年寄襲名以後
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現役引退と共に年寄・竹縄を襲名し、春日野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たる。2003年に先代の春日野(元横綱・栃ノ海)が定年を迎えたことにより年寄・春日野を襲名すると共に春日野部屋を継承した。部屋創設以来3代続けて師匠が元横綱であったのに対して自身は最高位が関脇であったが部屋継承への引け目は無く、寧ろ「"弱者"というか、三役にとどまった者だからこそできる指導もある」「99%の力士は天才ではない」という考えに基づき自信をもって現在まで指導している。 部屋の稽古は厳しく、土俵上の稽古は待ったなしで進むスピーディーなものである。これについて春日野は2017年5月の書籍で「ウチは出稽古をしない方針ですから、他の部屋のことは分からないですけど、待ったなしというのは当たり前じゃないですか。本場所で取り直しになってバテているようじゃ力士じゃない。番付の下の頃から、こなせるだけの体力を養っておかないといけない。裸一貫、自分の体が武器。それが力士の美しさでもあるんですから」と話している。 育成面では基本に忠実な押し相撲を指導していることで知られており、子飼いの関取として関脇・栃煌山、大関・栃ノ心などを始めとした気鋭を輩出している。また、元久島海が師匠を務めていた旧田子ノ浦部屋からの預かり弟子である碧山も移籍後に関脇に昇進している。一方で春日野自身が「大関・横綱を狙える」「栃錦襲名も視野に入れている」と見込むような大器とされた幕内・栃乃若が技術指導を巡る意見の相違や期待に応えられない自責などから引退を決意するなど苦難も経験した。 本名の清隆の由来となった入門時の師匠である先々代の春日野(元横綱・栃錦)と年寄名が全く同じ『春日野清隆』となった。これは、高砂浦五郎のように氏名の継承を伴うことのない名跡では珍しいが、これは栃乃和歌の祖母が栃錦の大ファンで、孫に栃錦と同じ名前をつけたためである。春日野襲名時は畏れ多いからと改名も考えたが、先代(元横綱・栃ノ海)の助言もあって本名で通すことになった。 2011年4月、竹縄を襲名したばかりの弟子の春日錦を中心とした大相撲八百長問題が発覚し、責任を取る形で委員から主任へ降格された。 同年2011年10月18日、同月14日に春日野部屋で、門限を破り、相撲協会の服装規定を破り私服姿で外出した幕内・栃ノ心、幕下・栃飛龍と栃矢鋪が春日野親方から腹や背中や臀部を素手やゴルフクラブのグリップで叩かれ、頭を拳で殴るなどの暴行容疑が浮上し、同月17日、事情を知った関係者が所轄の警視庁本所警察署に通報。同署は春日野と力士から事情聴取をした。同日、生活指導部の二所ノ関部長は春日野親方を両国国技館に呼び事情聴取。ゴルフクラブでの殴打など指導の行き過ぎに対し厳重注意した。一連の報道を受けて春日野本人が取材に応じ、「弟子に対する躾のためであった」と暴行の事実を認め、「自分では問題ないと思っていた。道具を使ったのはやり過ぎた」「アイアンで殴った。確かにやりすぎた部分があったことは反省しています。ただし、死ぬほどのことはしていない。弟子とは親子関係だと思っているし、愛情がある」「弟子を集め自分がやり過ぎたことをしたと謝った」と話した。力士3人とは既に和解済みであるという。春日野部屋でグリップが折れたアイアンが見つかっているが、尻などを叩いた際に、長さ調整のために補強していた部分が折れたという。暴力を受けた3人はいずれも「自分たちが悪かった。被害届は出さない」などと説明。3人に怪我はなく、本所警察署は傷害事件などの立件はしない見通し。本人は既に日本相撲協会に経緯を説明しており、19日に臨時開催された理事会では行き過ぎた指導に対し、春日野は厳重注意処分となった。「理事会には寛大な処置を頂いたと思う。弟子たちにはもうげんこつは入れないと言いました」と語った。2012年3月場所中には預かり弟子の碧山が支度部屋の壁を叩いて穴を開ける騒動が起こり、先述の栃ノ心の門限破り騒動もあったことから一時期春日野は「もう外国人力士は受け入れない」と心を閉ざしていたという。 2014年5月場所、7月場所は右足を負傷した出羽海に代わり、勝負審判を務めた。 2016年1月場所後の日本相撲協会理事選挙に初めて出馬し当選。3月場所後の職務分掌では理事1期目ながら広報部長に抜擢され協会執行部入りした。2017年1月25日、協会の臨時理事会で横綱昇進が決定した稀勢の里への昇進伝達の使者として、高田川)と共に東京都内のホテルに派遣され、昇進を伝えた。また、2022年1月26日の御嶽海の大関昇進の伝達式でも、同門の大鳴戸審判委員と共に出羽海部屋へ派遣されている。 2018年1月場所、直弟子の栃ノ心が14勝1敗で初の幕内優勝及び平幕優勝となった。