芸風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 23:35 UTC 版)
主に一人コントで、代表作は全裸に股間をお盆で隠しただけの姿で刑事のコントを演じる「丸腰刑事」(まるごしでか)。お盆の裏には旭日章(警察の紋章)がある。お盆を左右交互に押さえたり持ち替えたり裏返したり(技名は「アラウンドザ・ワールド」)、素早くしゃがんだり横歩きしたりなどの動きを入れて演じている。海外でもこのネタを披露したことがあり、爆笑をさらったという。 他にも丸腰刑事と同じく全裸の姿で演じる「絶対見せないdeSHOW」のネタがあり、2017年のR-1ぐらんぷりでは決勝までこのネタを演じた。元々この裸芸はコンビ『タンバリン』の時代に既にやっていたものであり、これをピンネタにしたものである。これを始めたきっかけは2015年の山-1グランプリ(日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の企画)であり、宴会芸を見せるオーディションだった。その時は何も思いつかず、悩み抜いた末に披露したのが丸腰刑事のネタだった。お盆は100円ショップのザ・ダイソーで調達 した15枚を使い回していた(製造中止になったため買い足せないとのこと)。その後、自身がゲスト出演した関西テレビの番組『マルコポロリ!』(2017年5月21日放送分)において、番組側が関西中に残っていた同タイプのお盆18枚を買い足した。「絶対見せないdeSHOW」では金色の大きな蝶ネクタイを着用している。丸腰刑事の時は通常つけないが、たまに金の蝶ネクタイをしたまま丸腰刑事のネタを披露することもある。芸が成功したときに流すBGMは「ヒゲのテーマ」のイントロ部分である。 このネタを演じる前には「肉体を美しく見せるのも芸の内」として必ず腕立て伏せなどパンプアップしており、また清潔感重視の考えからムダ毛の処理を欠かさない。岡村隆史(ナインティナイン)には「お尻がきれい」と言われたこともあった。 他の裸芸人が大抵はパンツを穿いているのに対して文字通り全裸のため、芸に失敗して局部を露出し修正されるケースがある。また、楽屋でもお盆で股間を隠し続ける必要があるという。この裸芸を始めたばかりの頃はお盆を取り落として露出することも珍しくなかった。2018年1月1日放送の『第51回爆笑ヒットパレード2018』(フジテレビ系)でも、生放送中に芸に失敗して一瞬ではあるが股間を露出してしまった。週刊新潮によると生放送で局部を露出してしまった場合公然わいせつ罪に問われてしまう可能性があるため、生放送では必ず前貼りで隠しておりフジテレビの広報部も「生放送にあたっては入念なリハーサルを行い、局部が露出しないように工夫をしている。今回の放送では局部の露出は一切されていない」とコメントしている。 この芸はテレビで放送する際、カメラのフレーム数は1秒に30コマで撮影しているため局部がお盆のブレで隠されているだけであり、実際は少なからず見えている(TBSテレビ『水曜日のダウンタウン』の2017年11月8日放送分でハイスピードカメラを使い撮影した時は、局部が見えてしまっていた)。 この裸芸を始める前は服を着てのネタを行っており、2015年の『R-1ぐらんぷり』でも服を着てネタを演じた。なお、テレビ番組に出演する際は「絶対見せないdeSHOW」の蝶ネクタイはそのままに服を着て出演することも多い。
※この「芸風・評価」の解説は、「アキラ100%」の解説の一部です。
「芸風・評価」を含む「アキラ100%」の記事については、「アキラ100%」の概要を参照ください。
芸風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:30 UTC 版)
「三遊亭金馬 (3代目)」の記事における「芸風・評価」の解説
古典を中心に持ちネタの数が非常に多く、爆笑落語から人情噺まで幅も広かった。登場人物の描き別けがきわめて明瞭で聴き取りやすく、よく練られた構成も無駄なく確かで「楷書で書いたような落語」と評される。老若男女、誰にでもわかりやすく、しかも過剰な演出はしない。ラジオの寄席番組に度々出演し、その芸風から親しまれた。若い頃、第一次落語研究会の準幹部で実力派であり、旅回りの演芸一座(柳家金語楼も7歳の時、そこでデビュー)を持っていた2代目三遊亭金馬が、三遊派の分裂騒ぎで地方に旅回りに出たのに随行し、腕を磨いた。1913年にはやはり落語研究会準幹部で噺のうまさに定評があった朝寝坊むらく(橋本卯三郎)が、橘家圓蔵との立花家橘之助を巡る諍いから殴打事件を起こし、名前を返上して橋本川柳(後の3代目三遊亭圓馬)を名乗り、東京を離れ旅に出た。彼の落語に傾倒していた金馬は噺を教わりたくてこれについて行き、稽古をつけてもらいながら大阪まで随行した。同じ頃、若き日の8代目桂文楽も圓馬に稽古を付けてもらっているが、金馬は圓馬の豪快な面を、文楽は繊細な面を継承したと評される[要出典]。 金馬は存命中、ラジオや有線放送、レコードなどを通じて老若男女問わず国民的な人気があった。