ヴィゴツキーの時代とは? わかりやすく解説

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ヴィゴツキーの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 09:10 UTC 版)

ソビエト障害学」の記事における「ヴィゴツキーの時代」の解説

心理学者ヴィゴツキー1924年から死没する1934年にいたるまでの約10年の間に、障害児発達あるいは教育関わる著作主なものだけでもおよそ50余り作成している。 日本語訳論文一覧 1.障害児心理学教育学(1924) ヴィゴツキー編『盲・聾唖・知的障害児心理学教育学によせて』(1924)に掲載されたもの。革命後のロシアにおける新し障害児教育あり方伝統的特殊教育学との対比において論じたもの。次項障害児教育原理とともにソビエト・ロシアにおける新し障害児教育研究実践を、従来感覚訓練など生物学的補償重点をおいたものから、社会的補償重点をおき、健常児と同じ集団生活労働教育保障するような新し方向に導くうえで重要な役割果たした論文である。 2.障害児教育原理(1924) 未成年者社会的権利保障に関する第二回大会(1924年11月)での報告基づいて執筆された。のちに『国民教育』誌1925年1月号に掲載された。28歳ヴィゴツキーがこの大会で行った報告は、ソビエト障害学教育者たちにとって、「青天の霹靂」ともいえる「予期せぬものであり、すべての障害学教育者一変させる」ほどの「革命」的意義をもつ報告であったと、A.レオンチェフは『ヴィゴツキー生涯』のなかで述べている。なお、ヴィゴツキー当時出版されたばかりのグラボフ著『養護学校』(1925)についてのかなり詳しい批判的検討書評付け加えている。この書評は、のちに『国民教育』誌1925年9月号に掲載された。 3.障害と超補償(1927) 最初1924年執筆され、このテーマヴィゴツキー第2回未成年者社会的法的保護大会で報告行っている。のち、論文集知能視覚聴覚障害』(1927)に掲載されタイトルが「障害と超補償」とされた。オーストリア精神科医社会民主主義者であるアルフレッド・アードラーたちの超補償の「超補償理論に関する弁証法的学説、すなわち「障害不適応、低い価値――これらはマイナス、欠陥否定的量であるだけでなく、超補償への刺激でもある」「身体的不完全さ主観的な不完全さ感情通して補償や超補償への精神的欲望弁証法的に転化するのは心理学基本法則である」といった考え革新性基本的に評価しながらも、その「楽観主義」に綿密な批判的検討加えている。「補償純粋に有機的性質に関する素朴な見方」と「この過程社会的心理学的要素無視」を特に問題とした。児童期不適応には、かえって超補償源泉機能の超完全な発達源泉があることに注目した。「ある種動物児童期適応していればいるほど、発達教育潜在的可能性少なくなる。もしわれわれが、環境とまった均衡し、完全に適応している生体、すなわち凡ての点で全く十分な生体考えるならば、そのような生体は、発達教育が、すなわち進歩がまったく不可能となるであろう。つまりなにものも、その機能をさらに発達させることができないわけである。超価値抵当は、無価値さの存在中にあたえられている。それゆえに、不適応と超補償子どもの発達推進力のである。」「盲児聾唖児が、教育学観点からすると基本的に健常児同じにみなされるということは真理である。だが彼らは、別の方法によって、別の道を通って別の手段によって、健常児到達するのと同じ段階達するのであり、したがって教師が、子どもの通るはずの道のまさにこの独自性を知ることは特に重要である。」とヴィゴツキー指摘する。 4.困難をかかえた子どもの発達とその研究テーゼ)(1928) 『ソ連邦児童学基本問題』(1928)に掲載されたもの。困難をかかえた子どもの診断法、困難の種類程度によるこれらの子どもの分類基本的原理述べられている。重要なことは、「障害ではなくてあれこれ障害をもった子どもを研究すること」であり、「周囲の環境との相互作用のもとでの子どもの人格全体的研究」、「教育過程における子どもの長期研究」が必要であるということなどが、簡潔なテーゼの形で述べられている。 