年少の公達との最初の衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:43 UTC 版)
「ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ」の記事における「年少の公達との最初の衝突」の解説
ヴワディスワフ2世と継母サロメア及び彼女の産んだ異母弟達との対立は1141年から本格化した。サロメアが大公の許しを受けず、知らせることもなしに自分の息子達に寡婦領のウェンチツァを分け与えようとしたためだった。これに関して、彼女は息子達に強力な同盟者を見つけるため、末娘アグニェシュカの婿選びを始めた。条件に最も相応しい婿候補は、キエフ大公フセヴォロド2世だった。ウェンチツァで起きていることを知ると、ヴワディスワフ2世はこれに応酬するため、キエフと弟達との協定を全て破棄させたばかりか、フセヴォロド2世の娘ズヴェニスラヴァと自分の長男ボレスワフの縁組を成立させた。2人の結婚式は翌1142年に執り行われた。 ヴワディスワフ2世とキエフ・ルーシとの同盟は、1142年から1143年にかけての弟との領土をめぐる争いで彼を優位に立たせた。ヴワディスワフ2世はルーシ、ボヘミア、ローマ帝国との同盟を背景に、弟達に対して圧倒的な勝利を収めた。
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