ミートローフ
ミートローフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 07:16 UTC 版)

ミートローフ(英: meatloaf)は挽肉を塊状に成型して加熱調理した肉料理である。
概要
「ローフ」 (loaf) は古英語のパンが語源であり、転じて長方形の食パン形に成形した挽肉をオーブンで焼いたものをローフと呼ぶようになった。実際には、円形のケーキ型やリング形のババロア型で焼くことも多く、必ずしも直方体とは限らない。挽肉料理の歴史は古く、古代ローマの料理書である『アピキウス』でも言及されている。ミートローフは、ドイツ、ベルギー、オランダ、オーストリア、ハンガリーなどで、古くからの定番の伝統料理として愛されてきている。アメリカのミートローフは、植民地時代のペンシルベニア州で、ドイツ系移民が食べていた Scrapple に由来する。しかしながら現代アメリカにおける意味でのミートローフは19世紀後半まで料理書には現れなかった[1]。
調理法
通常は牛の挽肉が主であるが、豚やラム、合い挽き肉も用いられる。挽肉にタマネギのみじん切りを炒めたものを混ぜ、卵や、パン粉などの穀物粉を成型のためのつなぎとして加え、塩、コショウ・ナツメグなどの香辛料で味付けしてよく練り混ぜる。生地としては、現代においてハンバーグと変わらない作り方が普及していると言える。生地を、金型や、現代ではシリコン型などに詰めてオーブンで焼き上げる。現調理法では型に入れない物や円筒型なども存在する。また樹脂を用いたケーシングを施したソーセージ状のものもミートローフと称される事もあり、燻製や直火焼きのミートローフも存在する。
他の材料として豆類やピーマンやニンジンなどの野菜類、マッシュルームなどのキノコ類を加えることもある。表面にマッシュポテトを塗る・内部にゆで卵を入れるなどの追加的な特徴もさまざまな国や地域で伝承されている。
焼きあがったら端から好みの厚さに切り、トマトソース、グレイビー、ホワイトソース、ケチャップ、フルーツのジャムなど好みのソースで食べる。
脚注
- ^ Zeldes, Leah A. (2009年9月2日). “Eat this! Meatloaf, easy comfort”. Dining Chicago. Chicago's Restaurant & Entertainment Guide, Inc.. 2010年8月3日閲覧。
関連項目
ミートローフ (歌手)
ミートローフ | |
---|---|
![]() 2009年撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | Marvin Lee Aday |
生誕 | 1947年9月27日 |
出身地 |
![]() |
死没 | 2022年1月20日(74歳没) |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1967年 - 2022年 |
レーベル | |
公式サイト | Meatloaf.net |
ミートローフ[3](Meat Loaf、1947年9月27日 - 2022年1月20日)は、アメリカ合衆国のロック・シンガーである。約60年間にわたるキャリアの中で、歌手としては1億枚以上のアルバムを売り上げ、俳優としての代表作には1999年にカルト的人気を博した映画『ファイト・クラブ』をはじめ65作以上の映画に出演した[4]。
来歴
本名をマーヴィン・リー・アーディー(Marvin Lee Aday)と言い、テキサス州ダラスに生まれる。少年時代はアメリカンフットボールで鳴らし、タックルが得意だったことから、現在のニックネームとなるミートローフという名がつく[5]。
1960年代はロック・ミュージカル『ヘアー』に出演したりなどしていたが(役名は不明)、1971年にモータウンのサブ・レーベル「レア・アース」からアルバム『Stoney & Meatloaf』でデビューする。
1970年代前半は主に俳優として活動し、オフ・ブロードウェイのミュージカル『Rainbow (in New York)』や、ジム・スタインマンが音楽を担当したミュージカル『More Than You Deserve』に出演[6]。また、映画『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)にも出演した[4]。
1976年、テッド・ニュージェントのアルバム『ハード・ギター爆撃機 (Free-for-All)』にボーカリストとして参加[6]。
