大韓帝国軍艦とは? わかりやすく解説

大韓帝国軍艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:21 UTC 版)

揚武 (大韓帝国軍艦)」の記事における「大韓帝国軍艦」の解説

1903年明治36年4月1日本船軍艦として改装工事受けて大韓帝国売却され高宗により「揚武」と改名された。初代艦長第一次官費留学生日本の東京商学校卒業した愼順晟(朝鮮語版)。 大韓帝国はこれ以前1893年近代海軍創設試みて海軍士官学校開校するなどしていたが、日清戦争中の1895年日本によって中止強いられていた。そのため、本船大韓帝国軍にとって最初近代軍艦となった。なお、日本の新聞記者塩崎誓月によれば、「揚武」導入の目的は、1903年予定され高宗即位40周年記念式典において各国軍艦との間で礼砲を交わすためであったという。 搭載兵装は、船首楼船尾楼の両舷に12cm単装砲を各1基(計4門)、船橋船尾楼の両舷に47mm単装速射砲を各1基(計4門)である。Kang (2008) によれば売買代金当初55ウォンであったが、あまりに高額であるとして多く国民から批判受けた交渉の末に20ウォン減額されたが、大韓帝国政府にはその支払も困難で、三井から毎月5,000ウォン高利借り入れなければならなかった。

※この「大韓帝国軍艦」の解説は、「揚武 (大韓帝国軍艦)」の解説の一部です。
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