大韓帝国ウォン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:40 UTC 版)
さらに1902年には、1圜(ウォン 원)=100銭(전、旧字体 錢、chon)に改められた。日本では、日本人による韓国白銅貨の偽造が日々増加して通商上少なからず障害を来しており、当時の刑法では外貨は金銀貨以外は貨幣偽造罪の範囲外であったため、1902年11月15日に韓国白銅貨の偽造を禁じる勅令「韓国通用白銅貨ノ偽造変造取締ニ関スル件」が施行された。 日本の影響力の増した1905年以降は大阪造幣局で鋳造されるようになり、硬貨の図案も日本のものに酷似したものに改められた。 銀行券としては日本の民間銀行である第一銀行韓国総支店が発行していた「第一銀行券」が独占的な地位を確立するに至り公用紙幣として流通した。この紙幣は日本円との引き換えが保障された兌換券であり、通貨表記は「圜」ではなく「圓」となっている(ハングルでは同じくウォン 원)。 しかし、韓国において一民間銀行に過ぎない第一銀行が中央銀行の役割を果たしていることが問題となり、1909年に大韓帝国政府、日本皇室、朝鮮王朝などの出資により、中央銀行・韓国銀行が設立され、第一銀行から中央銀行業務を取り上げ韓国銀行券を発行した。その韓国銀行は日韓併合後に特殊銀行として朝鮮銀行と改称された。
※この「大韓帝国ウォン」の解説は、「ウォン」の解説の一部です。
「大韓帝国ウォン」を含む「ウォン」の記事については、「ウォン」の概要を参照ください。
- 大韓帝国ウォンのページへのリンク