運用方針決定までとは? わかりやすく解説

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運用方針決定まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:04 UTC 版)

B-29 (航空機)」の記事における「運用方針決定まで」の解説

1943年1月開催されカサブランカ会談席上で、ジョージ・マーシャルアメリカ陸軍参謀総長は、中華民国基地とする戦略爆撃機で、日本工業強力な打撃与えて戦力粉砕すべきと提案しアーノルドがそのためにB-29という戦略爆撃機開発中であると報告したルーズベルト中華民国戦意高めるために、日本本土散発的でもいいので爆撃加えるべきと考えており、蔣介石に対してアーノルド重慶派遣して日本本土へ爆撃計画検討する告げたカサブランカ会談ののち、ルーズベルトの意を汲んだアーノルドは「蔣介石協議し日本の心臓部を直ち爆撃する基地獲得し、その準備終えようとしている」と演説した日本軍本土空襲対す警戒準備始めることになった。ちょうどこのころB-29試作機墜落し、この情報知った日本軍対策乗り出す日本陸軍軍務局長佐藤賢了少将委員長とするB-29対策委員会設置海外調査機関通じて資料収集する量産開始1943年9月~10月生産累計1944年6月480機・同年末千数百機という予想をたてた。この時点ではB-29性能把握しておらず、日本軍B-29ハワイ島ミッドウェー島から日本本土へ直接飛来する可能性考慮していた。東条英機陸軍大臣は「敵の出鼻を叩くために一機対一機の体当たりでゆく」と強調した1943年6月にR-3350-13sエンジンからR-3350-21sエンジンアップグレードされた実用実験機のYB-29が飛行開始したB-29開発状況つぶさに見ていたアーノルドは、実験機不具合故障出し尽くし外地基地作り本格的な運用開始できるのは1年後になると見積もったが、その予測をもとに「我々はB-29爆撃目標ドイツとは考えなかった。B-29作戦準備が整うまでに、B-17やB-24が、ドイツドイツ占領地域の工業力、通信網そのほか軍事目標大半を、すでに破壊してしまっている」と考えてB-29日本に対して使用しよう決めている。 1943年5月に、ワシントンD.C.フランクリン・ルーズベルト大統領ウィンストン・チャーチル首相アメリカ・イギリス連合本部が、対日戦におけるB-29使用方法検討した会議中心B-29基地をどこに置くかであったが、連合軍支配地域対日爆撃基地として使えそうなのは、中華民国湖南省であり、東京から2,400kmかなたのここを基地とする「セッティング・サン(日没)」計画立案された。しかし、中華民国中央部基地設ければ、日本軍支配地域囲まれることとなり、基地維持が困難であることは明白であった中国・ビルマ・インド戦域アメリカ陸軍司令官ジョセフ・スティルウェル中将は「それらの爆撃攻勢対し日本軍は陸空の大規模な作戦をもって猛烈に反撃するであろう」と、ドーリットル空襲対し日本浙贛作戦行ったことや、飛行場防衛するために多大な戦力必要になる計画修正必要性訴えた。そのため、セッティング・サン計画代案として、補給容易なインドカルカッタ地区根拠基地とし、桂林長沙沿う数か所に前進基地設けて爆撃任務の時だけ用いる「トワイライト薄明り)」計画立案された。 1943年8月ケベック会談ではB-29使用戦略一つ挙げられトワイライト計画議題となった会議ではトワイライト計画自体否定されたが、インド中華民国連携基地という概念残りカルカッタ基地飛び立ったB-29は、中華民国前進基地余分な燃料下ろして爆弾搭載して日本本土爆撃に向かうといったトワイライト計画の修正計画検討されることとなった。この時点での日本本土爆撃計画は、1944年10月B-2928機ずつの10航空群(合計280機)から始め、のちに780機まで増強されたB-291か月に5回出撃すれば、日本本土目標十分に破壊しさり、12か月以内日本屈服させることができるという楽観的なものであった1943年10月13日アーノルドとスティルウェルがトワイライト作戦改訂案をルーズベルト提出。それによれば前進基地四川省成都とし、日本本土攻撃開始1944年4月1日前倒しにした。ルーズベルトはこれを承認し計画マッターホルン作戦名付けられた。ルーズベルトマッターホルン作戦承認すると、チャーチルに「我々は来年早々、新爆撃機B-29をもって日本強力な打撃与え準備中である。日本の軍事力を支えている製鉄工業原動力となっている満州および九州炭鉱地帯は、中華民国成都地区からの爆撃機行動圏内に入ることになる」「この重爆は、カルカッタ付近に建設中基地から飛ばすことができる。これは大胆であるが、実行可能な計画である。