論争・批判
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こうした判断基準に誰しもが同意しているものではない。また、セクトとみなされている団体についてこれら全ての判断基準が当てはまっているということでもなく、セクトとみなす基準がこれらだけであるということでもない。実際のところ、既存の判断基準には当てはまらず、規模も小さな新しい宗教グループが出現しているが、それらがセクトではないと保証されるわけではない。 今日では、教義そのものよりも、信徒(会員)に対する態度を重視して判断する。宗教団体ではないグループもセクト扱いするのは、このためである。 イギリスで遣われている二つの単語を比較してみると、フランス語における曖昧さを打ち消すことが出来る。先ず「sect」であるが、これは語源学的定義によるものであり、「sectes protestantes(プロテスタント派)」のように悪い意味合いを持たないものである。次に「cult」であるが、これはフランス語の「secte」の社会学的定義によるものである。 セクトの語意と適用に関する論争の大部分は、その語意の多様性起因するが、以下のような事例をみることができる。 語源学的意味 既存宗教の新たな宗派(教派) 強い否定的な意味 信徒(会員)を精神的に操作したとして罰せられたセクト的団体全て(学術的に厳密に定義される「破壊的カルト」) 広義での否定的意味 搾取目的で信徒(会員)を精神的に操作していると疑われている全ての組織(世俗的に無責任に用いられる蔑称としての「カルト」) 信仰体系や独自思想を持ち、精神的操作を行っていないと思われる「新たに始まった宗教」という意味(新宗教)。 市民によって付け加えられた2つの従属的意味が否定的なものであることから、宗教に批判的な者は、(問題のある)「セクト」と「宗教」の言葉の違いを最小限に留め、セクトの問題を宗教全体の問題としたいという思惑から、「新たに始まった宗教(=新興宗教)」という言葉を遣っている。これに対し、主要な宗教の擁護者は、「広義での否定的意味」を採用し、彼らが危険と判断する団体をおしなべてセクトと看做す。他方で、信教の自由を重んじる者は、有害性についての客観的判断を尊重し「強い否定的な意味」を採用するに留め、精神操作を行っていない宗教・思想団体に対する不当な疑惑が起きないよう、この用語の適用を控えている。 こうした異なった見解は、精神操作の概念を特定することの難しさに起因するものであり、とりわけ、宗教的「教化」と区別することが難しい。
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論争・批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:18 UTC 版)
デリダは、以下に挙げる思想家や哲学者と論争し、または批判を受けた。 レヴィナス「暴力と形而上学」(1964年)でレヴィナスの『全体性と無限』を取り上げ、レヴィナスの言説が存在論的言語を免れ得ない点に於いてその試みが不十分なものに終っていると指摘した。その後レヴィナスは『存在するとは別の仕方で 或いは存在の彼方へ』(1974年)でこの批判の超克を試みることとなる。デリダ自身も1980年代以降、レヴィナスとの思想的共鳴を強めるようになり、1995年のレヴィナスの訃報に際して弔辞を読む。これが『アデュー -エマニュエル・レヴィナスへ-』(1997年、邦訳2004年)として刊行された。 リクールデリダの『世紀と赦し(世俗と赦し)』をリクールが『記憶、歴史、忘却』の中で引用し、「赦し」(pardon)の観念についての議論がはじまることとなる。デリダは議論を通じて、「赦しはただ赦されえぬものを赦す」と定式化する。 ハーバーマスハーバーマスは、『近代的ディスクルス』において、デリダをニヒリストと論難している。しかし、911テロの後にハーバーマスはデリダと共闘し、ジョヴァンナ・ボッラドリと三者で『テロルの時代と哲学の使命』(邦訳、岩波書店、2004年)を刊行した。 ガダマーガダマーは、1981年にフランスで「テクストと解釈」という講演を行なった。それについて、デリダは、「権力への善き意志」などを発表し、論争に至った。ガダマーは、解釈においては、著者の意図を正しく理解しようとする「よき意思」が必要であるとした。それに対して、デリダは、ガダマーの説く「善き意志」は、意志を絶対的・最終的な審級とする意志の形而上学であると批判し、「あらかじめ暴力を行使すること」とした。また、デリダは、ガダマーが前提としている「全体性の概念」を批判する。中山元によれば、二人の議論は、「まったくかみ合わない論争」であったが、それまでドイツでは「デリダの思想の内在的な批判は行われていなかった」ため、デリダの著作が検討されるきっかけになった[リンク切れ]。