運用末期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 01:52 UTC 版)
「京阪1000型電車 (2代)」の記事における「運用末期」の解説
1000型・1100型は張り上げ屋根であったが、1953年までに側面幕板部に樋が設置されている。1810系就役によって特急運用を離脱した1956年、1000型はクロスシートをロングシートに改造されると同時に、貫通側の運転台を撤去した。1958年には1100型も同様に片運転台化、1500型は中間車化された。 1960年からは地下線による淀屋橋乗り入れに備えて天井を金属化、車内照明が蛍光灯に変更され、側面窓には保護棒が設置されている。続いて1962年には車内放送装置と扇風機が設置された。1964年には流線型側の先頭車にジャンパ栓を設置し、これにより流線型先頭車同士が向かい合っても連結可能とした。 その後1966年から、おもに正面窓がアルミサッシに取り替えられ、1967年ごろからは、一部車両の台車が600系 (2代)と同様に、板ばねによる枕ばねをオイルダンパ付コイルばねに交換改造されている。 1964年から1965年にかけて、1515 - 1518を電装し中間電動車の1280型1281 - 1284に改番し、1968年には1203と1204も運転台を両方とも撤去して1285・1286となった。また、1505は1966年8月に当時の蒲生信号所で発生した追突事故に遭遇し、休車処分の後そのまま廃車となっている。 特急運用離脱後も急行などに使用されてきた本系列であったが、600系 (2代)・2000系・2200系・2400系などの増備により、支線を中心とした普通列車やラッシュ時の三条からの宇治線直通急行の運用、および近鉄京都線(旧奈良電気鉄道)京都駅への乗り入れがメインとなった。しかし、特に車幅が狭く、収容力で見劣りがすることから、台車と電装品を流用した更新車両に作り替えることとなり、1968年から廃車が始まった。 1970年までに全車が廃車となり、700系 (2代)に走行機器は再利用された。
※この「運用末期」の解説は、「京阪1000型電車 (2代)」の解説の一部です。
「運用末期」を含む「京阪1000型電車 (2代)」の記事については、「京阪1000型電車 (2代)」の概要を参照ください。
- 運用末期のページへのリンク