【入間基地】(いるまきち)
JASDF Iruma Airbase.
埼玉県狭山市・入間市域に所在する、防衛省(航空自衛隊)管理の軍用飛行場。
中部航空方面隊司令部を筆頭に、後述する様々な部隊が置かれ、首都防空の要として約4,300人の隊員を擁している。
ただし、環境保持に関する地元との協定により、アフターバーナーを装備する機体を運用できないため、戦闘機部隊は百里基地に配備されている。
また、自衛隊における兵站の一大拠点としての役割も果たしており、全国航空輸送網の中枢ターミナルとして、航空輸送人員約85,000人、航空輸送貨物年間約2,500トンを扱っている他、埼玉県警察航空隊の運航基地も本基地に隣接して置かれている。
本基地のルーツは、昭和13(1938)年に旧帝国陸軍の航空士官学校が所沢から移転してきたことにはじまる。
以後、陸軍の航空兵科に勤務する初級幹部の育成拠点として活用されてきたが、終戦にともなってアメリカ空軍に接収され、「ジョンソン基地」と名づけられて第5空軍の拠点となった。
その後、昭和29(1954)年に用地の一部がアメリカから返還されて航空自衛隊が使用することになり、昭和33(1958)年に中部航空方面隊司令部が設置され、「入間基地」が誕生した。
以後、アメリカ空軍の管理地は徐々に縮小されていき、昭和53(1978)年には日本に全面返還、航空自衛隊の主要基地として現在に至る。
空港情報
種別:軍用
滑走路:2,000×45(17/35)
3レターコード:none
4レターコード:RJTJ
自衛隊の配備部隊
その他の官公庁航空組織
入間基地
入間飛行場 Iruma Air Base | |||||||
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![]() 入間飛行場 | |||||||
IATA: なし - ICAO: RJTJ | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 |
![]() | ||||||
所在地 | 埼玉県狭山市・入間市 | ||||||
種類 | 軍用 | ||||||
所有者 | 防衛省 | ||||||
運営者 | 航空自衛隊 | ||||||
運用時間 | 24時間 | ||||||
所在部隊 |
中部航空方面隊 中部航空警戒管制団 第1高射群 航空救難団 第2輸送航空隊 第3補給処 第4補給処ほか | ||||||
標高 | 90 m (295 ft) | ||||||
座標 | 北緯35度50分31秒 東経139度24分38秒 / 北緯35.84194度 東経139.41056度 | ||||||
地図 | |||||||
空港の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
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空港の一覧 |

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
入間基地(いるまきち、JASDF Iruma Air Base)は、埼玉県狭山市・入間市域にまたがる航空自衛隊の基地。所在地は埼玉県狭山市稲荷山2-3。
概要
航空自衛隊における4個航空方面隊のひとつであり、南東北・関東・中部・近畿地域26都府県の防空を担当する中部航空方面隊司令部が置かれている主要基地であり、人員において最大の規模を誇る。基地司令は中部航空警戒管制団司令が兼務。
飛行隊、航空救難団司令部、飛行点検隊、地対空誘導弾ペトリオットを備えた中部高射群(関東・中部・近畿・四国・中国地方(山口県を除く)31都府県を担当)[要出典]等、様々な部隊が配備されているが、住宅地からなる地元と協定を結んでいることから輸送機等が主体で戦闘機の運用はないが、戦闘機搭乗員の耐G訓練等を実施する航空医学実験隊の『加速度訓練科』等がある[1]。
基地誘導路の南端東側に埼玉県警察のヘリポートとハンガーがあり、それらの施設で県警航空隊がヘリコプターを運用している(北緯35度50分13.6秒 東経139度24分58.1秒 / 北緯35.837111度 東経139.416139度)。