それにも関わらず、読書家で故事風俗・古典にも通じた博識を煙たがられたためか、久保田万太郎やその弟子安藤鶴夫などの評論家とは不仲で、不当に低く評価された。俳人・劇作家で評論家の久保田万太郎は、第三次落語研究会の会長にも就任したが、爆笑落語や新作落語を嫌い、落語を「鑑賞」する芸術としてみずからの高邁な価値観を押し付けようとしたところがあった。落語研究会の発起人の1人でもあった金馬を「話芸における幅と深みに欠ける」と一方的に断じ、決して評価しなかった。金馬ファンからは久保田の方が「落語を聴くセンスが根本的に欠如していたのではないか」と酷評される所以ともなっている。[要出典] 絶大な人気で全国に落語ファンを広げた金馬は、落語界の内部でも高く評価されていた。久保田や安藤鶴夫の影響が強かった演芸評論家の矢野誠一が1962年に精選落語会を発足させた時、参加メンバー(8代目桂文楽、8代目林家正蔵、8代目三笑亭可楽、6代目三遊亭圓生、5代目柳家小さん)を桂文楽に見せた際、文楽から「この会に、金馬さんがはいっていないのは、どういうわけのもんです?」と問われ困ったという。また、安藤鶴夫と反目していた立川談志(7代目)も金馬の「大衆的な芸」を評価しており、自身で編集した全集「席亭・談志の夢の寄席」に金馬を収録している。 古今亭志ん朝も金馬のその口調の素晴らしさを、「志ん生、金馬とこう並べると、わたしなんか好みからいくと志ん生なんですけど、本当にお手本にすべきはやはり金馬なんですね。だからたまにテープを聞いたりすると、「ああ、こういうふうにしゃべれないもんかなあ」と思いますね」と江國滋に語っている。さらに新宿末廣亭の大旦那と呼ばれた北村銀太郎は「昭和の大物」として、文楽・志ん生と並べて金馬の名を挙げている。
※この「芸風・評価」の解説は、「三遊亭金馬 (3代目)」の解説の一部です。
「芸風・評価」を含む「三遊亭金馬 (3代目)」の記事については、「三遊亭金馬 (3代目)」の概要を参照ください。
芸風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 20:04 UTC 版)
「桂春団治 (2代目)」の記事における「芸風・評価」の解説
人物描写を細部にわたって施した独特の話芸は、「初代よりも上手い」と評する専門家が多い。東京の8代目桂文楽は「関西の名人」と称え、6代目笑福亭松鶴は青年時代に陶酔し、いくつかの演目を受け継いだ。 弟子の2代目露の五郎兵衛は、2代目の芸の巧みさを「初代は、春団治自身が型破りで面白かった。二代目は落語が面白かった」と表現した。2代目五郎兵衛によると、還暦を過ぎたら春団治の名を譲って剃髪し、桂笑翁を名乗ってさらに芸風を変えると言っていたという。 出囃子「野崎」については以下のエピソードがある。 初代春團治も主に「野崎」で出たことで知られたが、高座によってはたびたび、本人の気分次第で別の曲に変えて出ていた。2代目はこれを快く思わず、「春団治の出囃子は『野崎』でなければならない」と定めたという。この結果、3代目も「野崎」を使い、4代目は襲名に際して出囃子を「野崎」に変更した。 8代目桂文楽は「野崎」を気に入り、2代目に対し「自分の出囃子にしたい」と懇願した。2代目は、東京でのみ使用することと、2代目が東上した際に使用を控えることを条件に、これを許可した。東京の落語家ではほかに9代目桂文治が「野崎」を用いている。
※この「芸風・評価」の解説は、「桂春団治 (2代目)」の解説の一部です。
「芸風・評価」を含む「桂春団治 (2代目)」の記事については、「桂春団治 (2代目)」の概要を参照ください。
芸風・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 05:29 UTC 版)
「ミスワカナ・玉松一郎」の記事における「芸風・評価」の解説
初代ワカナはイブニングドレス姿を基本に時折和装。一郎は背広を着て、アコーディオンを持った。ワカナ・一郎は、女性が男性をやっつけて話の主導権を握るという女性上位漫才の典型を確立したとされ、ミヤコ蝶々・南都雄二、ミスワカサ・島ひろし、島田洋之介・今喜多代など、その後多く輩出される男女コンビに大きな影響を与えた。 初代ワカナの鉄砲のごときスピード感で繰り出される変幻自在な話術と歌、茫洋としていながら実は絶妙にワカナを受ける一郎のツッコミとアコーディオンの演奏は、レコード音源などで確認することができる。 華奢な初代ワカナは、大柄でお世辞にもハンサムとは言いがたい一郎を「目はちっちゃいし、鼻は開いてる」「横で鼻をパクパクさせている」などと攻撃し、大いに笑いを取った。また初代ワカナは、その人並外れた記憶力と優れた音感を武器として、歌唱力に長けていたばかりでなく、日本全国のさまざまな方言を自在に操るという離れ業ができた。
※この「芸風・評価」の解説は、「ミスワカナ・玉松一郎」の解説の一部です。
「芸風・評価」を含む「ミスワカナ・玉松一郎」の記事については、「ミスワカナ・玉松一郎」の概要を参照ください。
- 芸風・評価のページへのリンク