第16回(2002年)『FNS27時間テレビ みんなのうた 〜あの素晴らしい日本をもう一度〜』
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「FNS27時間テレビ (1997年 - 2003年)」の記事における「第16回(2002年)『FNS27時間テレビ みんなのうた 〜あの素晴らしい日本をもう一度〜』」の解説
総合司会 : みのもんた 進行 : 西山喜久恵、内田恭子 サブタイトルは「あの素晴らしい日本をもう一度」。テーマ曲であった「あの素晴しい愛をもう一度」になぞらえて。「もう一度プロジェクト」などの通し企画があった。 1月の時点でサンケイスポーツ内で主な企画を発表し賛否両論を巻き起こした。その直後から「みんなでハモネプ」(「力の限りゴーゴゴー!!」の「ハモネプ」コーナーの27時間テレビ版)の出場者募集及び予選会を「めざましテレビ」の中で放送し、各局の代表を決定。優勝は新潟総合テレビの音楽一家の日下ファミリーだった(新潟総合テレビは1989年のFNS各局対抗企画で初代優勝局となっており、これが2回目の優勝)。テレビ大分がネット開始。クロスネット(FNN/NNN)の関係で中断を繰り返し、フィナーレは深夜(月曜未明)に録画で放送。 オープニング 画面の左上に「July6&7 J.T.O/Japan Tokyo Odaiba 27Hour-TV START!」と書かれていた。ハモネプ全国大会の決勝戦が7月7日だった事から「七夕ファイナル」と銘打った。 「あの素晴らしい日本をもう一度」プロジェクト 「あの素晴らしい日本をもう一度」プロジェクトと題し、27時間内で物を作ったりや各地を清掃する企画が北海道富良野市から宮崎県西都市まで全国11ヶ所で展開された。なお、★印が付いている局はさだまさしとくずがライブを実施(後述)。 テレビ長崎「あの平和な世界をもう一度」(オープニングライブとして★)、全長20メートルの特製鐘楼船と世界190カ国の平和を願って190個以上の灯篭を作り、改めて「世界平和」をこの原爆被災地の長崎から日本全国の皆さんに問いかける、という企画。大村市と長崎市から中継。山本耕一アナウンサーが進行役を務めた。 テレビ宮崎「素晴らしい歴史遺産をもう一度」 : 地元の古墳周辺が草だらけになってしまったので、草を刈って遠いご先祖様に喜んで貰おうという主旨に。西都市の西都原古墳群から中継、高橋巨典アナウンサーが進行役、地元出身の0930がサポーター役で応援した。 テレビ新広島「子供達が集まる学校をもう一度」★ : 全校児童がたった2人の小学校にジャングルを作る。三良坂町(現在の三次市)から中継、石井百恵アナウンサーが進行。 岡山放送「あの素晴らしい伝統をもう一度」★ : 香川の名物讃岐うどんをこの年に因んで2002杯再現させる。香川県善通寺市から中継、上岡元アナウンサーが進行役。 関西テレビ「あの美しい川をもう一度」(東海への★で大阪空港) : 「道頓堀川を27時間でどの位、綺麗にするか?」の挑戦。ペットボトルで作ったイカダなども登場した。また、1985年の阪神タイガース優勝時に投げ込まれたカーネル・サンダース像の救出作戦も行われた。大阪市中央区の道頓堀から中継され、桑原征平アナウンサーが進行役。 福井テレビ「あの素晴らしい森をもう一度」 : ダストポットを230個作って県内の小学校に送るプロジェクト。そして230個である一文字を作った。和泉村からの中継、桑原達秋アナウンサー(上の関西テレビの桑原アナの息子が登場し親子共演が遂に実現した)が進行役、芸能界一の自然派タレント・清水国明がプロジェクトのリーダー役で登場した。 東海テレビ「あの素晴らしい故郷をもう一度」(関西から★で二元中継) : 2001年に廃線になった名鉄谷汲線谷汲駅の駅舎を掃除したり飾り付けをして現役当時の電車を迎える。谷汲村(たにぐみむら)(現揖斐川町)から中継、庄野俊哉アナウンサーが進行役。主役となる赤い電車(名鉄モ750形)の重量を庄野がオープニングで25tと言い間違い、地元の人に翌日の朝の大本番前に35tと訂正される場面があった。この放送以後、モ750形は展示車両として現在でも谷汲駅に停車している。 石川テレビ「美しい物を作りたい/芸術の心をもう一度」 : 金沢城を舞台に繰り広げる芸術の祭典。石川県金沢市の金沢城公園から中継、小谷あゆみアナウンサーが進行役。 フジテレビ「あの綺麗な海岸をもう一度」 : 葉山、逗子、七里ヶ浜、江の島、鵠沼、辻堂、茅ヶ崎、大磯の8ヶ所で「湘南海岸クリーン大作戦」を展開。逗子では同時進行でシーグラスアートを作った。島田彩夏アナウンサー、奥寺健アナウンサーが進行役、スペシャルゲストに加山雄三・佐藤藍子・TUBEを迎えた。一部海岸ではクリーン大作戦を行う前にきれいになっていた。