狭山市役所と県警狭山警察署に隣接し、司令部等を含む敷地の大部分である9割が狭山市域にある[2](1割は入間市域)。構内には航空自衛隊で唯一となる託児施設が存在する[3]。
基地に隣接して旧東町側留保地と呼ばれる約28haの米軍基地跡地がある。防衛省はここに自衛隊病院や、首都圏直下地震などを想定した災害対応拠点の建設を計画しており、入間市は2015年に同意した[4]。
2022年3月に基地に隣接する旧東町側留保地に自衛隊病院入間病院が開院した[5][6]。
百里飛行場(茨城空港)のように共用化の構想も存在する。(後述の入間基地共用化構想を参照)
航空管制
種類 | 周波数 |
---|---|
GND | 275.8MHz |
TWR | 122.05MHz,126.2MHz,236.8MHz,322.2MHz |
GCA | 125.30MHz,225.40MHz,335.60MHz,258.20MHz |
YOKOTA APP | 118.3MHz,270.6MHz |
YOKOTA DEP | 122.1MHz,363.8MHz |
RESCUE | 123.1xMHz,138.05MHz,247.0xMHz |
太字は主周波数。
- GND,TWR,RESCUEは、入間管制隊が担当。
- APP,DEPは、横田基地が担当。
- 小文字のxは、周波数が変動することを示す。
航空保安無線施設
局名 | 種類 | 周波数 | 識別信号 |
---|---|---|---|
入間 | TACAN | 1004MHz | YLT |
- 保守は、入間管制隊が担当。
配置部隊・機関
以下のうち、基地正門に設置されていた部隊表記及び基地内の表札等は2015年11月現在、第4補給処等の一部部隊を除き撤去されている[7]。
- 中部航空方面隊隷下
- 中部航空方面隊司令部
- 中部航空警戒管制団
- 中部高射群
- 中部高射群本部
- 指揮所運用隊
- 整備補給隊
- 第4高射隊
- 中部航空方面隊司令部支援飛行隊
- 中部航空施設隊
- 本部
- 第1作業隊
- 航空総隊直轄
- 航空支援集団隷下
- 航空開発実験集団隷下
- 防衛大臣直轄部隊等
- (航空警務隊)入間地方警務隊
- 情報本部隷下
- (電波部)
- (大井通信所)入間通信支所
主な所属機

航空自衛隊
- YS-11:航空戦術教導団電子作戦群(EA, EB)
- T-4:中部航空方面隊司令部支援飛行隊
- C-1:第2輸送航空隊、航空戦術教導団電子作戦群(EC-1)
- C-2:第2輸送航空隊、航空戦術教導団電子作戦群(RC-2)
- U-4:第2輸送航空隊、中部航空方面隊司令部支援飛行隊
- U-125:飛行点検隊
- U-680A:飛行点検隊
- CH-47:入間ヘリコプター空輸隊
主なその他装備
- 地対空誘導弾ペトリオット(第1高射群)
基地データ
歴史

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成



- 1938年(昭和13年)5月 - 帝国陸軍航空部隊の現役航空兵科将校を養成する士官学校である陸軍航空士官学校分校(当時は陸軍士官学校の分校)が、入間郡所沢町(現・所沢市)の所沢陸軍飛行場から入間郡豊岡町(現・入間市)に移転。航空神社(修武台航空神社)を遷座。
- 1940年(昭和15年)1月7日 - 豊岡陸軍飛行場完成。
- 1941年(昭和16年)3月 - 行幸の昭和天皇より、航士に対して「修武台」の名が与えられる。
- 1945年(昭和20年)9月 - 太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦により、アメリカ陸軍航空軍第5空軍が同地に進駐、航士・飛行場等を接収。
- 10月 - 航士閉校。
- 1946年(昭和21年) - 22機を撃墜し、接収直後の45年10月に殉職した“ジャングル・エース”こと故ジェラルド・R・ジョンソン大佐[注釈 1]を偲んでジョンソン基地と命名[11]。航空神社は所沢市北野の北野天神社境内へ移設。
