年少時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:20 UTC 版)
「ジュゼッペ・ヴェルディ」の記事における「年少時」の解説
ヴェルディは、父カルロ・ジュゼッペ・ヴェルディと母ルイジア・ウッティーニの間に初めての子供として生まれ、後に妹も生まれた。生誕地はブッセート近郊の小村レ・ロンコーレ村(英語版)だが、ここはパルマ公国を併合したフランス第一帝政のタロ地区(英語版)に組み込まれていた。彼はカトリック教会で洗礼を受け、ヨセフ・フォルトゥニヌス・フランシスクス (Joseph Fortuninus Franciscus) のラテン名を受けた。登録簿には10月11日付け記録に「昨日生まれた」とあるが、当時の教会歴の日付は日没で変更されていたため、誕生日は9日と10日のいずれの可能性もある。翌々日の木曜日、父は3マイル離れたブッセートの町で新生児の名前をジョセフ・フォルテュナン・フランソワ (Joseph Fortunin François) と申請し、吏員はフランス語で記録した。「こうしてヴェルディは、偶然にもフランス市民として誕生することになった」 カルロは農業以外にも小売や宿、郵便取り扱いなどを行い、珍しく読み書きもできる人物だった。ヴェルディも父の仕事を手伝う利発な少年だった。だが彼は早くも音楽に興味を覚え、旅回りの楽団や村の聖ミケーレ教会のパイプオルガンを熱心に聴いた。8歳の時、両親は中古のスピネットを買い与えると、少年は熱中して一日中これに向かった。請われて演奏法を教えた教会のオルガン弾きバイストロッキは、やがて小さな弟子が自分の腕前を上回ったことを悟り、時に自分に代わってパイプオルガンを演奏させた。やがて評判は広がり、カルロと商取引で関係があった音楽好きの商人アントーニオ・バレッツィ(イタリア語版)の耳にも届いた。バレッツィの助言を受けたカルロは、息子の才能を伸ばそうとブッセートで学ばせることを決断した。
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