5.困難をかかえた子ども(1928) 1928年3月4日行われた講義速記録である。ソ連教育科学アカデミー障害学研究所記録p.9。困難をかかえた子ども、教育困難な子どもの性格形成あり方とともに障害補償あり方さらにはこれらの子どものかかえる障害克服し欠陥打ち勝つ方法具体的に論じられている。 6.現代障害学基本問題(1929) ヴィゴツキーが第モスクワ国立大学教育学研究所障害学部門行った報告基づいて執筆された。同大紀要1929年1月号に掲載された。盲・聾などの器質的障害が、子どもの精神発達にとって薄弱遅滞制限といったマイナスの意義をもつだけでなく、それとは逆に障害感覚意識心理発達への刺激となって補償・超補償への志向生むプラス意義をも持ち得ること、しかし、そのためには障害児文化的発達保障する正し社会的補償社会的教育体系構築されねばならないことを論ずる。 7.障害児発達教育に関する学説(1930?) 執筆発表年月不明内容から1930年前後執筆推定される。「自己中心的ことば」や「文化的発達」への言及あり。障害児場合発達自然的局面文化的局面との区別が、健常児比べよ鮮明に現れる発達自然的障害機能不全というマイナスを意味するだけでなく、適応回り道つくってそれを補いさらには上乗せする心理機能文化的発達促すプラス役割をも果たすという二面性質があることを指摘し文化的発達回り道体系を創り出すことに障害児教育現代的課題があることを論ずる。 8.困難を抱えた子どもの発達診断児童学臨床(1931) 1931年当初論文集『困難を抱えた子どもの児童学諸問題』のために書かれたが、論文集何らかの理由出版されず、ヴィゴツキー没後分冊パンフレットとなって出版された。当時児童学ヴィゴツキー自身書いているように危機的状況にあったソビエトにおける新し科学としての児童学研究急激な発展それ自体が、その方法論の実際上の無効性、非生産性、非科学性表面化させるという危機招いていたのであるヴィゴツキーは、この危機正しく認識しその理論実際児童学調査診断など)との乖離克服し児童学実際的に役に立つ真の科学にするための方途をこの論文中でも懸命に論じていたが、そうした努力が効を奏する前にソ連共産党中央委員会による鉄槌くだされた。同委員会決定教育人民委員部系統における児童学傾向について」(1936年7月4日)は、児童学者たちの行っている調査実践は、「似非科学的・反マルクス主義的な命題に基づくものであり、成績不良者学校の生活基準はまらない者を、「生物学的ならびに社会的要因」によって「知能遅滞児、障害児問題児」などと決めつけ、特殊学校特殊学級送り込む手段とされていると厳しく弾劾したのであるヴィゴツキー本論文は、児童学そのような問題点自身十分に認識していたことがわかる。特に困難を抱えた子どもの児童学研究は、精神病学生物学発展比べたとき、学問体系成立する以前経験論段階にあること、したがってダーウィン進化論創造することによって、魚類とするような「表現型観点から条件的発生的観点への移行」を創り出したときに生物学生じたようなことが児童学においても行われなければならない論じるほか、そうした困難を抱えた子どもの教育治療の可能性については、「徴候根本的原因から隔たってるほど、それは教育的および治療的働きかけをより多く受ける。……高次精神機能高次性格的形成の発達不全は、知的障害精神病においては二次的症状であり、障害そのものによって直接的に条件づけられた低次のあるいは基本的過程発達不全よりも実際により変わりやすく、より働きかけを受けやすく、より除かれやすい。子どもの発達過程二次的形成として生ずるものは、原則的に予防できるし、あるいは治療=教育的に除かれ得る」ということくわしく論じている。 9.知的障害児発達補償問題(1931) 1931年5月23日行われた養護学校従業員会議ヴィゴツキー報告した内容速記録。この論文では、知的障害児発達教育に関してヴィゴツキーたちの研究明らかにしたいくつかの心理法則述べられている。第一に知的障害児発達不全には、一次的原因から直接的に引き起こされたものと、その発達不全のために周囲の環境影響適切な時期受けられなかった結果遅滞蓄積され社会的発達不全形態をとる二次的障害とがあること、そして障害のこの二次的複雑化は、障害児発達過程でもっとも簡単に根絶されるのであることが確認された。