- 1952年(昭和27年)3月1日 - アメリカ空軍第41航空師団司令部編成。
- 1954年(昭和29年)7月 - 航空自衛隊発足。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 航空自衛隊臨時航空訓練部設置[12](航空集団〈のちの航空総隊〉の前身)
- 1957年(昭和32年)8月1日:臨時航空訓練部を解散(府中基地に「航空集団」を編成)。
- 1958年(昭和33年) 8月 - 中部航空方面隊司令部・中部航空警戒管制群編成により、入間基地開設[11]。
- 1960年(昭和35年) - 航空救難隊本部が浜松南基地から移動。
- 1961年(昭和36年) - 日米共同使用協定を締結[11]。
- 1962年(昭和37年)6月28日 - 第41航空師団司令部、横田飛行場に移転。
- 1962年(昭和37年) - 第7航空団、偵察航空隊が松島基地から移動。入間救難分遣隊が新編。
- 1963年(昭和38年) - 飛行場地区の管理運用が米軍から航空自衛隊に変更[11]。
- 1964年(昭和39年) - 入間救難分遣隊が入間救難隊に改編。
- 1967年(昭和42年) - 第7航空団が百里基地へ移動。
- 1968年(昭和43年) - 木更津から輸送航空団が移動。入間救難隊が救難任務を解かれ廃止。
- 1971年(昭和46年) - 航空救難隊本部が航空救難団に改編。
- 1973年(昭和48年) - 入間航空隊にC-1輸送機が配備。
- 1974年(昭和49年) - 偵察航空隊が百里基地へ移動。
- 1978年(昭和53年) - 輸送航空団を第2輸送航空隊に改編。基地が米軍から全面返還される[11]。
- 1981年(昭和56年) - F-86ブルーインパルス最後の展示飛行が行われる[14]。
- 1986年(昭和61年) - 帝国陸軍航空部隊および空自の歴史資料館として、旧航士の本部校舎を利用した「修武台記念館」を開館。
- 1987年(昭和62年) - 入間基地の一部が日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(横田飛行場の一部として追加提供)[15]。
- 1988年(昭和63年) - 入間ヘリコプター空輸隊が新編。「修武台記念館」開館を契機に、旧航士時代の航空神社が奉還再興される。
- 1989年(平成元年)3月16日:航空実験団・航空医学実験隊等を改編・統合して「航空開発実験集団」が新編[16]。
- 1997年(平成9年) - 第2輸送航空隊に多用途支援機U-4が配備。
- 1999年(平成11年)11月22日 - T-33練習機が民家を避けて入間川河川敷に墜落し、その際に東京電力の送電線を切断したため、埼玉県南部及び東京都西部を中心とする約80万世帯が停電、並びに信号機および鉄道が停止する(T-33A入間川墜落事故)。
- 2000年(平成12年) - 倉庫から火災が発生し、付近を通る西武池袋線が運休する被害を与えた。
- 2005年(平成17年) - 建物老朽化・リニューアルのため「修武台記念館」を閉館(のち「航空歴史資料館 修武台記念館」)[17])。
- 2006年(平成18年)12月15日 - 航空医学実験隊の総務部、第3部、第4部が立川分屯基地から移動。
- 2007年(平成19年)3月30日 - 第4高射隊に地対空誘導弾ペトリオットの最新型(PAC-3)が配備された(空自の高射隊の中で最初)。
- 2008年(平成20年) - 50周年[18]。
- 2011年(平成23年) - 東北地方太平洋沖地震の発生に伴い、航空救難団などは人命救助や物資輸送及び被害復旧、並びに福島原発事故における消火活動及び給水支援等を実施[19]。このため、4月23日に予定していたランウェイウォークは中止された[20]。
- 2012年(平成24年)3月1日 - 空自隊員に対する航空歴史教育を行う場として、 2005年に閉館した「修武台記念館」を「航空歴史資料館 修武台記念館」にリニューアル[17]。
