年少期~学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:44 UTC 版)
母方の祖父が枚方公園駅の近くで映画館を営んでいたため、子どもの頃からアニメ映画などをよく観ていたという。2歳7か月で、東映動画の『わんぱく王子の大蛇退治』を観たことを覚えており、特に名アニメーターの大塚康生と月岡貞夫が作画したクライマックスシーンが印象に残っていたが、月岡貞夫には大学で学び、業界では先輩に大塚康生がいて、「自分の人生は、線路が敷かれた一本の電車道なのか」と不思議な縁を感じたという。 千葉県立船橋高等学校在学時は、3年の春の時点ではまったくアニメーションなど志してはおらず、学校内で視聴覚委員長という立場になって生徒会長から委託された8ミリカメラをひたすら振り回していた。しかし、たまたま手にした『未来少年コナン・愛蔵版』でアニメーションの映像表現には「絵コンテ」という前段階があるという実態と宮﨑駿の存在を知り、学年の後半からは真似事のようなアニメーションを作るようになっていた。高校卒業後、日本大学芸術学部映画学科映像コースに進学、アニメーションを専攻する。大学でのアニメーションの授業は4年間に池田宏と月岡貞夫が担当講師を務める2コマしかなく、アニメーションの作り方は日本アニメーションまでときどき出向いて売ってもらう絵コンテで独学するしかなかった。また1980年10月の池田ゼミでは、特別講義に訪れた宮崎駿と初対面している。大学時代は安達瑶と映画を撮ったり、片山雅博、はらひろし。、角銅博之、飯田馬之介、ふくやまけいこ、山村浩二らと共にアニメーション自主制作集団「グループえびせん」に参加したり、東京アニメーション同好会(アニドウ)のイベントの手伝いをしたりしていた。
※この「年少期~学生時代」の解説は、「片渕須直」の解説の一部です。
「年少期~学生時代」を含む「片渕須直」の記事については、「片渕須直」の概要を参照ください。
- 年少期~学生時代のページへのリンク