北海道時代とは? わかりやすく解説

北海道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:01 UTC 版)

TEAM NACS」の記事における「北海道時代」の解説

1990年4月北海学園大学演劇研究会森崎博之入部森崎入部当初会員数は4名だった。1992年12月安田顕演劇研究会入部安田は、ジャズ研究会グリークラブESS転々した後の入部であった。翌1993年4月には、戸次重幸当時は、佐藤重幸2008年戸次改名)が入部。さらに翌1994年4月大泉洋音尾琢真演劇研究会入部し、5人が揃う。お互い第一印象はあまり良くなかったが、物真似等を通して、5人は仲が良くなり、一緒によく過ごし、度々旅行に行くなどしていた。 1996年3月当時森崎戸次大泉音尾所属していた稲田博主宰劇団イナダ組予定されていた公演が、脚本が間に合わず延期となり、イナダ側から押さえてあった劇場公演やったらどうかと提案を受ける。そして、大学卒業する森崎安田卒業制作として、思い出作りに、旗揚げ解散公演と銘打ち札幌小劇場で、『LETTER変わり続けベクトル障壁〜』を行う。こうして、1996年3月7日に『LETTER』のための、1回限りユニットとして5人で結成したのが始まりであったまた、北海道テレビHTB)『モザイクな夜V3』のお見合い企画に『LETTER』の宣伝出演しメンバー全員揃っての初のテレビ出演果たしている。 森崎安田大学卒業とともに解散し森崎上京して東京証券会社に、安田地元総合病院事務職就職した。しかし、リーダー森崎入社から9ヵ月後に証券会社辞め安田入社から10か月後に総合病院退職森崎呼び掛けで、1997年8月の『RECOVER描き続けもう一つ結論〜』で再結成する。森崎再結成呼び掛けたとき、安田戸次音尾喜んだが、演劇続けるか、就職するかで揺れ動いて大泉は、手放しでは喜べなかった。大泉は、森崎から「人生なんとかなると言われ誘い乗ることにしたという。 再結成後1998年の『FEVER眺め続けた展望行方〜』で正式に演劇ユニットとして始動以降札幌でおよそ1年ごとに舞台公演行っていた。脚本演出リーダー森崎担当することが多かった再結成当時は、安田1993年契約)と大泉1995年契約以外の3人は、CREATIVE OFFICE CUE所属ではなくメンバー揃って活動困難だった。しかし、当時CREATIVE OFFICE CUE社長(現会長)であり、俳優・タレント映画監督などとしても活動する鈴井貴之大泉安田が、「5人で活動がしたい」と直談判し1999年フリー活動していた森崎加入2000年には他の事務所に所属していた戸次音尾移籍した事で、全員CREATIVE OFFICE CUE所属となったメンバー移籍及び公演制作には、CREATIVE OFFICE CUEの現社長伊藤亜由美当時鈴井亜由美鈴井貴之元妻)が、副社長であった頃から手掛けている。ただし、鈴井貴之は、自身演劇人であるという立場から介入していない。なお、大学時代森崎手掛け他のメンバー出演した北海学園大学演劇研究会第41回定期公演CHAIR立ち続けることは苦しいから~』を鈴井貴之雑誌批評し森崎論争になった事があるまた、1996年から2002年までレギュラー放送され、大泉レギュラーで、安田準レギュラーで、その他メンバーゲスト出演した北海道テレビの『水曜どうでしょう』など、メンバーそれぞれ北海道各局のテレビ番組ラジオ番組出演する2001年から2004年まで北海道テレビ放送された『ドラバラ鈴井の巣』にはメンバー全員レギュラー出演2001年には、AIR-G'で、冠ラジオ番組NACS GOTTA ME!』の放送開始2005年放送終了)。2003年には、北海道テレビで、冠番組ハナタレナックス』の放送開始(現在もNACSメンバー全員出演する唯一のレギュラー番組として放送中である)。公演以外では、主に、深夜番組出演するローカルタレント集団として活動していた。 『水曜どうでしょう』のヒットきっかけ大泉目当て演劇関心のない人が足を運ぶようになったことで、2002年の『WAR戦い続けた兵たちの誇り』では、演劇文化活発でない北海道では異例の9,500人を動員するなど、公演観客数伸び2000年代はじめに北海道内圧倒的人気確立するようになった。だが、鈴井亜由美当時)は、「地デジ化への設備投資負担になり、地方局番組づくりに十分な資金回せなくなる」という不安と、「地元北海道限定活動では彼らの能力伸ばしきることは出来ない」という危機感をいだき、全国展開模索その後2002年の本公演WAR戦い続けた兵たちの誇り』を観劇し将来性感じたサンシャイン劇場山本和彦プロデューサーから2年後東京舞台公演行ってほしいという誘い受けた事をきっかけに、東京進出準備入った

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北海道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 08:10 UTC 版)

