論争・批判とは? わかりやすく解説

論争・批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 16:38 UTC 版)

セクト」の記事における「論争・批判」の解説

こうした判断基準誰しも同意しているものではない。また、セクトみなされている団体についてこれら全ての判断基準当てはまっているということでもなく、セクトとみなす基準がこれらだけであるということでもない実際のところ、既存判断基準には当てはまらず規模小さな新し宗教グループ出現しているが、それらがセクトではないと保証されるわけではない今日では、教義そのものよりも、信徒会員)に対す態度重視して判断する宗教団体ではないグループセクト扱いするのは、このためである。 イギリス遣われている二つ単語比較してみると、フランス語における曖昧さ打ち消すことが出来る。先ずsect」であるが、これは語源学的定義によるものであり、「sectes protestantes(プロテスタント派)」のように悪い意味合い持たないのである次にcult」であるが、これはフランス語の「secte」の社会学的定義よるものである。 セクト語意適用に関する論争大部分は、その語意多様性起因するが、以下のような事例をみることができる。 語源学的意味 既存宗教新たな宗派教派) 強い否定的な意味 信徒会員)を精神的に操作したとして罰せられたセクト団体全て学術的に厳密に定義される破壊的カルト」) 広義での否定的意味 搾取目的信徒会員)を精神的に操作していると疑われている全ての組織世俗的無責任に用いられる蔑称としての「カルト」) 信仰体系や独自思想持ち精神的操作行っていないと思われる新たに始まった宗教」という意味(新宗教)。 市民によって付け加えられ2つ従属的意味が否定的なものであることから、宗教批判的な者は、(問題のある)「セクト」と「宗教」の言葉違い最小限留めセクト問題宗教全体問題としたいという思惑から、「新たに始まった宗教(=新興宗教)」という言葉遣っている。これに対し主要な宗教擁護者は、「広義での否定的意味」を採用し、彼らが危険と判断する団体おしなべてセクト看做す他方で、信教の自由重んじる者は、有害性についての客観的判断尊重し「強い否定的な意味」を採用する留め精神操作行っていない宗教・思想団体対す不当な疑惑起きないよう、この用語の適用控えている。 こうした異なった見解は、精神操作概念特定することの難しさ起因するものであり、とりわけ宗教的教化」と区別することが難しい。

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論争・批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:18 UTC 版)

