日本の廃止・休止競馬場一覧とは? わかりやすく解説

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日本の廃止・休止競馬場一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 05:54 UTC 版)

日本の廃止・休止競馬場一覧(にっぽんのはいし・きゅうしけいばじょういちらん)とは現在廃止または休止されている日本競馬場をまとめたものである。


  1. ^ 以下、主として『よくわかる競馬のしくみ』(競馬制度研究会 1992年)および『大井競馬のあゆみ』による。
  2. ^ その濫觴は1861年横浜市において開催されたとされる。当時の横浜の外国人居留地の背後の水面を埋め立てて造成され(アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』〈岩波文庫〉)、現在の横浜中華街あたりといわれている。
  3. ^ 1周約1マイル。コーナーがきつく、多くの落馬があったという(萩原延壽『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄8』〈朝日文庫〉)。
  4. ^ このほかに小山も認可はされたが1908年に馬券発売が禁止されたため、設立されなかった。
  5. ^ 『大井競馬のあゆみ』の記述は、『全国地方競馬沿革誌』(帝国馬匹協会 1939年)からの抜粋である。『地方競馬史』第1巻の地方競馬場の沿革も、この沿革誌によっている。以下の記述は原典である『全国地方競馬沿革誌』に当たることなく、『大井競馬のあゆみ』および『地方競馬史』第1巻によっている。
  6. ^ 対象となったのは札幌・函館・福島・新潟・中山・東京・日本レース(横浜)・京都・阪神・小倉・宮崎。
  7. ^ バレンケイバ、すなわち馬匹連合会によって行われた競馬
  8. ^ 岡崎競馬場、淡路競馬場がその例である。
  9. ^ この政令の施行日は同年9月16日であり、そのご3か月間は猶予があった。廃止時期と航空写真からみて秋田競馬場、徳島競馬場がこの例に当たるのかもしれない。
  10. ^ 国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」の写真番号MHO613C-C6-8116。以下写真番号のみを記載する。末尾のリンクで、同ホームページを立ち上げ、検索方法を「空中写真」にして写真番号で指定すれば閲覧できる。
  11. ^ "戦後の競馬場跡か ゴルフ場からさびた蹄鉄 小樽カントリー倶楽部". どうしん電子版. 北海道新聞社. 15 June 2021. 2021年6月19日閲覧
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  15. ^ 旭川市・岩見沢市・北見市・帯広市で構成された一部事務組合。帯広市を除く3市が撤退したため解散。
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  17. ^ USA-R264-31
  18. ^ USA-R375-4。しかし、旧横内村と現青森市佃はまったく別の地である。この点については、戦前に廃止・休止された地方競馬場の章を参照されたい。
  19. ^ USA-M175-49
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  21. ^ USA-M180-2-140。航空写真は雲雀野地区のもの。
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  39. ^ 当初は旧新潟競馬場(関屋競馬場)で開催された。
  40. ^ 長岡市は1968年度に開催権を失って脱退。
  41. ^ 2016年1月23日の大井競馬開催をもって場外発売取り止め。その60日(払戻の時効日)をもって場外発売所は廃止しされた。
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  50. ^ USA-M1147-n-20。この航空写真は1955年撮影のものであるが、1948年撮影の航空写真(USA-R1785-6)と比較すると馬場が北へ数百m移動している。地方競馬開催中に移転があったかもしれない。しかし、戦後の競馬法に基づく松本競馬場が開設されたのは1950年である。もしかすると闇競馬の跡かもしれない。
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  59. ^ 組合を構成する市区町村は幾度かの変遷を経て、京北町美山町亀岡市篠村樫田村・長岡町で構成していた。
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  68. ^ 新岡山港は閉場後に造成されているため開場当時は南側は海であった。
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  74. ^ MCG-626-C10-18。ただし、この写真はオートレース場に改造後のものであろう
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  157. ^ 所在地は兵庫県三原郡の内と思われる。戦後地方競馬法に基づく競馬場として三原郡市村青木(現在地は南あわじ市市青木の淡路三原高校の南方)に開設され、引き続き競馬法に基づく地方競馬を開催し、姫路競馬場に移転した、淡路競馬場と同一場所か不明。
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  175. ^ 1928年秋季開催だけは、宮崎競馬場と交代して開催をしたようである。
  176. ^ 地方競馬史第1巻の表中には1933年春季は鹿屋競馬場で、秋季は南薩競馬場で開催され、1934年は休催かのような記述もある。
  177. ^ USA-R229-54
  178. ^ USA-M806-81





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