オリックス・バファローズ監督勇退、そして逝去
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「仰木彬」の記事における「オリックス・バファローズ監督勇退、そして逝去」の解説
監督退任後は体調が悪化して入院したが、死期が迫った2005年12月、医師に「20日にイチローと食事の約束をしている。それまでは生きさせてくれ」と訴えたという。オフに仰木の誘いで巨人から移籍加入した清原和博とも、「この間食事したところでまた食事しましょう」と清原が誘ったところ、「あの店は食べきれないから今度は店を変えよう」と約束していたという。 監督退任2ヶ月後の12月15日午後4時10分、肺がんによる呼吸不全のため、福岡県福岡市内の病院で死去した。70歳没。法名は「仰崇院釋耀彬」。 仰木の死去の報に接し、同い年でこの年オフに東北楽天ゴールデンイーグルス監督に就任した野村克也は「もう一度監督としてアイツと戦いたかった…」とコメントするなど、死を悼む声は球界だけでなく各方面からも数多く寄せられた。 葬儀は仰木の遺志により密葬にて営まれたが、お別れの会にあたる「天国に送る会」が、2006年1月21日午前11時からスカイマークスタジアムで行われた。神戸市でのお別れの会となった為、西鉄時代のチームメイトである稲尾和久らが発起人となり、故郷の福岡県中間市でも、神戸での会に日時を合わせた「天国に送る会」が行われた。
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