大韓民国などにおける日本統治時代の評価
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「韓国併合」の記事における「大韓民国などにおける日本統治時代の評価」の解説
「朝鮮の歴史観」および「朝鮮民族主義歴史学」も参照 独立後の韓国の歴史学者は、日本による統治を正当化する日本側の歴史研究を「植民地史観」と呼び、これを強く批判することから出発した。「植民地史観」に対抗して登場したのは民族史観であり、その後の歴史研究の柱となった(下記節「歴史認識の比較表」を参照)。また、韓国国内で韓国併合を肯定的に評価するなど「民族史観」と矛盾する内容を発言すると、親日派として糾弾され、社会的制裁を受ける事例もある。そうした韓国の言論の状況について、国際新聞編集者協会は韓国を「言論弾圧国」として批判しており、2002年にはロシア、ベネズエラ、スリランカ、ジンバブエとともに「言論監視対象国」に指定した。ただし、その発表は国境なき記者団が発表した世界報道自由度ランキング(Press Freedom Index)とは完全に相反し、公信力にかなりの疑問を買っている。この発表では、2002年の韓国の言論自由指数は世界39位(10.50点)であり、世界40位(11.0点)を占めたイタリアと似ている。また、2002年Freedom Houseが発表した言論自由指数で、韓国は30点でギリシャ、イスラエルのような「自由(Free)」国家に分類された。 一方で1990年代から2000年代にかけて、「民族史観」を誇張が多いとして批判するなど、「民族史観」とは異なる見解が韓国内からも提示されるようになっている。本節では、下記節「歴史認識の比較表」に入らない、韓国における肯定的見解(ないしは「植民地史観」「民族史観」への批判的見解)を記述する。 金完燮は、当時の朝鮮は腐敗した李朝により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、とする。彼によれば近代日本の歩みは列強、特に当時極東へ進出しつつあったロシアとの長きにわたる戦いであり、日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった。当初日本は、福沢諭吉の門下生の金玉均を始めとする日本で文明に触れた朝鮮人を通して、朝鮮が清から独立し近代国家となって日本にとっての同盟国となることを望んだ。しかしながら朝鮮人自身の手で朝鮮を改革しようとする試みは頓挫し、福沢諭吉が脱亜論を著したように方針を転換。日本自らの元で清、そしてロシアから朝鮮半島を守り、朝鮮を近代化する道を選んだ。その後日本は朝鮮を「日本化」することによって教養ある日本人を増大させることによる国力の増加を目指し、積極的にインフラへ投資した。朝鮮が自分たちで独立を保ち、近代化を成し遂げることが出来れば併合されることもなかったであろうし、日本によるこれらの植民地政策がなければ近代化することもなかったであろう、として韓国における歴史教育を批判している。これらの言動・著作から彼は親日派として弾圧を受けている。 ソウル大学名誉教授の安秉直や成均館大学教授の李大根は、日本植民地統治下の朝鮮において、日本資本の主導下で資本主義化が展開し、朝鮮人も比較的積極的に適応していき、一定の成長が見られたとしている。 ソウル大学教授の李栄薫は、日本の統治が近代化を促進したと主張する植民地近代化論を提示するが、韓国国内では少数派である。彼もまた親日派として糾弾されている。 崔基鎬も、李氏朝鮮の末期には、親露派と親清派が内部抗争を続ける膠着状態にあり、清とロシアに勝利した日本の支配は歴史の必然であり、さらに日韓併合による半島の近代化は韓民族にとって大いなる善であったとしている。 元韓国空軍大佐の崔三然も、「アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態です。では植民地から近代的な経済発展を遂げたのはどこですか。韓国と台湾ですよ。ともに日本の植民地だった所です。他に香港とシンガポールがありますが、ここは英国のいわば天領でした」「戦前、鉄道、水道、電気などの設備は日本国内と大差なかった。これは諸外国の植民地経営と非常に違うところです。諸外国は植民地からは一方的に搾取するだけでした。日本は国内の税金を植民地のインフラ整備に投入したのです。だから住民の生活水準にも本土とそれほどの差がありませんでした」と証言し、肯定的に併合時代を評価した上で日本政府の行動を批判している。 当時の併合時代に育ち、のちカナダに移住した朴贊雄(パク・チャンウン)は2010年に発表した著書で「前途に希望が持てる時代だった」「韓国史のなかで、これほど落ち着いた時代がかつてあっただろうか」として、統治時代の肯定的側面を公正に見ることが真の日韓親善に繋がると主張している。 