1977年に、ジム・スタインマンの作詞・作曲、トッド・ラングレンのプロデュースによるアルバム『地獄のロック・ライダー』を発表し、全米および全英チャートで長い年月にわたってチャートにランクインされ(イギリスでは9位、アメリカでは14位)[7]、起死回生の作品となった。またこのアルバムからシングルカットされた、「66%の誘惑 (Two Out Of Three Ain't Bad)」もビルボードのシングルチャートの11位を記録するヒットとなる。『地獄のロック・ライダー』は、2005年には世界で最も売れたアルバムCDの6位(3700万枚)となって、その後も売り上げを伸ばしている。販売総数は約4300万枚とされ、史上最も売れたアルバムの一つとされる[4]。
その後、スタインマンとの不和が生じるが、以後も彼の手による曲を次々とリリース。
1993年にはアルバム『地獄のロック・ライダーII〜地獄への帰還』を発表、今度はビルボード誌のアルバムチャートで1位を獲得、シングルカットされた「愛にすべてを捧ぐ (I'd Do Anything For Love (But I Won't Do That))」も全米シングルチャート1位を記録し、1993年のグラミー賞を受賞した[4]。
1999年にはデヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演の映画『ファイト・クラブ』に、ロバート"ボブ"ポールスン役で出演。その他、映画『マイ・フレンド・メモリー』にも出演。俳優として活躍の場を広げた。
2022年1月20日、死去[8]。74歳没。新型コロナウイルスに感染していたと報道されている[9]。
評価
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第90位[10]。
『地獄のロック・ライダー』などの曲のタイトルやCDのジャケットはヘヴィメタルを連想させるが、堂々たる体躯から繰り出させられる力強いボイスとジム・スタインマンのピアノ、様々な演奏やコーラスからロック・オペラと紹介されている。
プライベート
前妻との娘、パール・アーディーはスラッシュメタルバンド、アンスラックスのギタリストのスコット・イアンの妻である。
ディスコグラフィ


スタジオ・アルバム
- Stoney & Meatloaf (1971年) ※with Shaun Murphy (Stoney)
- 『地獄のロック・ライダー』 - Bat Out of Hell (1977年)
- 『デッド・リンガー』 - Dead Ringer (1981年)
- 『真夜中の彷徨』 - Midnight at the Lost and Found (1983年)
- 『ロック・ライダーの悲劇』 - Bad Attitude (1984年)
- 『ブラインド・ビフォー・アイ・ストップ』 - Blind Before I Stop (1986年)
- 『地獄のロック・ライダーII〜地獄への帰還』 - Bat Out of Hell II: Back Into Hell (1993年)
- 『ウェルカム・トゥ・ザ・ネイバーフッド〜地獄からの脱出』 - Welcome to the Neighbourhood (1995年)
- Couldn't Have Said It Better (2003年)
- 『地獄のロック・ライダー3〜最後の聖戦!』 - Bat Out of Hell III: The Monster is Loose (2006年)
- Hang Cool Teddy Bear (2010年)
- 『地獄へのフリーフォール』 - Hell in a Handbasket (2011年)
- 『ブレイヴァー・ザン・ウィー・アー~勇者再誕~』 - Braver Than We Are (2016年)
ライブ・アルバム
- 『ライヴ・アット・ウェンブリー』 - Live at Wembley (1987年)
- Live Around the World (1996年)
- VH1: Storytellers (1999年)
- Bat Out of Hell: Live with the Melbourne Symphony Orchestra (2004年)
- 3 Bats Live (2007年)
- Guilty Pleasure Tour - Live from Sydney, Australia (2012年)
俳優としての出演
- 『ステート・フェア』 - State Fair (1962年) クレジットなし
- 『ロッキー・ホラー・ショー』 - The Rocky Horror Picture Show (1975年)
- 『ローディー』 - Roadie (1980年)
- 『ランナウェイ/18才の標的』 - Out of Bounds (1986年)
- 『マンハッタンミステリー/ 消えた黒い箱』 - The Squeeze (1987年)
- 『モトラマ/5億ドルを狙え!』 - Motorama (1991年)
- 『ウェインズ・ワールド』 - Wayne's World (1992年)
