山梨交通
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車両
本項では、山梨交通(かつて存在した山交タウンコーチ・山梨交通観光バス・山梨貸切自動車を含む)の車両概要を記述する。また、便宜上、一般路線バス車両については「路線車」、高速路線バス車両については「高速車」、貸切バス車両については「貸切車」と表記する。
車両史
創業期から終戦直後
山梨交通の直接のルーツとなる山梨自動車運輸では、フォード4台を使用して運行を開始した[13]。
燃料事情が悪化した戦時中は、バスの代用燃料化が行われていた[18]。代用燃料については木炭が主体で[18]、他に薪や石炭が利用されていたとされている[18]。この頃には国産車としてトヨタの車両が使用されていた記録が残っている[23]。
戦後の復興期から高度成長期
戦後の1950年前後には、いすゞBX91型・トヨタBL型・日産390型などが使用されていた[131]。1952年から再開された貸切車には、大型ボンネットバスである三菱ふそうB23型が採用された[131]。また、この時期からリヤエンジンバスの導入が始まり、民生BR32型などが導入されている。1954年以降は、日野のセンターアンダフロアエンジンバスであるBK11型が路線車の主力として導入された[132]。この頃から全長が10m級の大型車の導入も開始されている[131] 一方、ボンネットバスの導入は1963年式を最後に終了している[132]。
1960年代には、いすゞBA741型が路線車の主力となっていた[133]。この時期以降、山梨交通のいすゞ車は川崎車体で導入される[133]。また、この時期までは路線車と貸切車の車体スタイルは共通であった[133] が、このあとは別の車体スタイルとなる。また、特定の路線のための車両も導入されており、1966年には塩山と氷川を結ぶ路線の専用車として三菱ふそうMR620型が[134]、広河原専用にいすゞBA01N型が導入されている[134]。この時期の貸切車では、デラックス観光バスとしていすゞBU15P型などが導入されていた[133] 一方で、小口貸切用としていすゞエルフにバス車体を架装した貸切車も導入された[133]。この時期に国際興業の傘下に入ったことから、山梨交通におけるいすゞ以外のメーカーの車両は、1960年代後半に貸切車として導入された三菱ふそうB905N型を最後に途絶えることになる[133]。
ワンマン化から路線バス網縮小期まで
1966年にワンマンバスが導入されたことに伴い、前中扉仕様[注釈 13] の車両導入が開始された[注釈 14]。当初は車掌が乗務するツーマン運行も考慮し、方向幕は中扉の上部に設置されていた[135]。1978年からはワンマン運行の拡大にともない、中型バスもワンマン化対応となった[136]。大型路線バスの導入はこの頃から1989年まで途絶える[137]。
この頃には中央高速バス甲府線の運行が開始され、山梨交通では当初よりいすゞ・CRA580型ハイデッカーを導入した[138] が、当時の高速バスではハイデッカーはまだ稀少な存在であった[44]。
1980年代以降の車両概説
国際興業グループに入ってからは、新車の導入は基本的にいすゞ車に統一されている[36] が、譲り受けた車両や受託運行用の車両においてはこの限りではない。2018年10月1日時点で、山梨交通全体で232台のバスを保有している[2]。
路線車の仕様
路線バスは前中扉仕様[注釈 13]・中扉は引き戸が基本仕様であるが、1989年から1994年までに導入された車両では前後扉仕様[注釈 15] で導入を行っていた[139]。冷房車は1977年以降の新車で導入された[135]。1980年代は大型車の導入は行われていなかった[137] が、1989年からは大型車の導入も再開された[140]。細かい仕様の違いとしては、1981年式から前面方向幕の幅が広くなり[136]、1983年式からは天地方向にも拡大した大型方向幕となり[136]、1988年からは後部方向幕の装備も開始された[137][注釈 16]。また、扉脇の出入口表示については、1987年式までは電照式だった[137] ものを1988年からは表示板に変更した。このほか、身延地区の路線用として日野レインボーRBの導入実績がある[137]。
2001年以降に新車で導入された路線バス車両は全てノンステップバス(大型・中型とも)となっている[141]。また、2007年までは静岡営業所に導入される車両を除いて全て天然ガスバス(CNGバス)であった[141] が、2008年以降は山梨県内の営業所に於いてもディーゼルエンジン車を導入している[141]。その一方、1998年までは新車のみの導入であったが、1999年からは中古車の導入が開始された[142]。路線バスでは主に親会社だった国際興業から移籍してくることが多く、特に2007年に国際興業から転入した大型ノンステップバスは、日本で初めてのノンステップバス譲渡事例である[143][注釈 17]。川崎市バスなど他事業者からの移籍車も存在する[52]。