- 2013年(平成25年) - 航空保安管制群本部及び電子開発実験群が府中基地へ移動。
- 2014年(平成26年)
- 2016年4月6日 - 鹿屋航空基地で電波航法設備を点検中のU-125が、基地の北側にある高隈山地・御岳に墜落。乗員6名全員死亡(U-125御岳墜落事故)。
- 2018年(平成30年):飛行管理隊が府中基地へ移動。
- 2020年(令和 2年)
- 2021年(令和3年)2月17日 - 第2輸送航空隊にC-2が配備[23][24]。
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)3月16日 - 第1高射群と第4高射群が統合し中部高射群へ改編[27]。航空安全管理隊が立川分屯基地から移動。
- 2025年(令和6年)3月24日 - 航空医学実験隊と航空安全管理隊を廃止し、航空開発実験集団隷下に航空医学安全研究隊を新編[28][29]。

イベント

- 毎年7月末頃、納涼祭が行われ、花火大会や盆踊り大会が行われる。
- 毎年11月3日に航空祭が開催され、基地敷地内が一般に開放される。東京都心から最もアクセスが良い基地のため、毎年多くの来場者で会場が賑わっている。戦闘機や輸送機などの地上展示や、輸送機からの落下傘、ブルーインパルスによる展示飛行などのイベントが行われる[14]。
- 航空祭では基地所属の司令部支援飛行隊が通常仕様のT-4によるアクロバットチーム『シルバーインパルス』を編成している。
- 毎年4月または5月にランウェイウォークが開催される。普段は立ち入ることのできない滑走路を歩くイベントで、航空機の地上展示なども行われる。航空祭とは違い抽選による参加となっている。
- 2016年より定期的に修武台記念館を一般公開している。
- 団体向けの基地見学を受け入れている。詳細は入間基地見学のご案内(同基地公式ホームページ)を参照。
- 2024年1月20日に令和5年度入間航空祭が開催される予定だったが、同月1日に発生した、令和6年能登半島地震による災害派遣活動を優先するため開催中止を発表した[30][31]。
入間基地共用化構想
航空自衛隊の百里基地を共用化して開港した茨城空港と同様に、民間の航空会社による旅客機乗り入れ構想が存在する。
構想の概要
基地東側、中部高射群の敷地南側に旅客ターミナル・駐機場を建設。駐機場・ゲートは3~4機分を想定。円滑な離発着・管理費削減のためボーディングブリッジ設置なしを想定(茨城空港と同様)
基地東側を走る西武新宿線には旅客ターミナル2階部分と直結の駅を設置。乗り入れ機材はエンブラエルE-Jet、B737、エアバスA320などのリージョナルジェット・中型機材を想定。行先は大阪国際空港(伊丹)、関西国際空港、神戸空港、福岡空港、北九州空港、新千歳空港、丘珠飛行場などが想定され、離着陸数は一日約60回を想定。
構想の経緯
首都圏第3空港構想
首都圏第3空港構想は、拡大する日本の首都圏の航空需要を満たすため、東京国際空港(羽田空港)や成田国際空港の両空港を補完する第3の空港を建設しようという構想である。米軍横田基地[32]・厚木航空基地などが候補地としてあげられたがいずれも国家間の問題となるため課題が残る。(経緯は首都圏第3空港構想を参照)また一部では茨城空港[33]、静岡空港[34]を首都圏第3空港とする意見もあるが、いずれも東京都心へのアクセスには難がある。
2023年以降、新型コロナウイルス感染症関連の規制が大幅に緩和され入国数が大幅に増加している。その受け皿として東京国際空港(羽田)・成田国際空港が活用されている。両空港の発着枠は限界に達しており、国内線の増発に制限がかかっている。[35]また東京国際空港(羽田)で特に顕著なのが拡張による所要時間増加である。D滑走路供用開始前の論文[36]においても出発から離陸までの平均所要時間は19分となっており、D滑走路発着がある現在では離陸前走行(タキシング)の所要時間はさらに増大しているものと考えられる。フライト時間が短い国内線において、離陸前走行時間は非常に大きな問題である。国際線がさらに増えるであろう東京国際空港(羽田)・成田国際空港両空港における国内線発着には、今後も大きな制限・所要時間増大が発生するといえる。
