前身となる「競週ニュース」の創刊
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「ケイシュウNEWS」の記事における「前身となる「競週ニュース」の創刊」の解説
1937年(昭和12年)1月、東京の黎明社で『月刊競馬ファン』『競馬ファン週報』に携わっていた白井新平が独立し「競馬週報社」を設立した。 詳細は「白井新平#ホースマンとして」を参照 当時、東京府、神奈川県、埼玉県にはそれぞれ羽田、大師、大宮の各地方競馬場が存在した(現・南関東公営競馬)。競馬週報社はこの3場の馬事に関する話題を取り扱う週刊誌として「競馬週報」の名前で発行を始めた。 詳細は「競馬雑誌#戦前まで」を参照 「日本の廃止・休止競馬場一覧#戦前に廃止・休止された地方競馬場」および「南関東公営競馬#4競馬場の開設と発展」も参照 翌1938年(昭和13年)3月、競馬週報社は当日のレースの出走馬情報や予想を扱う競馬専門紙「競週ニュース」を創刊し、大宮競馬場で初めて登場する。タイトル中の「競週」は「競馬週報」から採られたものである。 戦時中は新聞の統廃合令などの関係で一旦休刊したが、1946年(昭和21年)10月16日、日本競馬会(現・日本中央競馬会)による公認競馬再開に合わせて復刊を果たすとともに、現在の中央競馬の系譜につながる国管轄競馬の予想に進出。1948年(昭和23年)には大宮と粕壁を統合移転した浦和競馬場が再開され、地方競馬の予想紙も再起した。 1950年には戦後の紙不足を補うことを目的として、国会関連の記事を取り扱う出版社であった「昼夜通信社」と業務提携する事となる。1954年には競走馬を称えるための賞として中央競馬を対象とした啓衆賞(現・JRA賞)と、地方競馬を対象にした公営日本一(現・NARグランプリ)を設立した。1956年(昭和31年)、大川慶次郎が入社するが間もなく離れてしまい、日本短波放送『中央競馬実況中継』の解説者に転向する。 「大川慶次郎#日本短波放送の競馬解説者に」も参照 1960年代後半から始まった本格的な競馬ブームで他紙が売り上げをアップさせてゆく一方で、「競週ニュース」は敢えて早刷りをしない独自の方針を貫く。しかしこれが裏目に出てしまい他紙に比べ売り上げは低迷した。 「ダービーニュース#歴史」および「荒木由太郎#実業家の経歴」も参照 1970年には業務提携関係であった「昼夜通信社」と「啓衆社」が合併して「株式会社昼夜通信啓衆社」と社名を改める。
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