また、コミュニティバス用や受託運行用の車両としては、協同観光バスから購入したクセニッツCITY-III[144] や日産シビリアンクラシックバス[144]、日野製のレトロバス[144] 等の導入実績がある。
車椅子リフトバス・CNGバス・水素燃料バスについては後述。
高速車・貸切車
高速車・貸切車にはJRバス関東・淡路交通などから譲受した車両もあり[145]、特にイースタン観光から譲受した貸切車は富士重工業製車体であった[146]。また、夜行高速バスの運行開始にあたっては、近鉄バスから日野・グランデッカが転入し、新路線開設時のリスク軽減に役立った[52]。さらに、2008年には国際興業大阪より日野・セレガが転入した。
また、1989年までは山梨観光自動車がいすゞ車以外を導入していた関係で、貸切車に三菱ふそう・エアロミディMMが1台だけ残存していた。
2021年10月から12月まで日の丸自動車興業より「スカイバス東京」のネオプラン・スペースライナーのオープントップバスを借り入れ、甲府駅から昇仙峡への日帰りツアーを運行した[147]。
特徴的な車両
山梨県が独自の補助金制度を導入していることもあり、特殊な車両の導入においては、日本のバス業界でも初期の導入となるケースが見られる[8]。
- 車椅子リフトつき車両
- 1993年6月に3台が導入されたが、これは民営バス事業者では日本で初の導入事例であった[8]。その後、1994年・1995年にも2台ずつ追加導入されている[148]。
- CNGバス
- CNGバスは同じ山梨県内の富士急行に続き、1999年から導入を開始している。1999年から2000年にかけて導入された14台は標準床仕様で[53]、当時まだ開発されたばかりであったいすゞ製の中型CNGバスを導入したが、いすゞ中型CNGバスの導入は日本で初めてである[8]。さらに2001年以降はいすゞ製の中型CNGノンステップバスを採用したが、これもいすゞが開発した中型CNGノンステップバスでは最初の導入事例である[53]。2002年には大型CNGノンステップバスも導入され、2006年の時点では保有する路線バス車両の20%以上がCNGバスとなっており[53]、1社単独では最大のCNGバス導入事業者であった[注釈 18]。近年は路線の移管と同時にCNGバスが移籍するケースも見られるようになっているが、2013年以降はCNGバスの導入は新製、移籍車ともない。
- 水素燃料バス
- 2012年4月9日から実証運行として導入された、日本で初めての営業運行となる水素燃料バスである[72]。車両自体は2000年式の日野リエッセを改造したもの[72] で、伊勢町営業所に配置された[72]。
車両塗装
路線車の塗装
戦後の塗装デザインは、緑色をベースとして、屋根と窓回りに山吹色に近い黄色、裾にはオレンジ色で波形としたデザインであった[149]。この色は1968年頃まで使用された[149]。
1954年にはパールホワイトにローズピンクのラインとグレーの翼模様を入れたデザインが導入された[150]。当初は貸切車のデザインであった[150] が、路線車もこのデザインに変更された[150]。ただし、塗り替えはほとんど行われなかったため、先代のカラーリングもしばらくは見ることができた[149]。
1988年から採用された塗装デザインは、クリーム色をベースとして、ブルーのラインを後部で立ち上がるようにデザインし、腰板前方にはワインレッドを配した上、ブドウのステッカーを貼付したものであった[151]。その前のカラーリングの車両も1995年までに塗り替えが行われた[151]。
1999年に国際興業から譲受したいすゞキュービックLTは薄いグリーンが草色となっている国際興業のカラーリングそのままで導入されており[139]、その後の1999年に導入したCNGバスのモデルチェンジを機に、国際興業のノンステップバスで採用された黄緑色の使用されているデザインに変更された[142]。これは、国際興業グループで子会社のバスを国際興業カラーに統一する先駆けとなったものといえる。
高速車・貸切車の塗装
高速車・貸切車については、国際興業グループ入りするまでは路線車と同じデザインであった。なお、山梨観光自動車はクリームに赤と白を配した独自のデザインが採用されていた[150]。
国際興業グループ入りしてからの高速車・貸切車は国際興業標準色(ブルーリボンカラー)であるが、スーパガーラ導入後の自社発注車両では、フロントガラス下部から側面にかけてをブロンズ色としている[152] 他、側面のロゴの書体も異なり、ぶどうのステッカーを貼付[152][注釈 19]、フロントマスクの塗り分けが国際興業グループ他社とが異なる。また、国際興業から転入した車両はそのままのデザインで使用され、さらに一部の高速バスには武田信玄(風林火山)や身延山のシールが貼られるほか、車体後部面を活用したラッピング仕様車が増えている。
