三遊亭金馬 (3代目)
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三代目 三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年10月25日 - 1964年11月8日)は、日本の落語家。大正・昭和時代に活躍した名人の一人。本名∶加藤 専太郎[1]。出囃子は「本調子カッコ」。当初は落語協会に所属、のちに東宝名人会に所属したが、実質的にフリーであった。
注釈
- ^ 金馬が東宝専属となり寄席を離れた経緯との理由については矢野誠一の『女興行師吉本せい』が詳しい。
- ^ ある意味で不注意の誹りは免れ得ないが、当時は線路の侵入対策も現在ほど厳重には取られていなかった。また、農村部・漁村部では現在の様な道路が整備されている場所はまだ少なく、線路敷のある場所が数少ない開けたショートカットのルートである場合も珍しくなかった。
- ^ なお、北村は、圓生は同様に大物ではあるが人間的にちょっと落ちると発言している。冨田(2001)p.37
- ^ 「薬缶(やかん)」は落語界の隠語で「知識をひけらかす人」を意味している。
- ^ 森田芳光監督の映画『の・ようなもの』はこの演目が縄のれんの居酒屋で小僧が客にからかわれる噺で、肴はなにかできるかと問われた小僧が「できますものは、つゆ、はしら、タラ、こぶ、アンコウのようなもの……」と答えると「じゃあ、『(の)ようなもの』をもらおうか」と注文されることから拝借された(「映画の旅人」朝日新聞2014年10月18日)。
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