これは、春日野部屋としては、初代栃東以来、46年ぶりの優勝力士となった。2017年3月場所前に郷土の仁坂吉伸和歌山県知事を訪問したことで、仮谷志良知事時代の1998年に始まり、大阪場所の優勝力士に贈られてきた「和歌山県知事賞」が2018年3月場所より16年ぶりに復活。内容は、県特産品の保田紙で作成した賞状と賞金、優勝杯として根来塗大盃。副賞はプレミア和歌山の果物から「味一みかん」「あら川の桃」「新秋柿」を贈る。 2018年4月4日、舞鶴巡業で多々見良三舞鶴市長が土俵上で昏倒し、女性の医療関係者(医師・看護師)らから救命措置を受けた。この際に「なぜ女性が土俵に上がっているんだ」と一部の観客に指摘され動揺した若手行司が「女性は土俵に上がらないでください」という不適切なアナウンスを行ってしまった。即刻、市長が昏倒する際の様子やアナウンス時を撮影した動画がTwitterや動画投稿サイトにアップされ、日本相撲協会と巡業部長である春日野に非難が集まった。「当初トイレに行っておりその場にいなかった」と春日野は話していたが、土俵後方に控えている姿を撮影した画像もインターネット上に拡散された。その後に「花籠副部長(元関脇・太寿山)が土俵近くにいたのを確認した」と当初の発言を撤回したうえで「直前まで移動や幕内の取組を見に行く準備をしていた。担架で運ばれる時は付き添った」と、トイレを含めて会場裏にいた際に市長が倒れたと説明している。この春日野の一連の発言に関して、尾車事業部長は「今日(7日)春日野部長が話したことが全てではないか」との見解を示した。 2020年1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、春日野を含む理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。同年3月23日の評議員会で、正式に理事として選任された。 2022年2月4日、協会は春日野が新型コロナウイルスに感染したと発表。
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年寄襲名以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:20 UTC 版)
現役引退から10か月を経た2016年5月29日に、両国国技館で断髪式が開かれた。元小結・旭鷲山や元横綱・朝青龍などが駆け付け、先代大島や伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)、横綱・白鵬など、関取衆ら約400人がはさみを入れ、最後は先代大島の見守る前で、友綱親方が止めばさみを入れた。涙ながらに断髪を終えた大島親方は「これで本当に、お相撲さんとして卒業だな」としみじみ話した。モンゴル勢の隆盛の礎を築いたことには「結果的に、我々が行ったから(日本に)来やすくなったのは事実。頑張りは本人たち。そこにたまたま、自分が最初にいた。ついてる男だなと思う」と述べた。現役時の一番の思い出には、37歳8カ月で史上最年長での初優勝を果たした2012年5月場所を挙げ「やっぱり優勝がなかったら、レジェンドとか呼ばれることもなかったと思う」と振り返った。 2017年6月12日に10代友綱が定年を迎えることから、同年5月場所終了後に年寄名跡を交換し11代友綱を襲名、友綱部屋もそのまま継承することが決定。外国出身力士では4人目、モンゴル出身力士では初の師匠となる。そして6月11日を以て10代友綱との名跡交換を行い、11代友綱として部屋の師匠に就き、同日には東京都墨田区内のホテルで襲名披露パーティーも行った。13日、師匠が代替わりして初の稽古を部屋で行った。午前7時半から約2時間半、先代師匠の大島も見守る中、魁聖らが稽古。新たな船出に勝手が違うのか、友綱は「いつも(上がり座敷の)端っこに座ってたから違和感があるね」と、何度も稽古場を歩きながら力士に声をかけた。一家で同居するのは8月からで「(師匠を)実感するのはそれから」。新弟子のしこ名に「鵬」の字を付けて、旭天鵬を名乗りたい力士には「こだわらない」と、寛容な姿勢も示した。 2020年12月10日には同郷のモンゴル出身の横綱・鶴竜が帰化を果たしたことに対して「素直にうれしいし、良かった。国籍を変えることは複雑で難しいこともある。覚悟もいる。だけど頑張っていけばみんな理解してくれる。これで心もすっきりして相撲が取れると思う」とコメント。 2022年2月1日付で5代大島(10代友綱)と名跡を再交換し6代大島となり、それに伴って友綱部屋から名称変更される形で大島部屋を再興した。 4月16日、協会は6代大島が新型コロナウイルス感染を発表した。
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