日本政府等の対応
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「福島第一原子力発電所事故」の記事における「日本政府等の対応」の解説
福島第一原発の吉田昌郎所長は11日15時42分頃、全交流電源喪失状態になったことから原子力災害対策特別措置法第10条に該当すると判断し、同条に基づく通報を東電本店を介して原子力安全・保安院等へ行った。これを受けて、経済産業省は原子力災害警戒本部を設置。内閣総理大臣官邸では、16時36分頃に官邸対策室が設置された。さらに、16時36分頃、東京電力は非常用炉心冷却装置による注水ができなくなる虞があると判断し、16時45分頃、同法15条に基づき原子力緊急事態に該当する旨を原子力安全・保安院へ通報した。政府は19時03分、原子力緊急事態宣言を出して総理官邸に原子力災害対策本部を設置するとともに、19時45分から内閣官房長官枝野幸男が記者会見で発表した。 福島県は11日20時50分、福島第一原発から半径2 km以内に避難指示を出した。政府は、今後想定されるベントに備え、21時23分、第一原発から3 km以内に避難指示、3 - 10 km圏内に屋内退避指示を出した。 12日未明、東京電力からのベント作業実施の申し出に対して、官邸は許可を出した。12日3時06分頃から海江田経産大臣らが東電との共同記者会見を行い、1号機・2号機でベントを行うことを発表した。また5時44分に、ベントの実施作業が遅れた場合に対応するため、避難指示対象を半径10 kmに拡大した。しかし官邸は、ベントがなかなか開始されないことに不満を募らせ、6時50分頃、経済産業大臣海江田万里が原子炉等規制法に基づきベント実施を命令した。さらに、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に平行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、12日7時11分、菅がカメラマンらと共に事故現場に到着した。しかし、操作マニュアルが電源喪失を想定しておらず、現場が混乱したことなどから、ベント操作が首相の到着する段階になっても開始することができず、菅が現場にて説明を求めた。 1号機建屋の水素爆発の後、政府は12日18時25分、第一原発から20 km以内へ避難指示を出した。 事故発生直後から、東電本店ではテレビ会議システムを第一原発と繋いで情報を共有していた。一方、政府への報告は総理官邸にいた東電幹部が携帯電話で情報を入手して行っていたため、伝達が遅れ気味で情報も限られていた。そのため、13日午前、東電本店から総理官邸に専用のFAXやパソコンを持ち込んで設置して情報伝達が改善された。 3月15日午前3時、東京電力社長清水正孝から経済産業大臣海江田万里へ事故現場からの作業員撤退の意向の申し出があったが、大臣に拒否され、内閣官房長官枝野幸男に再び申し出があった。午前4時17分に清水社長を官邸に呼び真意を聞いたが今後の対応を明言しなかった。午前5時35分、首相の菅直人は東京電力本店に乗り込み勝俣恒久代表取締役会長ら約200人が出迎えるなか、菅首相は「撤退などあり得ない」と迫った。なお、清水社長は当時を振り返り、直接作業に係わらない者達の退避の意向であった、また東京電力は2011年9月8日の記者会見で社長が振り返った内容であったと認識しているとした。 「撤退」を巡る行き違いを受け、菅総理大臣は東電との情報共有を迅速化するため、15日朝に東電本店に乗り込んだその場で、政府と東電が一体となった福島原子力発電所事故対策統合本部を東電本店に設置すると宣言した。以後、政府の事故対応はこの統合本部で進められた。 住民に対する安定ヨウ素剤配付の遅れ 原子力安全委員会が事故発生3日後の3月14日、体内被曝(ひばく)をした場合に健康被害を防ぐ効果がある安定ヨウ素剤を住民に服用させるべきとする助言をしたのに対し、首相の菅直人が本部長を務める政府の原子力災害対策本部は、対応しなかった(同事務局では受けた記録がないとしている)。その後、原子力安全委の助言をもとに政府の原子力災害現地対策本部長が16日に、福島県や関係市町村に住民への安定ヨウ素剤の投与を要請したが事故から4日以上後となった。 厚生労働省は、急遽、食品と水道水を含めた飲み物の被曝許容量の暫定基準値を決定して発表。人体の被曝許容量の暫定基準値を年間20 mSvと定めた。 2011年5月6日 - 当事故の影響で菅直人首相は海江田万里経済産業大臣を通じて、中部電力に対して、東海地震の発生予想率を基に、静岡県の浜岡原発の運転を中長期的に対策が立てられるまでの間、全て停止するように求め、5月9日、中部電力は政府の要請に従って、浜岡原発を停止させた。 2011年5月24日 - 原因を究明するための調査・検証を行うため、内閣官房に東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の設置が閣議決定され、6月7日初会合が行われた。 2011年6月22日 - 原子力安全委員会は、当事故を重く見て、原子力発電設備の安全の基準となる『安全設計審査指針』と『耐震設計審査指針』の抜本改正に着手した。班目春樹委員長は改定には2 - 3年掛かると述べた。 2011年6月、海江田万里経済産業大臣(当時)は東京電力が求めていた当事故の汚染水流出を防ぐ遮水壁設置の先送りについて、「中長期的課題」とすることを条件に容認した。 2012年1月27日 - 野田内閣は菅内閣が東日本大震災に関する15組織のうち10組織が議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表。公文書等の管理に関する法律に照らしても不適切ともされた。野田佳彦首相は午前の参議院本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は国民への説明責任を果たすため極めて重要。」と答弁した。岡田克也副総理(公文書管理担当大臣)は5組織出席者から聞き取り調査の上、2月中に議事概要の作成を関係閣僚に求めた。3月9日初めて公表され、原子力災害対策本部と政府・東電統合対策室の各議事録概要は12月までで合計約1400ページ、3月分は100ページ未満であった。当時の内閣官房長官枝野幸男は3月9日の記者会見で「有事の際は録音し混乱のなかでも事後的な記録作成に役立つように備えるべきだった」と述べている。 2013年8月8日 - 経済産業省認可の国際廃炉研究開発機構(理事長・山名元)発足。
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日本政府等の対応
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「北朝鮮によるミサイル発射実験 (2017年8月)」の記事における「日本政府等の対応」の解説
日本政府は日本時間6時2分(発射から約4分後)、「北朝鮮西岸から東北地方の方向にミサイルが発射された模様」との情報を全国瞬時警報システム(Jアラート)で伝達した。伝達対象地域は北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県の1道11県にのぼった。6時14分、ミサイルがこれらの地域上空を通過したとの情報をJアラートで伝達した。6時16分、エムネットが「6時6分ごろ北海道地方から太平洋へ通過した模様」と伝え、さらに6時29分、エムネットが「ミサイルは3つに分離し、6時12分ごろ、襟裳岬東方の太平洋上に落下したとみられる」と伝えた。 安倍晋三総理は29日朝、総理官邸で記者団に対して「北朝鮮が弾道ミサイルを発射し、わが国の上空を通過したもようだ。直ちに情報収集と分析を行う。国民の生命をしっかり守っていくために万全を期す」と発言した。 同日、外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が、ジョセフ・ユンアメリカ合衆国国務省北朝鮮担当特別代表及び金烘均大韓民国外交部朝鮮半島平和交渉本部長と電話会談し、3国間で連携し、断固した措置をとることで一致した。30日には、金杉局長がウランバートルで開催された日米モンゴル協議及び日本モンゴル外交・防衛・安全保障当局間協議に出席し、北朝鮮に対する懸念の共有を行った。 原子力規制委員会はミサイル発射による原子力施設の異常などはないと緊急発表した。
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