首都圏第3空港構想では長らく国際線メインの想定がされてきたが、以上のような状況を鑑みると首都圏と国内主要都市をスムーズに結ぶ国内線専用空港の重要性が高まっている。すなわち大規模なターミナル・長い滑走路の必要性は薄いといえる。
以上のような状況下で生まれたのが入間基地共用化構想である。滑走路長2000mと、他候補地に比べて短い。その一方で松本空港、富山空港、出雲空港など滑走路長2000mの空港は多くあり、問題なく運用されている。
新宿・池袋といった副都心エリアへのアクセスも良好で、西武新宿線利用を前提とした旅客ターミナル駅~西武新宿駅間の所要時間は約40分である(東日本旅客鉄道新宿駅~京浜急行電鉄羽田空港第1・第2ターミナル駅の所要時間は約47分。羽田空港アクセス線西山手ルート完成後の新宿駅~羽田空港駅間の所要時間は約23分を予定)首都圏第3の空港として十分利用できる範囲といえる。
多摩地域・埼玉県西部の利便性向上
入間基地周辺の埼玉県西部・多摩地域(いわゆる武蔵野地域)は空港アクセス・新幹線駅アクセスに課題があり[37]以前より改善が求められてきた。羽田空港アクセス線の西山手ルート・中央新幹線の橋本駅開業により同地域の空港アクセス・新幹線駅アクセスは一定程度改善される見込みであるが下記の通り課題が存在する。
羽田空港アクセス線西山手ルートの建設はその工事難度から着工・完成時期などは全く決定していない。[38]また西山手ルート開業によりJR中央線・西武新宿線・西武池袋線・東武東上線・京王線などの副都心にターミナル駅を持つ各路線沿線からの東京国際空港(羽田)アクセスは大幅に改善されるが、ラッシュ時間帯の場合は混雑・所要時間増大・遅延が想定される。キャリーケースなどを持って満員電車に乗車することになる。また空港アクセスにおいて「時間の正確さ」を重視する声も多い。[39]加えて先述の通り東京国際空港(羽田)は拡張・混雑により国内線発着に大きな制限がかかっている。以上より羽田空港アクセス線西山手ルートによる武蔵野地域の空港アクセスには課題が残る。
中央新幹線の橋本駅開業により、立川・国分寺などのJR中央線沿線、京王相模原線沿線の利便性は大幅に向上する。[40]その一方で西武鉄道・東武東上線沿線など橋本駅までのアクセスに難がある地域も多く武蔵野地域全域をカバーするのは難しい。また中央新幹線は名古屋までの部分開業に向けて建設中だが、各地で工事による影響が出ており開業時期は不透明な状況である。[41][42][43]名古屋以西(三重・奈良・大阪方面)は名古屋開業後の着工であるため、より一層不透明な状況である。[44]
以上のように、現状計画されている羽田空港アクセス線西山手ルート・中央新幹線には課題があり武蔵野地域の利便性向上には限界がある。そしていずれも未だ計画段階という側面が大きい。そこで生まれたのが武蔵野地域への空港設置構想である。先述の通り米軍横田基地の共用化には大きな壁がある。また武蔵野地域にとって重要なのは関西・福岡・札幌といった国内主要都市への所要時間短縮である。横田基地のような3000m級の滑走路は不要で、旅客ターミナルも小規模で十分だ。そこで注目されたのが入間基地である。
構想の課題
入間基地共用化構想には複数の課題がある。
横田空域
正式名称は横田進入管制区(よこたしんにゅうかんせいく)。横田飛行場(米空軍・空自横田基地)に対して設けられた進入管制区であり、2024年現在、在日米軍がこの空域の管制業務を行っている。入間基地共用化構想の最大の障壁とされるのが横田進入管制区の存在である。エリア内に存在する飛行場(横田基地、厚木海軍飛行場、キャンプ座間、入間基地、立川飛行場、調布飛行場)を発着する航空機と空域を通過する航空機に対して米軍が航空管制を行っている。日本国内の他の空域では国土交通省あるいは自衛隊の指示を受ける必要があるが、横田空域を飛行する航空機は原則として米軍の指示を受ける必要がある。[45]米軍からの指示が必要という側面はあるものの飛行を完全に制限するものではなく、「横田空域内は民間の旅客機は飛べない」という意見は誤解である。(領空と進入管制区を参照)なお、飛行ルートの選定には米軍との協議が必要でありこの点について少なからず影響があるのは事実である。2020年には東京国際空港(羽田)発着便が横田進入管制区内を通過する新ルートが設定された。新ルートについては国土交通省による管制が行われる。(詳細は羽田空港新飛行経路を参照)