専用車両
YBSツアー用
YBS T&Lから委託される形でツアー用車両を保有している。初代(ガーラ)と2代目(2代目ガーラ)は白地に赤のラインが入った山日YBSグループのコーポレートカラーをイメージしたものであったが、現在使用されている3代目(2代目ガーラ)は紺地に山日YBSグループのシンボルマークや「YBSツアー」ゴ金色でが貼り付られており、専らYBS T&Lのツアーのみに使用されている。
-
YBSツアー専用観光バス「わっピィ1号」(山交タウンコーチ甲府営業所・B431)
-
YBSツアー専用観光バス「わっピィ2号」(山交タウンコーチ甲府営業所・B452)。後方は「わっピィ1号」。
-
YBSツアー専用観光バス「わっピィ3号」(甲府営業所・B488)
ヴァンフォーレ甲府用
ヴァンフォーレ甲府用として2023年まで使用されていたバスは国際興業標準色に側面のブドウの部分がヴァンフォーレ甲府のエンブレム、前面フロントガラス下部および側面後方部にはヴァンフォーレ甲府のロゴが貼付されているものとなっていた。2024年2月1日に新しいチームバス(2代目ガーラ)が公開され[153]、外装は紺と黒を基調としたフルラッピングにヴァンフォーレ甲府のエンブレムと第102回天皇杯サッカー選手権大会で優勝した星マークが掲げられており、内装もヘッドレストカバーがヴァンフォーレ甲府のカラーとロゴおよび金星を装飾したものとなっている。なお、チームバスとして使用しない時は観光用として貸出を行なっている。
社番記号
山梨交通の所属車両に付けられている記号は、「英文字1字」+「3桁以内の数字」で構成される[140]。ただし、コミュニティバスやグループ各社では、登録番号がそのまま使用される[140]。先頭の英文字については以下の法則による[139]。
- A…乗合ツーマン車(現存車なし)
- B…貸切車
- C…乗合ワンマン車
注釈
- ^ a b 沿線住民は電車線をこのように呼んでいた。『山梨交通60年史』 p.48の記述では、山梨馬車鉄道も「ガタ馬車」と呼ばれていたことにもふれており、この呼び方は「甲州人独特の親しみを込めた表現ではないか」と推測されている。
- ^ 小佐野賢治が東京急行電鉄の実質的な創業者である五島慶太と親交があったことから、東急と西武の対立が飛び火した感もあった、ともみられている[32]。ただし、堤は山梨交通の経営を引き受けるつもりはなく[35]、友人であった河西から頼まれるままに株を買い集めただけであったという[35]。
- ^ これは後に熊王徳平の『虎と狼』など、小説の題材にもなっている[32]。
- ^ これ以後、堤と小佐野賢治の関係は良好であったという[37]。
- ^ バス路線の終点で、最終便を翌朝の始発便で戻すため、バスをそこに止めて乗務員も一泊すること。
- ^ 1974年に正式に廃止[44]。
- ^ 1990年に静岡鉄道も撤退した[44]。
- ^ この時は伊那線の運行系統新設扱いで、運行区間も中央道茅野までであった[45]。
- ^ 移管前の同年8月1日に山梨観光自動車から社名変更している[60]。
- ^ この路線のルーツとなる急行便は貢川営業所の担当で、1954年(昭和29年)7月1日より静岡鉄道(現・しずてつジャストライン)との共同で運行開始された[21]。しかし1964年(昭和39年)、身延線に優等列車である準急「富士川」が運行を開始すると、その後の静岡への延伸、本数の増回によって利便性や所要時間で劣勢に立たされ、さらに沿道の過疎化やモータリゼーションの発達により次第に利用客が減少していった。そして1978年(昭和53年)に山梨交通は運行から撤退した[44]。
- ^ 2018年8月26日で閉鎖。
- ^ 現在はコジマNEW甲府店として営業中。
- ^ a b 前扉と中扉を配置した仕様。
- ^ ただし、当初は前乗り前降り方式であった[40]。乗降方式が中乗り前降り方式になったのは1982年以降である[42]。
- ^ 前扉と後扉を配置した仕様。
- ^ 後面も大型方向幕である。
- ^ 2012年には大型と中型のCNGノンステップバスが移籍してきた(現在は全て廃車になっている)。
- ^ 地域子会社を含めた場合は富士急行グループが最大。
- ^ クリスタルライナー専用車のみ甲府市の鳥であるカワセミのステッカー。
出典
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- ^ “路線バスの乗客から「不自然な場所にスマホ」と通報、盗撮目的で設置の運転手逮捕”. 読売新聞オンライン (2021年9月29日). 2023年2月21日閲覧。
- ^ “弊社路線バス運転者の不祥事による逮捕についてのお詫び”. 山梨交通株式会社. 2023年2月21日閲覧。
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