落成後の改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 19:08 UTC 版)
「岡崎電気軌道200形電車」の記事における「落成後の改造」の解説
1927年(昭和2年)に岡崎電気軌道は三河鉄道と合併。1929年(昭和4年)には岡電の郡部線と三鉄線とを結ぶ三河岩脇駅・上挙母駅間が1,500 V電化で開業し、それに合わせ岡電の郡部線(大樹寺駅以北)も600 Vから1,500 Vに昇圧された。これにより600 V鉄道線用車両の200形は行き場を失い、市内線転属のため路面区間走行用の救助網と乗降用ステップが取り付けられた。これらの装備は後年、鉄道線運用に戻った際に取り外されている。 その後、岡崎線沿線にトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が進出。1938年(昭和13年)に挙母工場(現・本社工場)が操業を開始すると、岡崎線の輸送力増強のため車両数を増やすことになり、同年中に201を電装解除して鉄道線用付随車とした。この改造で201の電動機、制御器、集電装置が撤去されたほか、制動装置も手ブレーキとなった。車番も201から45(サハフ45)に改番しているが、これは既に1,500 V線区には三鉄が投入したデ200形(デ201)が存在したためである。 三鉄の名鉄合併後、202はモ460形(461)、サハフ45はサ2110形(2111)に改称された。このうちサ2110形は、運用末期に元・近江鉄道の車両が履いていたドイツ・リンケホフマン (LHL) 社製台車に換装されていた。 救助網を前面に装備した202 (参考)リンケホフマン台車画像はサ2250形2255のもの
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