論争ジャーナルと日学同とは? わかりやすく解説

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論争ジャーナルと日学同

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 00:42 UTC 版)

楯の会」の記事における「論争ジャーナルと日学同」の解説

1966年昭和41年)、中国の文化大革命全共闘運動などが活発化していたこの年間接侵略対処できる民兵組織必要性考えていた三島由紀夫自衛隊体験入隊希望し10月頃から防衛庁打診する断られ毎日新聞社常務狩野近雄仲介依頼し防衛庁事務次官三輪良雄や元陸将藤原岩市などと接触し口利き求め続けていた。 そんな三島元に民族派雑誌論争ジャーナル』の創刊準備をしている青年の話を小沢開策から聞いた林房雄紹介で、12月19日に同誌編集部万代潔(平泉澄門人明治学院大学卒)が訪ねて来た。万代気に入った三島は、同誌を中心とする民族派学生たちと親交を結ぶようになる1967年昭和42年1月5日に、万代潔を副編集長中辻和彦平泉澄門人明治学院大学卒)を編集長とする月刊雑誌論争ジャーナル』が創刊され三島無償で同誌に寄稿することを約束し2人3日1度の割で三島訪ねた。『論争ジャーナル』というタイトルは、当時左翼学生が必ず読んでいた『朝日ジャーナル』に対抗したのだった1月27日には、同じく平泉澄門人で『論争ジャーナル』のスタッフをしている持丸博早稲田大学生)も三島宅を訪問し自身所属する日本学生同盟」(日学同)が2月創刊する機関紙日本学生新聞』への寄稿依頼し三島快諾した。 やっと防衛庁から自衛隊体験入隊許可得た三島は、本名の「平岡公威」として4月12日から 5月27日単身46日間体験入隊した久留米陸上自衛隊幹部候補生学校陸上自衛隊富士学校に赴き、山中踏破山中湖露営などを体験後、富士学校幹部上級課程AOC)に属しレンジャー課程終え習志野第一空挺団移動し基礎訓練降下訓練を除く)を体験した論争ジャーナル組、日学同学生たちも自衛隊体験入隊希望する中、三島民兵組織立ち上げ本格的に企図し、持丸博通じて日学同付属組織早稲田大学国防部」(4月結成)からの選抜協力要請した。こうして、論争ジャーナル組、日学同三島三者関係が出来上がっていった。

※この「論争ジャーナルと日学同」の解説は、「楯の会」の解説の一部です。
「論争ジャーナルと日学同」を含む「楯の会」の記事については、「楯の会」の概要を参照ください。

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