田中秀征 田中秀征の概要

田中秀征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/11 13:56 UTC 版)

日本の旗 日本の政治家
田中秀征
たなか しゅうせい
生年月日 1940年9月30日(74歳)
出生地 日本の旗 長野県更級郡篠ノ井町(現長野市
出身校 東京大学文学部
北海道大学法学部
現職 福山大学経済学部客員教授
所属政党 自由民主党→)
新自由クラブ→)
(自由民主党→)
新党さきがけ→)
無所属→)
みんなの党
称号 文学士(東京大学)
法学士(北海道大学)
公式サイト NPO法人 田中秀征の民権塾

内閣 第1次橋本内閣
在任期間 1996年1月11日 - 1996年11月7日

内閣 細川内閣
在任期間 1993年8月11日 - 1994年1月31日

選挙区 旧長野1区
当選回数 3回
在任期間 1983年12月19日 - 1986年6月2日
1990年2月19日 - 1996年9月27日
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衆議院議員(3期)、経済企画庁長官第52代)、内閣総理大臣特別補佐細川内閣)、新党さきがけ代表代行、学習院大学法学部特別客員教授等を歴任した。

1990年代前半の新党ブームの火付け役の一つ、新党さきがけの理論的指導者であった。

来歴

生い立ち

長野県更級郡篠ノ井町(現長野市篠ノ井)生まれ。長野県長野高等学校東京大学文学部卒業。東大在学中は林健太郎ゼミに所属し、歴史学を専攻した。その後北海道大学法学部学士入学したが1年で中途退学する。

政界入り

北海道大学中退後は宇都宮徳馬の推薦により、石田博英衆議院議員の秘書を務める。田中はリベラル保守政治家であった石橋湛山を「理想の政治家」に挙げており、石田は石橋内閣内閣官房長官を務めていた。1972年第33回衆議院議員総選挙旧長野県第1区(定数3)から無所属で出馬したが、最下位の得票数5位で落選した。以後第343536回の各総選挙に立候補するも、落選を繰り返す。この間、一時的に新自由クラブに籍を置いていた時期があるが、党内の路線対立により離党した。

1983年第37回衆議院議員総選挙では自民党の公認を受け、旧長野1区でトップ当選を果たした(当選同期に田中直紀熊谷弘二階俊博額賀福志郎野呂田芳成衛藤征士郎金子原二郎尾身幸次北川正恭町村信孝伊吹文明自見庄三郎大島理森野呂昭彦中川昭一鈴木宗男甘利明らがいる)。なお、この選挙において自民党は旧長野1区の3議席の独占を目論み、ベテランの小坂善太郎に加え新人の若林正俊、田中の3候補を擁立したが、新人の田中、若林がそれぞれ得票数1位、2位で当選した一方で最も得票数の少なかったベテランの小坂が日本社会党清水勇の後塵を拝し、得票数4位で落選した。当選後、宏池会に入会。1986年第38回衆議院議員総選挙では、前回2位の若林がトップ当選し、約1千票差で社会党の清水が続いたが、3位に捲土重来を期した小坂善太郎が滑り込み、小坂の得票を約2千票下回った田中が落選した。

1990年第39回衆議院議員総選挙では再び旧長野1区でトップ当選を果たし、4年ぶりに国政に復帰した。前回トップ当選の若林は得票数4位で落選し、奇しくも旧長野1区では、前回トップ当選した候補者が落選する構図が3回続いた(1983年に落選した小坂善太郎は、その前回の第36回衆議院議員総選挙ではトップ当選)。またこの総選挙では小坂善太郎が引退し、次男の小坂憲次が当選した。

自民党離党~新党さきがけ

リクルート事件をきっかけに、元滋賀県知事武村正義鳩山由紀夫政治改革を志向する中堅・若手議員でユートピア政治研究会を結成する。1993年6月、宮澤改造内閣不信任決議案の採決では反対票を投じたものの、自民党を離党。新党さきがけの結党に参加し、武村正義代表の下で党代表代行に就任する。同年7月の第40回衆議院議員総選挙では、旧長野1区で3度目のトップ当選を果たした。同年8月に発足した細川内閣では武村が内閣官房長官、鳩山が内閣官房副長官に就任。田中も内閣総理大臣特別補佐に起用され、細川が所信表明演説で用いたキャッチフレーズ「質実国家」を発案した。1994年1月、政治改革四法の成立を見届けた後、内閣総理大臣特別補佐を辞任。田中はかねてから細川に対し、政治改革が一応の成立を見た段階での内閣総辞職を勧めていた。同年4月、細川内閣の総辞職に伴い、新党さきがけは非自民連立政権を離脱し、羽田内閣では閣外協力に転じた。

1996年1月、自社さ連立政権第1次橋本内閣経済企画庁長官に任命され、初入閣を果たした。しかし同年10月、小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では、現職閣僚ながら長野1区新進党小坂憲次に敗れ、落選した。この総選挙に際しては、連立与党内での候補者調整が不調に終わり、長野1区から新党さきがけの田中、自民党の若林正俊が出馬し、票の分裂を引き起こした(田中、若林の票の合計は小坂の得票を上回る)。

落選後

落選により経済企画庁長官を退任。その後、武村との意見の対立から新党さきがけを離党し、その後は同党唯一の党友1998年第18回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から出馬した中村敦夫無所属・新党さきがけ推薦)の当選に尽力。なお中村は1995年第17回参議院議員通常選挙に新党さきがけ公認で出馬したが、次点で落選していた。学習院大学法学部政治学科特別客員教授や福山大学経済学部客員教授を務める傍ら、1999年9月からNPO法人「田中秀征の民権塾」を主宰する。2014年東京都知事選挙では、脱原発を掲げて立候補した元首相の細川護煕を支援したが、細川は舛添要一らに敗れ、落選した。

人物

  • 落選後もメディアへの露出や、全国各地での講演で官僚主導の「官権」から国民主導の「民権」への転換を訴え続けている。
  • 高知県知事橋本大二郎(橋本龍太郎の異母弟)や衆議院議員の江田憲司の2人に助言を行っている[1]江田がみんなの党結党に参加してからは自身も入党し、みんなの党を支援。同党の松田公太や新党さきがけ結党時のメンバーであった井出正一の甥・井出庸生を熱心に指導していたが[要出典]、江田、井出は2013年12月にみんなの党を離党し、結いの党を結成した。
  • 家族は妻、5女。



脚注


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