この作戦の遂行によって、アジアにおける連合軍の勝利促進できるだろう」という手紙送って協力要請し蔣介石に対して1944年3月末までに成都地区に5個の飛行場絶対に建設するよう指示した太平洋戦いにおいては、軍の指揮権が、ダグラス・マッカーサー大将率いアメリカ陸軍主力連合国南西太平洋軍英語版)(SWPA)と、チェスター・ニミッツ提督率いアメリカ海軍、アメリカ海兵隊主力連合国太平洋軍英語版)(POA)の2つ分権されていた。このことで、陸軍海軍主導権争い激化しており、マッカーサー自分への指揮権統合主張していた。マッカーサーバターン戦い英語版)の屈辱早くはらしたいとしてニューギニア経由して早急なフィリピン奪還主張していたが、栄誉独占しようというマッカーサー警戒していたアーネスト・キング海軍作戦部長強硬に反対していた。キング従来からのアメリカ海軍対日戦ドクトリンであるオレンジ計画に基づき太平洋中央の海路による進撃主張していたが、なかでもマリアナ諸島日本本土南方日本軍基地とを結ぶ後方連絡線中間位置しフィリピン南方資源地帯に至る日本にとっての太平洋生命線で、これを攻略できればその後さらに西方日本方面)にある台湾中国本土への侵攻基地となるうえ、日本本土封鎖して経済的に息の根を止めるともできる考え、その攻略を急ぐべきだと考えていた。 アーノルドも、中国からではB-29航続距離をもってしても九州爆撃するのが精いっぱいで、より日本本土に近い基地が必要であると考えており、マリアナにその白羽の矢立てていた。マリアナ基地として確保できればほぼ日全域空襲圏内収めることができるうえ、補給量が限られる空路に頼らざるを得ない中国内のB-29前進基地比較すると、マリアナへは海路大量物資安定的に補給できるのも、大きな理由となった。そこでアーノルドケベック会談においてマリアナからの日本本土空襲計画となる「日本撃破するための航空攻撃計画」を提案しているが、ここでは採択までには至らなかった。キングアーノルド互いに目的異なとはいえ、同じマリアナ攻略検討していることを知ると接近し両名フィリピンへの早期侵攻主張するマッカーサー理解示していた陸軍参謀総長マーシャルに、マリアナ戦略的価値説き続けついには納得させた。一方でマッカーサーも、真珠湾から3,000マイルもっとも近いアメリカ軍基地エニウェトクからでも1,000マイルの大遠征作戦となるマリアナ侵攻作戦に不安を抱いていたニミッツ抱き込んでマリアナ攻略断念主張したアーノルドと同じアメリカ陸軍航空軍所属ながらマッカーサー腹心でもあった極東空軍(Far East Air Force, FEAF)司令官ジョージ・ケニー(英語版少将マッカーサーの肩を持ちマリアナからでは戦闘機護衛不可能であり、護衛なければB-29高高度からの爆撃余儀なくされ、精度お粗末になるだろう。こうした空襲は『曲芸以外の何物でもない」と上官でもあるアーノルド作戦計画嘲笑うのような反論行った。 しかし、陸海軍有力者である、マーシャルキングアーノルド信念は全く揺らぐことなくマッカーサーケニーらの反論撥ねつけた。キング計画では、マリアナB-29拠点として活用することは主たる作戦目的ではなくキングが自らの計画推し進めるべく、陸軍航空軍アーノルド味方にするために付け加えられたのに過ぎなかったが、キングアーノルド最終的な目的異なとは言え手を結んだことは、自分戦線優先主張するマッカーサーや、ナチスドイツ打倒優先主張するチャーチルによって停滞していた太平洋戦線戦略計画立案停滞状況打破することとなった1943年12月カイロ会談において、1944年10月マリアナ攻略と、アーノルドの「日本撃破するための航空攻撃計画」も承認され会議文書に「日本本土戦略爆撃のために戦略爆撃部隊グアムテニアンサイパン設置する」という文言織り込まれて、マリアナからの日本本土空襲決定された。その後も、マッカーサーマリアナ攻略より自分担当する西太平洋戦域戦力集中すべきであるという主張変えなかったため、1944年3月アメリカ統合参謀本部ワシントン太平洋における戦略論争に決着をつけるための会議を開催しマッカーサー代理会議出席していたリチャード・サザランド中将には、統合参謀本部方針に従って西太平洋方面での限定的な攻勢進めこととい勧告なされるとともにニミッツに対してマリアナ侵攻のフォレージャー作戦掠奪者作戦)を1944年6月前倒しすることが決定された。

※この「運用方針決定まで」の解説は、「B-29 (航空機)」の解説の一部です。
「運用方針決定まで」を含む「B-29 (航空機)」の記事については、「B-29 (航空機)」の概要を参照ください。

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