東北楽天ゴールデンイーグルス監督とは? わかりやすく解説

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東北楽天ゴールデンイーグルス監督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:29 UTC 版)

野村克也」の記事における「東北楽天ゴールデンイーグルス監督」の解説

2005年9月楽天は「チーム再構築が必要」という理由から初代監督田尾安志就任1年足らず解任。この時、野村楽天側から非公式監督就任打診受けていたものの、契約条件巨人自由契約になった清原和博獲得問題など難航した。だが、10月3日社会人日本選手権最後にシダックス監督退任するとともに楽天監督就任要請正式に受諾5年ぶりにプロ野球界に復帰することとなった3年契約)。日本のプロ野球において70歳代で監督となったのは仰木彬次いで史上2人目。 監督就任際し野村は「このおじいちゃん監督要請が来ること自体プロ野球後継者育っていないことを意味している」とコメントしている。1年間監督続け仰木の持つ最年長監督記録更新した。「三木谷浩史清原ファンみたいだね。オレ知らないけど、三木谷が獲りにいくでしょうピアス代表されるように、精神構造乱れている。チーム統制乱れるので、指揮官としてやりにくい」と改め難色示しコーチ人事伊勢孝夫八重樫幸雄川崎憲次郎の名前が候補挙がっていたが、川崎投手コーチ要請をしたが断られ自身人脈連れて行ったのは池山隆寛けだった2006年5月11日セ・パ交流戦の対横浜戦において、8回裏谷中真二投じた付近への死球危険球みなされ退場処分になったことに激昂し木内九二生球審突こうとするなどして猛抗議。あわや野村退場処分になるところだった。5月16日フルスタ宮城行われたヤクルト戦では、ヤクルト率い古田監督との師弟対決実現した結果は、10-9ヤクルト勝利)。以後この師弟対決5回戦まで全てヤクルト勝っていたが、雨天中止予備日6月19日)に回され6回戦4-2で勝ち、ヤクルト交流戦単独優勝可能性消滅させた。 かつては自軍選手本塁打打ってベンチ座ったまま出てこようとはしなかったが、ベンチから出て選手ハイタッチ出迎えようになった。相変わらず毒舌も度々飛び出す一方記者質問ジョーク返したりユーモア交えて回答するようになったホームゲームでは毎試合終了後記者囲み取材に応じており、テレビスポーツニュースでは野村試合後のコメント伝えられた。特に田中将大登板した日のコメントは「マー君神の子不思議な子」や「不思議の国のマー君」などと残しており、スポーツ紙などでは名物コーナーとして、「野村語録」が常設されようになった育成方針基本的に叩いて伸ばすタイプだが、楽天時代には活躍した選手や、進歩見られる選手に対して素直に感謝賞賛の言葉を贈るなど、以前とは違った面を見せ始めたカツノリ同年戦力外通告されたのを機に現役引退しコーチ転身した2006年前年続き最下位終わり飯田徳治別当薫根本陸夫近藤昭仁次いで史上5人目の両リーグ最下位監督になった。公式シーズン後11月)に行われた日米野球監督務めたが、選手出場辞退が相次ぎ苦戦史上初めメジャーリーグ選抜チームに5戦全敗72年ぶりの記録となった2006年11月23日開催され楽天ファン感謝祭において、「来年は私の野球人生のすべてを賭ける。Aクラス入れないようなら辞めて次の人に譲ります。いくら東北ファン粘り強いと言っても、(新規参入から)3年連続裏切った許してくれないでしょう」と、翌年成績自分進退賭ける旨の決意表明をした。このことは球団側も聞かされておらず、米田純球団代表も突然の事態困惑していた。野村就任当初から「作る年、戦う年、勝つ年」と3年かけてチーム作る方針語ってきたが、2007年3年契約2年目であり「戦う年」にあたる。監督自らが提唱する計画反するため、本当に辞めるつもりだったのか、それとも辞めるくらいの決意で戦うというリップサービスであったのかは定かでないまた、球団側は2007年シーズン終了してもまだ契約残っていることを強調したため、翌年成績如何にかかわらず慰留する方針であると考えられていた。11月26日行われた球団納会において島田亨球団社長から前述発言再考撤回求められたが拒否した11月28日行われた楽天経営諮問委員会出席しその場三木谷浩史オーナー東北財界者にAクラス入りを果たすまでは辞任しない欲しいと長期政権望まれた。しかし「成績悪ければ進退伺提出するのが通例来季自分野球生命賭ける」と今までと同じ姿勢を崩さなかった。 