で東日本大震災後初めて稲刈りが行われる。町内での稲刈りは11年ぶり。 11月15日 - 双葉町役場仮庁舎の起工式が行われる。 2022年(令和4年)1月8日-1月9日 - 昨年中止となった双葉町ダルマ市がいわき市勿来町の復興公営住宅で開かれる。町は令和4年中の帰還開始を目標としているため、いわき市で双葉町ダルマ市が開かれるのはこれが最後になる見通し。 1月20日 - 帰還に向けた準備宿泊が開始される。 5月12日-6月4日 - 避難指示解除に向けた住民説明会を開催する。
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