建設について
自衛隊基地共用化の例として百里飛行場(茨城空港)がある。共用空港のため、同規模の空港では500億円程度かかっていた建設費が半分以下の220億円程度に抑えられた。[46]同時期に供用開始された東京国際空港(羽田)D滑走路の建設費は当時の金額で約6000億円にのぼる。[47]建設費は2000年代後半当時の金額であり、建設費高騰が問題となっている今日では同様の金額とはならないと考えられるが、入間基地共用化は既存の空港を拡張する構想に比べると大幅にコストを抑えることが可能といえる。参考としてつくばエクスプレス延伸に係る建設費は茨城空港手前の土浦延伸だけでも約1400億円と試算される。[48]
茨城空港では滑走路改修期間においても自衛隊機発着ができるよう新滑走路を建設した。[49]開港後は2本の滑走路を自衛隊・旅客機が共用している。入間基地においても旅客機乗り入れのためには滑走路改修工事が必須である。しかし敷地面積の面から、入間基地に2本目の滑走路を建設するのは困難である。入間基地の滑走路を主に使用するのは第2輸送航空隊、飛行点検隊、中部航空方面隊司令部支援飛行隊、航空戦術教導団電子作戦群などの部隊である。建設期間の数年間は近隣の自衛隊基地を使用、もしくは以下に後述するような部隊移転も視野に入れる必要がある。
自衛隊機能の一部移転
「配属部隊・機関」の項で記載している通り、入間基地には多くの部隊・機関が在籍する。その中でも、各組織の本部が置かれているのが特徴だ。まず中部航空方面隊司令部が置かれている。中部航空方面隊は首都防空だけではなく南東北・関東・中部地方・近畿地方にわたる広大な範囲の防空を担っている。浜松基地・岐阜基地への部隊移転のほか、関東所在が必須となる部隊については厚木基地・下総基地などへの移転の必要性も生じてくる。
採算性・効果
課題としてあげられるのが入間基地共用化による採算性・効果である。現状においては行政機関などによる具体的な試算が行わていないため数字による検証は不可能である。人口・武蔵野地域の特徴から利用を予測する。
いわゆる多摩地域の人口は約428万人である。このうち横浜エリアが近い町田・世田谷エリア隣接の狛江市を除くと約376万人。埼玉県西部については所沢市・川越市・狭山市・入間市・新座市・飯能市・坂戸市・東松山市・朝霞市・三芳町・志木市・富士見市・ふじみ野市・鶴ヶ島市・日高市に絞ったうえで約203万人(各自治体公表データより)である。以上よりメインの圏域人口は約580万人である。加えて、練馬区・杉並区への所要時間は30分程度である。東京国際空港(羽田)へは現状50分以上かかるエリアで新線開業を含めても所要時間は同等であるため十分圏域に含まれる。当該地域の人口は一貫して増加傾向にあり、今後の空港利用者数は一定程度見込むことができる。
また「武蔵野地域は目的地にならない」という意見も見られる。目的地性についても論じたい。周辺には武蔵工業団地・狭山工業団地・川越狭山工業団地を中心に多くの企業が集積する。小平市小川にはブリヂストン・羽村市には日野自動車羽村工場・府中市には東芝府中事業所が所在。多摩地域の商業集積地立川市には内閣府・警視庁・東京消防庁の各施設から構成される立川広域防災基地、東京地裁立川支部・東京地検立川支部・立川拘置所などの司法機関、その他さまざまな行政機関・研究施設が集積し国家の中枢を担っている。(詳細は立川市を参照)所沢市にはベルーナドームがありプロ野球の試合だけではなく多くのライブ・コンサートが開催される。そのほか立川ステージガーデン・味の素スタジアム・アリーナ立川立飛・府中の森芸術劇場などのスポーツ会場・コンサートホールが多く所在する。各興行開催に伴い、プロ野球関係者・コンサート関係者の移動も生じる。遠方から武蔵野地域を目指して移動する需要は少ないとはいえない。