実際は2ちゃんねるでの呼びかけで集まった有志による清掃活動の結果であったが、レポーターはその裏をとらずに「ライフセーバーによる活動」と誤放送した(2ちゃんねるの歴史#2002年も参照)。 仙台放送「あの活気ある街をもう一度」★ : 100台の自転車を漕いで人力でバッテリーに蓄電。どれだけのバッテリーが蓄積するのか、更にフィナーレにそれをイルミネーションとして一気に放出するという挑戦だった。宮城県仙台市の繁華街から中継、柳沢剛アナウンサーが進行役を務めた。 北海道文化放送「あの感動をもう一度」(ラストライブとして★) : 22年間に渡って放送したドラマの『北の国から』が同年9月放送の「北の国から 2002遺言」で最後を迎えるのを前に、ドラマの舞台となった五郎の石の家周辺を草取りするという内容だった。富良野市から中継。加藤寛アナウンサーが進行役。このプロジェクトは、『とくダネ!』スペシャルでも放送した。 「全国縦断27時間テレビ ドリームさだまさし夢ライブ2002」 : さだまさしらが、さだの故郷・長崎をスタートし、広島(後述のクイズ$ミリオネアSPの途中に中継)→香川→岐阜&大阪(さだらは台風のため岐阜にヘリが飛べず大阪国際空港止まり)→宮城→北海道・富良野&旭川空港(さだとくずの3人は雨天のため富良野にヘリが飛べず旭川空港止まり)→東京/さだのコンサート会場→東京/くずのスタジオの順に、ライブを行った。宮城では山口の相方が・北海道では宮迫の相方がそれぞれ応援にまわった。長崎から広島へ移動する時に長崎空港でヘリコプターに搭乗する予定だったが台風並みに風が強まりヘリコプターでの移動が不可能(飛行許可が出ない)となり、急遽、通常報道専用で強風の影響を受けにくい高度で飛行可能なフジサンケイグループ所有の小型ジェット機「オーロラ」を羽田空港から派遣(報道用なので24時間体勢で待機している)し、同機で広島へ。(これ以降ヘリでの移動が危険なため、長距離移動には同機を使用)。 浜崎あゆみがライブ会場の福岡・海の中道海浜公園から生出演した。 スペシャル・ドラマは「東京物語」、出演は宇津井健、八千草薫、松たか子の3人。 前年のクイズ$ミリオネアに引き続き、この年の「さんま・中居の今夜も眠れない」でも明石家さんまが大竹しのぶに生電話(原因:中居正広が大竹しのぶにプロポーズすると書いた為)。また、ミリオネアの延長でこのコーナーの時間は縮小されるはずだったが延長されてしまい、F1予選の中継に間に合わせるためその後に放送の「真夏の爆笑ヒットパレード」が大幅に短縮された。 この年から土曜夜・日曜朝・昼・夕方に定時ニュースが入るようになった。なおこの回以降一部の年を除き日曜朝のニュースは『めざましテレビ』で伝える場合がある。 『めざましテレビ』、『とくダネ!』を日曜日にも関わらず放送。「めざまし調査隊スペシャル」(日曜11時頃に放送)の中では、爆笑問題が、「真夏の爆笑ヒットパレード」の時間を大幅に擦り減らされた元凶・犯人である明石家さんまを捕まえて大激怒しその後、みのもんたや久本雅美さらに八木亜希子も入れての入り乱れての大乱闘へと発展していった。 中居とみのが「珍プレー」のナレーションに生放送で挑戦した。特に中居が挑戦したのは本家・みのも難しいと認定するじっくり映像だったが中居はその映像を読み切り、みのから太鼓判を押された。当然みのも「珍プレー」のナレーションに生でチャレンジした。 笑福亭鶴瓶とココリコが山形県の飛島に向かい、放送時間内に何人の島民の夢を叶えられるか、という企画に挑戦した。ところが深夜の「さんま・中居の今夜も眠れない」で入った飛島からの中継では、酒を飲んだ末に泥酔していた鶴瓶がパンツ一枚の尻を丸出しにして寝ている様子が全国の茶の間に流され、さらには起き上がると「さんまの若手時代の駆け落ち話」を突然話し始めるなど、見るに耐えないシーンが放送された。 F1世界選手権第10戦イギリスGP予選 競馬中継はマーメイドステークスを石巻ゆうすけの実況で生中継。その後、マーメイドステークス発走直前に行われた七夕賞を高橋雄一の実況で録画放送。 ハモネプ全国大会の決勝戦で優勝する局をみのもんたが身近の人に予想したが内田・西山・原田・名倉の4人は声を揃えて「決められない」の一言。伊藤アナに至ってはアナウンサーとして大先輩のみのに対して「何でそんな意地悪な質問するの?」と言った。 前年度と同じく「笑う犬」より、堀内健演じる「お兄やん」が日本全国ホリケンサイズを行った。 フィナーレ 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは中野美奈子、渡邉卓哉、中村仁美の3人。須田哲夫アナウンサーが新人アナを紹介した。
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