伝統的教育学からは逆説的と見えるが、基礎的機能比較して高次精神機能教育可能性がもっとも高いのである。このことと関係してヴィゴツキー明らかにしたきわめて重要な法則は、「あらゆる高次精神機能は、子どもの発達過程二度現れる初めは、集団的行動機能として、子どもと周囲人々との協同組織として、次には、精神過程内的な活動能力として現れる」というものである。その具体例としてここであげられているのは、ことばがコミュニケーションの手段から思考の手段となる例、論理的思考が、就学の子どもに現れるのは、児童集団発生するけんか(口論)が基となっているという例、さらに遊び過程自分自身行動集団行動規則したがわせる手法発生が基になって行動内的意志的機能形成される例などである。このようにして、まさに集団こそが、健常児障害児含めて高次精神機能発達源泉となるということが述べられている。 10.障害児発達要因としての集団(1931) 『障害児諸問題』誌1931年112号に発表されたもの。集団こそが障害児発達源泉であり、障害児教育最大可能性もそこにこそあるという命題は、ヴィゴツキーの「文化的歴史的精神発達の理論」から導き出され法則――「あらゆる高次精神機能行動過程二度現れる最初は、集団的行動機能として、協同あるいは相互関係形態として、社会的適応の手段として、その後二度目には、子どもの個人的行動様式として、個人的適応手段として行動内的過程として現れる」に基づくものである。したがって、この法則教育的命題は、健常児にも障害児にも共通してあてはまるものであるが、とりわけ障害児発達および高次精神機能発達不全正しく理解するうえで鍵となるものであることが強調されている。さらに、本論文で、子どもたち集団形成する場合障害程度均質な集団選び出すのは、子どもたち自然的傾向逆行する教育的な規則であり、異質な子どもの集団こそ教育的であるという、健常児集団にも共通する教育学一般法則が提示されていることも注目に値する。 11.重度障害児教育(1932) グラチョーワ著『重度障害児教育教授』(1923)への序文として書かれた。グラチョーワ(1866-1934)は、重度障害児教育あたったロシア最初の障害学者とされている。ヴィゴツキーは、グラチョーワの著作が、悲観主義的な最小限要素主義理論論破し重度障害児対す教育学的楽観主義思想を自らの実践事実基づいて提起していることを高く評価する。それとともに重度障害児発達においても、他の子どもとの交流協同が重要であり、重度障害児社会的教育集団教育は、伝統的な生理学的教育」の観点からすれば、まったくのユートピア思われるような可能性を開くものだとして、本論でも、集団生活こそが障害児発達源泉であるという持論展開し強調している。 12.知的障害問題(1935) ヴィゴツキーとダニュシェフスキー編の論文集知恵遅れの子ども』(1935)のために書かれたもの。ヴィゴツキー本論文で中心的に取り組んでいる問題は、知恵遅れの子どもたちの情動障害知能的障害との間に存在する関連明らかにすることである。従来障害学は、知恵遅れ問題をすべて低知能ということ片付け主知主義か、意志の不足が主要な障害だとする主意主義かに傾いていた。ヴィゴツキー弟子のザンコフ、ソロヴィエフらの協力得て知能児と健常児との実験的比較研究行い両者の相違は、知能とか情動そのもの特質よりも、これら二つ精神領域の間に存在する関係の独自性、この情動過程知的過程との関係が切り開く発達道筋独自性のなかにあることを明らかにした。ここでなされている低知能児の心理活動の特徴づけは、知能情動との関係の可変性に関する命題とともにその後知的障害児研究進めていくうえでの基本的前提となるものであった。 なお、「ヴィゴツキーの障害学業績目録」も参照のこと。

※この「ヴィゴツキーの時代」の解説は、「ソビエト障害学」の解説の一部です。
「ヴィゴツキーの時代」を含む「ソビエト障害学」の記事については、「ソビエト障害学」の概要を参照ください。

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