- 『ベティ・ルーは犯罪者(クリミナル)?』 - The Gun in Betty Lou's Handbag (1992年)
- 『奇跡を呼ぶ男』 - Leap of Faith (1992年)
- 『スパイス・ザ・ムービー』 - Spice World (1997年)
- 『デッド・ロイヤル』 - Gunshy (1998年)
- 『ブラック・ドッグ』 - Black Dog (1998年)
- 『マイ・フレンド・メモリー』 - The Mighty (1998年)
- 『カットスロート・ハイウェイ』 - Outside Ozona (1998年)
- 『クレイジー・イン・アラバマ』 - Crazy in Alabama (1999年)
- 『ファイト・クラブ』 - Fight Club (1999年)
- 『黄金(きん)の谷のルーシー』 - The Ballad of Lucy Whipple (2001年) テレビ映画
- 『ラスベガス大火災』 - Trapped (2001年) テレビ映画
- 『フォーカス』 - Focus (2001年)
- 『ケミカル51』 - The 51st State (2001年)
- 『THE SALTON SEA ソルトン・シー』 - The Salton Sea (2002年)
- 『ルール3』 - WishCraft (2002年)
- 『マッド・ドッグ』 - Chasing Ghosts (2005年)
- 『ブラッドレイン』 - Blood Rayne (2005年)
- 『テネイシャスD 運命のピックをさがせ!』 - Tenacious D in The Pick of Destiny (2006年) クレジットなし
- 『市民ジェーン』 - Citizen Jane (2009年) テレビ映画
- 『バーニング・ブライト』 - Burning Bright (2010年) クレジットなし
- 『ビューティフル・ボーイ』 - Beautiful Boy (2010年)
- 『絶叫のオペラ座へようこそ』 - Stage Fright (2014年)
- 『ゴースト・ウォーズ』 - Ghost Wars (2017年 - 2018年) テレビドラマ
脚注
- ^ Seidman, David (2008). Katharine McPhee. New York City: Rosen Publishing Group. p. 32. ISBN 978-1-404-21373-9. "McPhee performed with her fellow contestants and guest star Meat Loaf, a master of powerful arena rock."
- ^ Edmondson, Jacqueline (2013). Music in American Life: An Encyclopedia of the Songs, Styles, Stars, and Stories that Shapes Our Culture. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 699. ISBN 978-0-313-39348-8
- ^ 「ミート・ローフ」の表記もある。
- ^ a b c d “米歌手ミートローフさん死去 74歳 「地獄のロック・ライダー」”. フランス通信社. AFPBB News. (2022年1月21日) 2022年1月22日閲覧。
- ^ 本人が各種音楽雑誌のインタビューでも少年時代はロック好きの暗い少年を自負しており、ミートローフはその頃につけられたあだ名とも言われている(スラングではないがデブ・のろま等の意味合いあり)。
- ^ a b Ankeny, Jason. “Meat Loaf - Biography & History”. AllMusic. 2017年6月13日閲覧。
- ^ 全英チャート週で478週登場していたフリートウッド・マックの『噂』に次ぐ、2番目の長さで長期的にランクインをする。
- ^ “ミートローフさんが死去 「地獄のロック・ライダー」”. 日本経済新聞. 共同通信. (2022年1月22日) 2022年1月22日閲覧。
- ^ “人気ロック歌手のミートローフさん死去 「コロナ重症」報道も”. テレビ朝日. (2022年1月22日) 2022年1月22日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
外部リンク
「ミートローフ」の例文・使い方・用例・文例
ミート・ローフと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- ミート・ローフのページへのリンク