また、中山は、「ガダマーが講演の中で、比喩や地口などを批判しているのは、デリダを念頭においてのことだろうから、ガダマーはもう少し真面目に(笑)デリダ批判をすべきだったろうが、ガダマーが身をかわしたので、デリダの再批判の焦点がぼけた」とも評している。 フーコーフーコーの『狂気の歴史』に対して、デリダは、1963年コレージュ・ドゥ・フィロゾフィックにおいて、『コギトと「狂気の歴史」』という書評講演を行った。フーコーは、「狂気の歴史」第二章の冒頭において、デカルトのコギトが狂気や異常さ・錯乱・不条理などを哲学の領域の圏外へと排除したとしている。しかし、これに関して、デリダは、まず「デカルトの意図に関してそこに提出されている解釈は正当化されるかという、いわば偏見の問題」を提起し、この偏見について「ひとはシーニュ(兆候・記号)を理解しているだろうか。デカルトが言い、また言おうとしたことを理解しているだろうか」としながら、兆候を理解するには、たとえば精神分析家は患者の言葉を話さなくてはならないとする。また、「デカルトの意図が兆候として理解されれば、それの属する歴史的構造とそく関係を持つことになるだろうか。つまり、ひとが付与しようとする歴史的意味を持つだろうか」と問いを出す。次にデリダは、「フーコーの企図はあまりに豊かであり、ひとつの方法とか、語の伝統的な意味でのひとつの哲学によってさえ先立たれるにはあまりに多方面にわたる兆候を示している」として「デカルト的な型のコギトがコギトの最初にして最後の形ではない」という。さらに、フーコーが「近づきえない原初的な純粋さ」として狂気を語り、理性がロゴス的絶対者に依拠することのない(頼るべきもののない)相対性に自身を位置づけることについて、「しかし誰がその依拠不可能性を語るのか。誰がそのような言表不可能な狂気について語りうるのか」と問いかける。デリダは、フーコーについて、このような語りが困難であることには鋭敏であるが、この問題については、方法論的・哲学的な前提条件としての特徴を認めようとしていないと批判した。フーコーはこうしたデリダに批判に対して「私の身体、この紙、この炉」を執筆し、また「デリダへの回答(1971)」を日本の雑誌「パイデイア」に寄稿した。デリダの批判に激怒したフーコーは以後、絶交し、デリダの論文掲載を編集者として拒否したこともあった。またデリダの論敵であったサールとの対談ではデリダの方法を「テロリスト的な蒙昧主義」と評した。しかしフーコーはデリダがのちにチェコスロバキアで収監されたときには救援活動を行った。 ジョン・サールデリダ/サール論争は、1971年から1977年にかけて行われた。中山元によればサール(オースティン)の「真面目」への批判は、1981年にガダマーとの論争における「よき意思」への批判と連携している。サールはフーコーの「テロリスト的な蒙昧主義」という表現をうけて、「デリダはあまりに曖昧に書くため、読者はなにを理解したのかいうことができないほどであり、これが蒙昧主義ゆえんである。また、デリダを批判すると、彼は必ず「あなたは理解していない」つまり「あなたは馬鹿」という。これがテロリズム的側面である」といっている。 ケンブリッジ大学での名誉博士号授与の選考委員会ではクワイン、デヴィッド・アームストロング、ルネ・トムら18人の教授から反対表明が出され、デリダの仕事は明晰さと厳密さの基準を満たしていない、まるでダダイストのようなトリッキーでギミックに満ちたものであり、この哲学は虚偽かトリヴィアルなものにすぎない、真理や理性の価値への挑戦であり、授与に値しないとした。 ノーム・チョムスキーは単純なアイデアをむやみな修辞で記述しているとした。 ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、ケンブリッジ大学のデリダへの名誉博士号授与に対して、「理性、真理、学問の諸価値への理解しがたい攻撃にすぎない」という反対声明に署名している。 リチャード・ローティは『偶発性、アイロニー、連帯』のなかでデリダを批判。 アンリ・メショニックは、『詩学批判』や『記号と詩篇』などで、デリダの音声中心主義批判を評価しつつも、一方で彼の文学作品の読解には疑問を呈している。メショニックは、デリダが詩作品の認識を単語・語源レベルでしか考えていないばかりか、作品内で語られている言語(一次的言語)とそれを語るための言語(メタ言語)の区別をうやむやにすることで、自らが語ろうとするものを作り出していると批判する。さらに、こうした哲学的に動機付けられた詩的テクストの読解には詩作品を本質化し、聖化するポスト・ハイデガー的な観念論が潜んでいると指摘した。デリダは『パピエ・マシン』のインタビューでメショニックの批判について問われたが、何も答えなかった。
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