芸風:西の左團次
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「阪東壽三郎 (3代目)」の記事における「芸風:西の左團次」の解説
関西の役者にしては珍しくあっさりとした芸風で、自身が二代目左團次に師事したこともあり、その影響を受け継ぎ「西の左團次」と呼ばれることもあった。新歌舞伎を得意とし、『大石最後の一日』の大石内蔵之助や『番町皿屋敷』の青山播磨、『鳥辺山心中』の菊地半九郎など左團次物に本領を発揮した。逆に丸本物になると冴えなかったが、それでも晩年には芸が伸びて得意とするようになり、『心中宵庚申』の半兵衛や『桂川連理柵』(桂川)の長右衛門、『伊賀越道中双六・沼津』の重兵衛、『御所櫻堀川夜討』(弁慶上使)の弁慶、『仮名手本忠臣蔵』の由良助などが当り役となった。それだけに関西歌舞伎の復興を目前にしての死は、歌舞伎界にとっても大きな痛手で、これが関西歌舞伎の破滅の一因ともなった。
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