本田実と倉敷天文台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:27 UTC 版)
1941年(昭和16年)、鳥取県出身のアマチュア天文家である本田実が倉敷天文台の主事に就任し、彗星12個、新星11個を発見した(1981年からは観測の中心を賀陽町(現・吉備中央町)に開設した星尋山荘に移行した)。 本田は年少時から、山本一清(前出)の指導を受けた。京大の日食観測隊に参加、山本一清が開設した黄道光観測所(広島県沼隈都瀬戸村=現福山市)の観測員となり、そののちに倉敷天文台員となった。倉敷天文台で半世紀にわたり、彗星捜索など観測に従事した。 本田の死後(1990年)、天文台の存続が心配された。市の中心部にあり、光害がひどくなるなど、観測環境は悪化していたが、歴史ある民間天文台を存続させようという声が強まり、後継者も得て、現在(2012年)も運営されている。
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