2004年に、東亜日報社長の権五琦(クォン・オギ)は新しい歴史教科書をつくる会による教科書について特に反発を感じないとしながら、「韓国でも併合に一部のものが賛成していた」という同教科書の記述については「『韓国人はみんな日本に抵抗した』と自慢したいのが韓国人の心情かもしれないが、本当はそうでないんだから、韓国人こそがこの教科書から学ぶべきだ」「どの程度の『一部』だったか知ることは、何もなかったと信じているより韓国人のためになる」と発言している。 漢陽大学名誉教授で日露戦争や韓国併合についての著書もある歴史学者崔文衡(チェ・ムンヒョン)は、左派寄り教科書とされる金星出版社『高等学校韓国近現代史教科書』における「日帝が韓国を完全に併合するまで5年もかかったのは義兵抗争のため」といった記述に関して、事実とは異なるとしたうえで、ロシアが米国と協力し満州から日本の勢力を追い出そうとする露米による対日牽制などの折衝を日本が克服するために併合に時間がかかったのだとした。また、「代案教科書」における安重根による伊藤博文狙撃が併合論を早めたとする記述についても、併合は1909年7月6日の閣議で確定しており、安の狙撃で併合論が左右されたのではないと指摘したうえで、双方の教科書に代表されるような、当時の世界情勢や国際関係を看過する史観について「自分たちの歴史の主体的力量を強調する余り、国際情勢を無視し、歴史的事実のつじつまを合わせようとしている」と批判し、世界史において韓国史を理解しようとしない教育は「鎖国化教育」であるとした。 高麗大学名誉教授(当時)の政治学者韓昇助は2005年に日本の雑誌『正論』に、日本による韓国併合はロシアによる支配に比べて「不幸中の幸い」であったとし、また日本による諸政策で朝鮮半島の近代化が進展したと肯定的に評価する論文を発表した。この論文は韓国国内で問題視され、その結果、韓昇助は謝罪したうえで名誉教授職を辞任した。 元韓国国土開発研究院長金儀遠は、戦前日本の国土計画では朝鮮人を満洲に追放して京城を日本の首都としようとしたと主張する一方で、日本が朝鮮で鉄道・道路・港湾・学校を建設したことについて「 日本人が私たちから搾取して建設したという主張があるが、事実と違う。朝鮮総督府の予算を分析すると、朝鮮で集めた税金は農地税程度であり、これでは当時の公務員の月給の10分の1にもならなかった。総督府の役人が本国に行ってロビー活動をし、予算を確保した。もちろん鉄道などは大陸進出のため」であった と語っている。 第4代台湾総統の李登輝は2012年3月、日本の保守系団体のインタビューに答えた。これはBS11『INsideOUT』で4月に放送された。日本統治時代は韓国人より台湾人のほうが差別されていたのに不満はないのか、という問いに対し、韓国は併合と言われていたのに、そしてほとんど原野だった台湾と違って元々ちゃんとした国だったのに、植民地の様にあつかわわれ、国名も「日本」のままだったのだから、インフラをあの程度、整えたぐらいでは彼らは不満だ、と答えた。 黄文雄は、「佐藤栄作元首相が述べていたように、日韓併合条約は『対等の立場で、また自由意思で締結された』とみるのが、当時の国際条約の歴史からして妥当だろう。戦後の韓国人は、日韓合邦によって国と主権が奪われ、受難の時代が始まったと思い込んでいる。だが十九世紀から二十世紀初頭までの李朝朝鮮が『主権国家』だったと考えるのは大きな間違いだ。その実体は中国の『千年属国』である。唐に従った従属した統一新羅以来、朝鮮半島はずっと中華帝国の一属藩、あるいは『藩屏』として中華帝国に所属してきたのである。今は近代国民国家が一般的な『国のかたち』(国家形態)として拡散しているが、そうなる前は、朝鮮は国際的に『主権国家』とみなされていなかった。それまでの東亜世界における世界秩序を主宰してきたのは中華である。中華の天朝朝貢・冊封秩序が、東亜世界の核であり、主権国家の概念は十九世紀の国際政治では普及していなかった。そのため、李朝朝鮮の主権はいかなる国からも認知されていなかったというのが、歴史の常識である」と述べている。 韓国開発研究院とハーバード大学国際開発研究所(英語版)の共同研究『韓国経済社会の近代化』(1980年)は、日本の統治は近代的経済発展の礎石を置いたもので、戦後の南北分断のような災厄と同列にはおけず、バランスのとれた工業化が進行し、道路、鉄道、電信、港湾のインフラが整備され、植民地型経済とは異質の経済が形成され、農業分野では、戦後多くの発展途上国が取り組んだ「緑の革命」はすでにこの時代に達成されていたと指摘しており、プリンストン大学教授のコーリは、かつて欧米の植民地だった国で、当時の朝鮮なみの水準に達した国は今なお存在しないのではないかと述べている。
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