京阪1000型電車 (2代)とは? わかりやすく解説

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京阪1000型電車 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 21:41 UTC 版)

京阪1000型電車(けいはん1000がたでんしゃ)は、京阪電気鉄道(京阪)が優等列車への充当を目的として1938年昭和13年)に導入した電車制御電動車)である。


注釈

  1. ^ 1949年に電装し全車同形式同番のまま制御電動車へ改造。1203・1204は1968年に運転台撤去の上で1280形1285・1286へ改番。
  2. ^ 1515 - 1518は1964年1965年電装し1280型電動車1281 - 1284へ逆順で改番。
  3. ^ 1950年運転開始。1000型と1500型が抜擢され、荒廃していた1000型のクロスシートが再整備された。
  4. ^ もっとも、全編成が同系車で統一されたのは長大編成化とM弁搭載車の車体更新が進んだ1960年代中盤から700系への更新までのごくわずかな期間に限られ、一部では1960年代に入っても500型以降1300系までの他形式との混結運用が見られた。
  5. ^ 京阪以外では、奈良電気鉄道クハボ600形、南海鉄道の南海線モハ2001形(昭和11年製車)モハ1201形、高野線モハ1251形・1321形、それに山手線クタ600形などに採用された。
  6. ^ その設置位置から、アンチクライマーとしての機能は全く期待できず、一種のステップ代用、あるいは単なる飾りとして取り付けられていたと見られる。ただし、戦後流線型運転台側にジャンパ栓やブレーキホース等を引き通して流線型運転台同士を向き合わせて連結運転を可能とする工事を行った際には、このアンチクライマーを延伸する形で大型のステップが取り付けられ、その下にジャンパ栓やブレーキホースの支持架が設置されており、これは思わぬ形で有効活用されることとなった。
  7. ^ 1928年鉄道省の指示で同社の手により客車用AVブレーキ装置のために開発された。従来日本の電車で多用されていたM三動弁で問題となっていた、常用ブレーキの多用後に非常ブレーキ不動作の危険性があった点が改良されたほか、ウェスティングハウス・エアブレーキ社(WABCO)製のM弁上位機種であるU自在弁(日本では新京阪鉄道P-6形電車などで採用)で採用された階段緩め機能なども採り入れられており、M弁とU弁を折衷して日本の国情に合わせた設計であった。なお、機能面では、M・U・Aの各弁はそれぞれ固有の機能を使用しない限りは混用が可能である。
  8. ^ うち5両は実際には戦争中に車体は完成・納入されていたが、艤装すべき機器が調達出来なかったため、戦後になって竣工した。

出典

  1. ^ 『京阪電車 車両の100年』p.27
  2. ^ 翌1949年9月28日付の毎日新聞阪神版朝刊記事によれば、1943年付随車として製造、1949年9月9日電動車に改造と記されている。
  3. ^ 毎日新聞阪神版1949年9月28日朝刊2面『〝焔の満員電車〟走る 旧京阪線香里園で 百丗五名が重軽傷』


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