ジャック・デリダ」の記事における「論争・批判」の解説

デリダは、以下に挙げる思想家哲学者論争し、または批判受けたレヴィナス暴力形而上学」(1964年)でレヴィナスの『全体性と無限』を取り上げレヴィナス言説存在論言語免れ得ないに於いてその試み不十分なものに終っていると指摘したその後レヴィナスは『存在するとは別の仕方或いは存在彼方へ』(1974年)でこの批判超克試みることとなる。デリダ自身1980年代以降レヴィナスとの思想的共鳴強めるようになり、1995年レヴィナス訃報に際して弔辞を読む。これが『アデュー -エマニュエル・レヴィナスへ-』(1997年邦訳2004年)として刊行された。 リクールデリダの『世紀赦し世俗赦し)』をリクールが『記憶歴史忘却』の中で引用し、「赦し」(pardon)の観念についての議論がはじまることとなる。デリダ議論通じて、「赦しはただ赦されえぬものを赦す」と定式化する。 ハーバーマスハーバーマスは、『近代的ディスクルス』において、デリダニヒリスト論難している。しかし、911テロの後にハーバーマスデリダ共闘し、ジョヴァンナ・ボッラドリと三者で『テロル時代哲学使命』(邦訳岩波書店2004年)を刊行した。 ガダマーガダマーは、1981年フランスでテクスト解釈」という講演行なった。それについて、デリダは、「権力への善き意志」などを発表し論争至ったガダマーは、解釈においては著者意図正しく理解しようとする「よき意思」が必要であるとした。それに対してデリダは、ガダマー説く善き意志」は、意志絶対的最終的な審級とする意志形而上学であると批判し、「あらかじめ暴力行使すること」とした。また、デリダは、ガダマー前提としている「全体性概念」を批判する中山元によれば二人議論は、「まったくかみ合わない論争であったが、それまでドイツでは「デリダ思想内在的な批判行われていなかった」ため、デリダ著作検討されるきっかけになった[リンク切れ]。また、中山は、「ガダマー講演の中で、比喩地口などを批判しているのは、デリダ念頭においてのことだろうから、ガダマーもう少し真面目に(笑)デリダ批判をすべきだったろうが、ガダマーが身をかわしたので、デリダの再批判焦点がぼけた」とも評している。 フーコーフーコーの『狂気の歴史に対してデリダは、1963年コレージュ・ドゥ・フィロゾフィックにおいて、『コギトと「狂気の歴史」』という書評講演行ったフーコーは、「狂気の歴史第二章冒頭において、デカルトコギト狂気や異常さ錯乱不条理などを哲学領域圏外へと排除したとしている。しかし、これに関してデリダは、まず「デカルト意図に関してそこに提出されている解釈正当化されるかという、いわば偏見問題」を提起し、この偏見について「ひとはシーニュ兆候記号)を理解しているだろうかデカルト言い、また言おうとしたことを理解しているだろうか」としながら兆候理解するには、たとえば精神分析家患者言葉を話さなくてはならないとする。また、デカルト意図兆候として理解されれば、それの属す歴史的構造とそく関係を持つことになるだろうか。つまり、ひとが付与しようとする歴史的意味を持つだろうか」と問いを出す。次にデリダは、「フーコー企図あまりに豊かであり、ひとつの方法とか、語の伝統的な意味でのひとつの哲学によってさえ先立たれるにはあまりに多方面にわたる兆候示している」として「デカルト的な型のコギトコギト最初にして最後の形ではない」という。さらに、フーコーが「近づきえない原初的純粋さ」として狂気語り理性ロゴス絶対者依拠することのない(頼るべきもののない)相対性自身位置づけることについて、「しかし誰がその依拠不可能性を語るのか。誰がそのような言表不可能な狂気について語りうるのか」と問いかけるデリダは、フーコーについて、このような語りが困難であることには鋭敏であるが、この問題については、方法論的哲学的な前提条件としての特徴認めようとしていない批判したフーコーはこうしたデリダ批判に対して「私の身体、この紙、この炉」を執筆し、また「デリダへの回答(1971)」を日本雑誌「パイデイア」に寄稿したデリダ批判激怒したフーコー以後絶交しデリダ論文掲載編集者として拒否したこともあった。またデリダ論敵であったサールとの対談ではデリダ方法を「テロリスト的な蒙昧主義」と評した。しかしフーコーデリダがのちにチェコスロバキア収監されときには救援活動行った。 ジョン・サールデリダ/サール論争は、1971年から1977年にかけて行われた中山元によればサールオースティン)の「真面目」への批判は、1981年ガダマーとの論争における「よき意思」への批判連携している。サールフーコーの「テロリスト的な蒙昧主義」という表現をうけて、「デリダあまりに曖昧に書くため、読者はなにを理解したのかいうことができないほどであり、これが蒙昧主義ゆえんである。また、デリダ批判すると、彼は必ず「あなたは理解していない」つまり「あなたは馬鹿」という。これがテロリズム側面である」といっている。 ケンブリッジ大学での名誉博士号授与選考委員会ではクワイン、デヴィッド・アームストロング、ルネ・トム18人の教授から反対表明出されデリダ仕事明晰さ厳密さ基準満たしていない、まるでダダイストのようなトリッキーギミック満ちたものであり、この哲学虚偽トリヴィアルなものにすぎない真理理性価値への挑戦であり、授与値しないとした。 ノーム・チョムスキー単純なアイデアむやみな修辞記述しているとした。 ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、ケンブリッジ大学デリダへの名誉博士号授与に対して、「理性真理学問の諸価値への理解しがたい攻撃にすぎない」という反対声明署名している。 リチャード・ローティは『偶発性アイロニー連帯』のなかでデリダ批判アンリ・メショニックは、『詩学批判』や『記号詩篇』などで、デリダ音声中心主義批判評価しつつも、一方で彼の文学作品読解には疑問呈している。メショニックは、デリダ詩作品認識単語語源レベルでしか考えていないばかりか作品内語られている言語一次的言語)とそれを語るための言語メタ言語)の区別うやむやにすることで、自らが語ろうとするものを作り出していると批判する。さらに、こうした哲学的に動機付けられた詩的テクスト読解には詩作品本質化し聖化するポスト・ハイデガー的な観念論潜んでいると指摘したデリダは『パピエ・マシン』のインタビューでメショニックの批判について問われたが、何も答えなかった。

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