2007年シーズン新人含め若手選手積極的に起用する場面目立った投手陣では一場靖弘岩隈久志らがシーズン序盤離脱した影響もあり、永井怜田中将大らを先発ローテーション起用捕手育成兼ねてルーキー嶋基宏多用。またシーズン中盤には渡辺直人草野大輔らが台頭した後半戦開始間もなく福盛和男離脱するものの小山伸一郎リリーフエースとして起用一場と岩隈が一軍復帰したこともあり先発ローテーション再編それまで主に先発だった山村宏樹有銘兼久永井らをリリーフ転向させた。さらに4番張る山崎武司38歳での本塁打王打点王二冠に輝く大活躍もあり、シーズン最終成績は4位で創設3年目初め最下位脱出した2007年10月4日3年契約最後の年である2008年予定通り監督続けることを表明2008年6月29日ソフトバンク戦球団史最多20安打猛攻15点奪い大勝。この日は73歳誕生日で、7年ぶりの誕生日白星となり、選手達が用意した帽子型ケーキ祝福された。7月5日、対西武戦西武ドーム)では「ライオンズ・クラシック企画一環として当時1963年)の日本記録である野村52本塁打達成舞台となった西鉄ライオンズ南海ホークス戦を再現するイベントが行われた(この試合では豊田泰光(元西鉄)が始球式行い野村捕手務めた)。 同年7月15日日本ハム東京ドーム)戦で監督として通算3,000試合出場達成選手としても通算3,017試合出場しており、日米ともに前例のない選手・監督両方での通算3,000試合出場達成したこの年序盤球団初の単独首位になるものの交流戦後半から失速かろうじて最終戦勝利して最下位脱出したものの5位に終わる。2007年はうって変わり得失点差プラスとなり、エース岩隈久志21勝を挙げて復活するなど戦力整備進んだものの、順位には反映されなかった。同年シーズン以って3年契約終了去就注目されたが、球団から戦力整備評価され1年契約での続投要請を受ける。野村自身もそれを受諾し2009年引き続き楽天指揮することになったが、ドミンゴ・グスマンホセ・フェルナンデス(中村紀洋FA獲得)が退団2009年シーズン開幕から投手陣中心に怪我人続出した。特にドラフト獲得した新人投手全員オープン戦前に故障してしまい、片山博視青山浩二といった期待若手キャンプ出遅れた上、前年活躍した新守護神川岸強開幕後すぐに体を傷めるなど、投手に関して就任以来災厄見舞われた。さらに野手に関しても、高須洋介リック・ショートなどが故障シーズン中長期間戦線離脱するなど怪我人の多い年となったスポーツ紙での解説者順位予想では楽天軒並み下位予想され野村はこれに対して下馬評が低いからやりやすい」とコメントレギュラーシーズン開幕するチーム初の開幕4連勝で好スタート見せ4月首位終える。しかし、怪我人続出した5月以降調子落とし交流戦では最大6連敗喫し7月には3年ぶりの8連敗一時は5位にまで後退するが、8月入り最大6連勝含め通算17勝7敗。9月以降好調維持し9月12日ソフトバンク戦ヤフードーム)でチーム初のクライマックスシリーズ(以下「CS」)進出マジックナンバー19」が点灯2度消滅するが、10月3日の対西武戦Kスタ宮城)で勝利しチーム初のCS進出決まった9日オリックス戦2位確定しCS1ステージ地元開催獲得する楽天球団として創設後初のAクラス入りとなり、野村自身キャリアでもヤクルト最後に優勝した1997年以来8シーズンぶりであった翌々日11日Kスタ宮城行われたレギュラーシーズン最終戦ソフトバンク戦終了後球団から契約更新しない旨を告げられ同年シーズン限りでの退任決定した16日開幕したCS1ステージではソフトバンクに2連勝し第2ステージ進出決めたが、21日開幕第2ステージでは日本ハムに1勝4敗を喫し日本シリーズ出場はならず日本ハムCS優勝セレモニーの後、楽天日本ハム両軍選手コーチ胴上げされた。日本ハム敗れた10月24日野村にとって現役監督通じてユニフォーム着てグラウンドに姿を見せた最後の日となった11月2日楽天の新監督広島の前監督マーティ・ブラウン就任発表されるとともに一度拒否姿勢見せていた名誉監督就任要請受諾したこの年をもって現場からも完全に引退することとなった退任決定の際に「人生疲れたクビと言われ、どっと疲れ出てきた」と語った。さらに「ユニホーム姿もいよいよ秒読みだが、やっぱりオレは『元南海』がいい」とも口にした。2009年が、ユニフォーム着た指揮官として最後の年となった

※この「東北楽天ゴールデンイーグルス監督」の解説は、「野村克也」の解説の一部です。
「東北楽天ゴールデンイーグルス監督」を含む「野村克也」の記事については、「野村克也」の概要を参照ください。

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