大韓民国における天理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:06 UTC 版)
朝鮮半島での布教は朝鮮王朝時代末期の1893年に始まったが、日韓併合後に本格化する。組織的な布教活動によって信者数は増加、それは朝鮮半島南部で大韓民国が成立した後も続いた。日韓の国交断絶によって、天理教組織の公式的な交流も一時断絶していたが、その後復活し、1975年には再び教会本部の施設が設置された。しかし1985年、韓国の天理教組織は、反日感情への対応に迫られ、神道の社と類似していると批判された天理教の社を「かんろだい」の形状に変更した。「かんろだい」は「ぢば」にのみ据えられるとされていたことから、形状変更に反対するグループは「韓国天理教連合会」を結成して離脱、賛成するグループが「大韓天理教」として残った。後者は、「ぢば」は聖地としつつも、「ぢば」を媒介してのみ救済が行われるということを否定する立場を取っている。
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