み‐かさ【三×笠】
みかさ【三笠】
読み方:みかさ
北海道中央部の市。明治前期に石狩炭田で最古の幌内炭鉱が開発されて以来発展。桂沢湖がある。人口1.0万(2010)。
旧日本海軍の戦艦。日露戦争の日本海海戦で、連合艦隊旗艦として活躍。排水量約1万5000トン。現在は横須賀に固定保存されている。
「三笠山」の略。
み‐かさ【▽水×嵩】
【三笠】(みかさ)
明治時代中期に英国で建造され、日露戦争で活躍した日本海軍の前ド級戦艦。
姉妹艦に敷島、朝日、初瀬がある。
後述する華々しい戦果を挙げたことから、英国海軍の「ヴィクトリー」、アメリカ海軍の「コンスティチューション」と並んで「世界三大記念艦」とも呼ばれている艦であり、現在は神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている。
また、日本海軍の戦闘艦艇及び全世界の前ド級戦艦としては唯一の現存艦でもある。
参考:記念艦三笠公式webサイト(公益財団法人三笠保存会)
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/
建造の経緯
当時、中国大陸・朝鮮半島の支配権を巡ってロシアと対立していた日本政府は、強力なロシア艦隊に対抗すべく、戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻からなる「六六艦隊」という艦隊整備計画を策定。
この一環である敷島級戦艦の4番艦として、英国に発注・建造されたのが同艦である。
本艦の設計・建造に当たっては、当時最新鋭の造艦技術が積極的に取り入れられたが、特に防御甲板の素材には、ドイツのクルップ社が開発した鋼鉄とニッケルをベースとした特殊合金「クルップ鋼」を採用、同時期に建造された他国の戦艦と比べて高い装甲防御力を得ることとなった。
また、本艦を含む「敷島」級以降の日本戦艦は、艦幅の増大によりスエズ運河の通過が不可能となったが、このことにより、ロシア艦隊は本艦に対抗できる有力な戦闘艦をアフリカ大陸の喜望峰周りで回航させざるを得なくなった。
これにより、(日英同盟が結ばれていた当時の情勢下で)ロシアに対して戦略的アドバンテージを得ることもできた。
戦歴
1904年の日露戦争には連合艦隊司令長官・東郷平八郎提督の乗艦として参加。
翌1905年5月27日の対馬沖海戦では、アフリカ大陸沿岸経由でやってきたロシア第2太平洋艦隊(バルチック艦隊)を迎え撃ち、有力なロシア戦艦群の集中砲火を浴びながらもよくこれを撃破した。
この戦いの直後、佐世保軍港停泊中に水兵の失火から火薬庫が爆発、沈没着底するが、沈没地点の水深が浅かったため引き揚げられて現役復帰。
その後、戦艦が「ド級」「超ド級」と進化する中で旧式化しつつも現役にありつづけた本艦だったが、1921年のワシントン海軍軍縮会議で廃棄予定艦のリストに載せられてしまう。
当初はこれにより、除籍後に実弾射撃演習の標的艦として海没処分されることになっていたが、本艦のあげた戦歴から、当時の日本国内で廃棄を惜しむ声が高まっていく。
これを受けて、日本の代表団も会議に参加している他国と協議した結果、「再就役不可能な状態にする」ことを条件に記念艦として保有することが認められた。
予定では東京・芝浦の海岸に繋留保存されることになっていたが、1923年、除籍を前提として横須賀軍港に繋留中、関東大震災に遭遇して岸壁に接触・浸水したため、急遽、横須賀で保存することに変更された。
この保存工事に当たって、白浜海岸海底の岩場を掘って設置した海中ドックに、船首を東京の皇居へ向けた状態で船体を収め、その外周部を地面と同じ高さまで土砂で埋め立た上で下甲板に砂を充填し、船体を現在地に固定した。
戦後の荒廃~復元
その後、第二次世界大戦の敗北に伴って進駐してきた連合国軍の「武装解除」指示により、砲などの武装が撤去され、また、敗戦後の混乱期には心無い者たちによって艦の金属部品の大部分が持ち去られたり、上部構造物の撤去された跡にダンスホールや水族館が設置されたりするなど、一時期極度に荒廃していたが、1958年から復元工事が行われ、1961年に完工。記念艦として再度公開が開始された。
この復元にあたって、東郷提督を敬愛していたアメリカ海軍のニミッツ提督が、本を執筆してその印税を日本に寄付した。
また、1958年に日本で解体されたチリ海軍の戦艦「アルミランテ・ラトーレ」の部品がチリ政府から寄贈されるなど、内外から幅広く集められた浄財が活かされていた。
1992年、本艦は
「世界に残っているもっとも古い甲鉄戦艦であり、造船史上きわめて価値が高く、良好に保存されている」
として、世界船舶基金財団(英国)から「海事遺産賞」が贈られた。
現在
本艦は前述のように、横須賀の三笠公園で乗艦できるが、船体上部構造物のほとんどは戦後の復元の際に新規作成されたレプリカである。
また、下甲板は砂で埋められているため、見学できるのは上甲板と中甲板のみであるが、ここにも資料展示室や上映室などが作られているため、かつて船であったことの面影は後部区画や甲板の一部に残るチーク材を除いて失われており、実質上「船の形をした資料館」になってしまっている。
本艦の運営・管理は「公益財団法人三笠保存会」に委託されているが、船体そのものは現在でも防衛省所管の国有財産である。
スペックデータ
ミカサ (曖昧さ回避)
みかさ・ミカサ
- 企業
- 製品名
- ミカサ (自動車) - 岡村製作所が生産していた乗用車。
- 朝鮮総督府鉄道ミカサ形蒸気機関車
- 南満州鉄道ミカサ形蒸気機関車
- みかさ - 壱岐対馬シーラインが保有するフェリー。
- 架空名
- ミカサ・アッカーマン (en:Mikasa Ackerman) - 漫画『進撃の巨人』の登場人物。
- 超弩級空中戦艦 ミカサ - サクラ大戦シリーズに登場する超巨大空中戦艦。サクラ大戦シリーズのメカニック#『サクラ大戦』初出を参照。
- その他
- みかさ号 - 北海道中央バス岩見沢営業所が運行している高速バス。
- 暮らしカルマガジン みかさつかさ - 毎日放送で放送されていた番組。
- ミカサ - 漫画家。著作に『薄桜鬼SSL 〜sweet school life〜』などがある。
脚注
関連項目
みかさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:49 UTC 版)
2015年(平成27年)に壱岐対馬シーラインが調達した船舶で、もとは伊是名村営フェリー「ニューいぜな」である。伊是名村では1998年(平成10年)7月20日に就航し、2015年9月7日まで運航された。2016年5月下旬から6月上旬の「フェリーつばさ」のドック期間中に壱岐・対馬フェリーが代船として運航し、同年12月1日より壱岐・対馬フェリーで就航した。 2019年に運航ダイヤから外されアイドルグループ・STU48の劇場船「STU48号」に改装されたが、2021年5月23日にSTU48が劇場船での活動を終了したのちに復元され、「みかさ」として再就航している。 「ニューいぜな」は旅客定員245名であったが、「フェリーつばさ」と同様、旅客定員は12名に制限され、ベッドルームが新設されている。 1998年(平成10年)7月竣工、山中造船建造、671総トン、全長77.80m、幅12.50m、出力2,800kW×2、航海速力19ノット、旅客定員12名
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「みかさ」の例文・使い方・用例・文例
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