田中義剛」の記事における「北海道時代」の解説

16歳の頃、漁船コックをしていた友人オホーツク海遭難死。襟裳岬まで哀悼の旅に出て、その帰路、門別の牧場で馬の出産を目にし、牧場を開くことを夢に抱き青森高校卒業北海道酪農学園大学進学。しかし田中は「鍬で開拓すれば牧場簡単にできる」と思っていたため、大学4年のころ先生に「牧場をやる」と宣言した際に「牧場をやるには最低2億(1970年代当時)の資金が必要」と告げられショックを受ける。 シンガーソングライターとしての活動大学時代開始1980年フレッシュサウンズコンテスト審査員特別賞受賞その後ラジオ番組オーディションを受けるが歌ではなく喋り合格して河村通夫のアタックヤングSTVラジオ)内で5分間のコーナー番組田中義剛酪農根性」を開始した

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北海道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:17 UTC 版)

大泉洋」の記事における「北海道時代」の解説

江別市立病院産まれる1980年江別市立大東小学校入学小学5年生の時、札幌市南区引っ越し札幌市立真駒内南小学校転校その後札幌市立真駒内中学校市立札幌藻岩高等学校卒業後、浪人し、予備校代々木ゼミナール・サテライト講座で学ぶ。浪人時代は、遊んでばかりだったという。 1994年に2浪して北海学園大学経済学部経済学科入学。本来志望していた大学ではなく母親から「もう死ぬんじゃないか」と心配されるほど滅入っており、当初本人もかなり落ち込んでいたという。しかし、「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起し演劇研究会に入る。そこで森崎博之安田顕佐藤重幸(現:戸次重幸)、音尾琢真の4人と仲良くなった。初舞台同年夏、演劇研究会道内地方公演での大林先生 役。公演当時より独特のキャラクター際立っていた5人だったので、演劇部内で浮いていた。1996年大学卒業する森崎安田卒業制作として公演行なうための1回限りユニットとして、上記の4人と「TEAM-NACS」を結成森崎安田大学卒業とともに解散したが、森崎安田会社辞め1997年8月再結成する。 また1995年には、演劇研究会先輩である森崎戸次薦め音尾と共に稲田博主宰する劇団イナダ組入団した2004年まで所属)。代表の稲田博は「初め舞台に立つときの立ち方教えてくれた方」として今でも師とあおいでいる。 また、大学在学中1995年10月には、北海道テレビHTB)の深夜番組モザイクな夜V3』に、2代目元気くん」として出演し芸能活動開始。これは、初代元気くん」・田中護後任探していた時に演劇研究会舞台見た劇団OOPARTS鈴井貴之主宰)の劇団員認められ当時鈴井の妻であった伊藤亜由美ディレクター杉山順一大泉紹介したことがきっかけであった。「元気くん」は、すすきのニュークラブ取材するというレポーターで、初出演時にはレポート先で「緊張する人」を演じたその後トーク力買われスタジオにも呼ばれるようになったまた、番組出演きっかけで、鈴井貴之が代表を務めCREATIVE OFFICE CUE所属することになった。 翌1996年7月公開の『ガメラ2 レギオン襲来』にレギオンから逃げ地下鉄乗客役で映画初出演を果たすが、鈴井ミスによってエンディングクレジットされていない同年10月には、HTBスタートした深夜番組水曜どうでしょう』に出演することとなり、北海道内でのタレント活動活発化した。大泉鈴井ディレクター藤村忠寿嬉野雅道の4人を中心に過酷な旅を行う内容人気となり、深夜枠での放送にもかかわらず1999年には最高視聴率18.6%を得て全国番販され、それに伴い大泉知名度全国的に広がっていった。2002年レギュラー放送終了したが、2022年現在でも再編集版が『水曜どうでしょうClassic』・『水曜どうでしょうプレミア』として全国各地再放送されていたり、不定期新作制作・放送されたり人気がある。 1999年からは、『鈴井の巣』(HTB)でPUFFYインタビューしたことがきっかけとなり、『パパパパパフィー』(テレビ朝日)に不定期で出演するようになり、全国ネットバラエティ番組登場することとなった初出演時は、ゲスト郷ひろみ安室奈美恵がいる中、当時北海道外ではほぼ無名だった大泉ジャージ姿で司会として出演したが、観客から「キモい」などと言われ落ち込んだ。この時はまだ東京進出する気はなかった。 また、歌手としては、2000年に『鈴井の巣』(HTB)で大泉ボーカルの「大泉バンド」を結成し番組内奥田民生作曲による「負け戦」を披露したまた、ドラバラ鈴井の巣』(HTB)では、ドラマ企画毎に歌唱と共に作詞・作曲手掛けた2004年には、作詞大泉作曲根本要で、スターダストレビューとのコラボレーションシングル本日のスープ」を「北海道限定版」と「全国版」で発売全国版オリコン最高10位を記録し、『ミュージックステーション』(テレビ朝日2004年2月放送)や『うたばん』(TBS2004年5月放送)に出演した同年には、『おにぎりあたためますか』(HTB)の企画内で戸次重幸とのユニットFAN TAN』でザ・ミュージックカウンシルより「起きないあいつ」を発売しオリコン最高7位を記録台湾デビューも果たす。 俳優としては、2003年には鈴井貴之監督映画river』で映画主演となった声優としても『千と千尋の神隠し』など、複数スタジオジブリ作品参加2003年には、高坂希太郎監督の『茄子 アンダルシアの夏』にて主人公ペペ・ベネンヘリ務めた

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