以上のような移動に際して、現状は東京国際空港や東海道新幹線各駅までの移動が生じている。入間基地共用化によりこれらの移動が軽減され、円滑な出張・興行開催に繋がる。また数値的な計測は難しいが、キャリーケースを持った武蔵野地域⇔空港・新幹線駅の往来も減らすことができ、従来の地域間移動・通勤通学利用にも好影響があるだろう。
脚注
注釈
出典
- ^ 航空自衛隊入間基地
- ^ “入間基地の概要”. 狭山市 (2011年3月1日). 2011年11月1日閲覧。
- ^ 庁内託児施設一覧
- ^ 米軍跡地を災害拠点に 埼玉県入間市、防衛省案を受け入れ - 『日本経済新聞』朝刊2015年9月25日
- ^ “災害時の拠点にも 空自入間基地に病院”. FNNプライムオンライン. (2022年3月18日) 2022年3月19日閲覧。
- ^ “自衛隊入間病院 引越し編”. 防衛ホーム (2022年7月15日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ 空自入間基地 所属部隊の看板消える しんぶん赤旗2015年11月4日
- ^ 作戦システム運用隊作戦システム管理群の募集要項
- ^ a b 自衛隊法施行令及び防衛省の職員の給与等に関する法律施行令の一部を改正する政令(令和4年政令第57号)官報号外51号(令和4年〈2022年〉3月11日)
- ^ a b “自衛隊入間病院が開院、3病院を集約し高機能化 一般市民の2次救急患者も受け入れ 10診療科で60病床”. 埼玉新聞. (2022年3月18日) 2022年3月22日閲覧。
- ^ a b c d e f “入間基地のあゆみ”. 狭山市 (2011年3月1日). 2011年11月1日閲覧。
- ^ a b “基地跡地利用に関する年譜”. 入間市. 2024年1月23日閲覧。
- ^ 朝雲新聞社編集局 編『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年9月20日。
- ^ a b “航空自衛隊入間基地 [入間航空祭]”. 航空自衛隊. 2011年11月1日閲覧。
- ^ 昭和62年防衛施設庁告示第10号
- ^ 1989年度防衛白書
- ^ a b “教育講堂~旧修武台記念館についてお知らせ~”. 航空自衛隊 (2012年3月21日). 2012年11月6日閲覧。
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- ^ 防衛省 航空自衛隊Twitter
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参考文献
- 陸軍航空士官学校史刊行会編『陸軍航空士官学校』1996年
関連項目
- 西武鉄道池袋線稲荷山公園駅(当基地の敷地内に駅がある)
- 狭山稲荷山公園(米軍管轄時に住宅街となった地域)
- 彩の森入間公園(入間基地の敷地から県営公園に緑地化された)
- ジョンソン・タウン
- 航空自衛隊の基地一覧
- 青空少女隊(清水としみつ原作の漫画。当基地が舞台となっている)
- 日本沈没(2006年公開のリメイク版:当基地でも撮影が行われた)
- 図書館戦争(アニメ版に当基地をモチーフとした基地が登場する。実写映画版でも撮影協力)
- redballoon(デビューシングル「雪のツバサ」のミュージックプロモのロケで使われた)
- CHANGE(月9ドラマ:木村拓哉演じる総理が災害現場にヘリで向かうシーンのロケが行なわれた)
- RIVER(AKB48の曲:プロモーションビデオのロケが行われた)
- 峯岡山分屯基地
- 所沢通信基地
- 宮城事件
- 上原重太郎
- ロングプリー事件
外部リンク
- 航空自衛隊入間基地ホームページ
- 航空自衛隊入間基地(Official)(@jasdf_iruma) - Twitter
- 入間修武太鼓(@syubudaiko)- Twitter(駐屯地所属の自衛太鼓)
- JASDF Iruma Airbaseのページへのリンク