大韓民国におけるハングルタイプライターの普及
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「ハングルタイプライター」の記事における「大韓民国におけるハングルタイプライターの普及」の解説
大韓民国でのハングルタイプライターの普及には、ハングル専用政策がとられて公文書をハングルのみで作成する方針も寄与しているとされ、1961年にはすべての公文書をタイプライターで作成するよう制度化された。 海軍での導入以後、官公庁でのタイプライター導入が進んだが、国防部や外交部など情報処理スピードを重視する省庁では公炳禹式が用いられ、文教部や援護庁 (ko:대한민국 원호처) ではハングルの字体の整った金東勲式(5ボル式)が好まれた。官公庁では公炳禹式・金東勲式の両製品が圧倒的シェアを誇っていた(公炳禹式がやや多い)が、このほかチャン・ボンソン(장봉선、5ボル式)、ペク・ソンチュク(백성죽、4ボル式)、チン・ユングォン(진윤권、3ボル式)などによって、さまざまな鍵盤配列のタイプライターが生産され、1960年代には16種類に達したという。 規格が統一されていないことからは混乱も生じたため、1957年には文教部内に「ハングルタイプライター文字盤合理的配列協議会」(한글 타자기 글자판 합리적 배열 협의회) が設置されて調整が図られ、プロスギ(字母を組み合わせずに横書きに並べる方法。後述)をもとにした2ボル式の規格も提案されたが成功しなかった。1969年に国務総理訓令によって「標準キーボード」(4ボル式)が公布された。既存タイプライターメーカーは反発し、規格統一はならなかったものの、官公庁では一定のシェアを占めた。 商業高等学校でタイプライター教育が行われ(1969年からはタイプライターが実業科の教科目になった)、企業が採用にタイプライター技能を考慮に入れるようにしたことから、タイプライターは一般に普及した。1970年には文教部がタイピング能力検定試験 (타자능력검정시험) の規則を作成し、5等級の技能検定を行った。 ハングルタイプライターは、コンピューターが普及していく1980年代まで、ハングルの機械化を先導した。1983年、国務総理訓令によって従来のタイプライターの「標準キーボード」(4ボル式)が破棄され、テレタイプ用の2ボル式キーボードと同様の2ボル式キーボードが「標準キーボード」とされて、タイプライター・テレタイプ・コンピューターのキーボードの統一が図られた。
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