原爆被災とは? わかりやすく解説

原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:33 UTC 版)

広島市立中央図書館」の記事における「原爆被災」の解説

浅野図書館戦中時点で約9冊を所蔵していたため、重要な蔵書疎開させる計画立てその一部実施していた。このうち第1次疎開では漢籍など貴重図書8,411冊・絵図類約9,000点を光明寺高取)、専念寺沼田)、願行寺沼田)、および浄土寺五日市町)に移転しており、続いて予定されていた第2次疎開では、特別図書10,000冊を50梱包にまとめ、その移転準備すすめていた。またその他一部図書郡部疎開していた。 しかし、1945年昭和20年8月6日原爆投下により爆心地より730mの位置にあった建物全焼し外郭を残すのみの状態となった。このため蔵書第1次疎開によって避難していた書籍以外焼失した。すなわち、先述通り第2次疎開対象入っていた貴重図書は、その準備により玄関付近に置いたままになっていたため、すべてが焼失したのである人的被害大きく職員15人中4人が死去した。さらに、いち早く郡部疎開被爆の難を逃れていた図書も、同年9月枕崎台風による水害被害にあい、一部流失あるいは損傷した

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:04 UTC 版)

宇品」の記事における「原爆被災」の解説

1945年8月6日の原爆被災に際し宇品地区はその大半爆心地から3km以上隔たった位置にあり、「半壊地区」とされているものの比較被害軽微であったこのため宇品駐屯していた陸軍船舶司令部通称「暁部隊」 / 当時江戸家猫八丸山眞男らが所属していたことでも知られる)は被爆直後から市街地中心部での救援活動中心的役割果たした

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 02:12 UTC 版)

相生橋」の記事における「原爆被災」の解説

その当時市内架橋されていた主要49のうち41残ったその中で唯一このだけ、欄干破壊され川に落下する同時に鉄筋コンクリート床版最大で1.5mほど浮き上がって破壊される現象起きている。そこから今日では、被爆当時発生した衝撃波を上から圧迫しただけでなく、本川水面反射し下からも圧迫したため、波打つ挙動となった考えられている。当然当時技術者想定していなかった破壊現象であった主な破壊状況以下のとおり。なお、ほとんどの映像被爆から約8ヶ月後の1946年春に撮られたものであることに注意併用箇所 床版上流側メディア再生する メディア再生する メディア再生する 被害 最大歩道部分は1.2m(1.4mとも)・車道部分は0.4m上流側移動歩道部の一部は1.5m浮き上がる併用箇所 床版下流側メディア再生する メディア再生する メディア再生する 被害 歩道部分最大で0.4m上流側移動車道上に落下した車道部分移動せず。 併用箇所 床版中央軌道部) メディア再生する 被害 主桁上部定着していたため移動無かったが、無数の亀裂発生していた。電車運転再開後は振動により亀裂がさらに進行した併用箇所 欄干 メディア再生する メディア再生する 被害 埋め込まれI型鋼が"せん断"され、左岸下流側一部残して両側共に川に落下した併用箇所 主桁 メディア再生する メディア再生する メディア再生する 被害 支承アンカーボルト頭部上流側にねじ切れており、主桁動いていたことがわかった自体中央部分支点主桁S字状に変形したが他はほぼ無事だった。よってその後復旧工事の際に補修はされていない連絡橋下部工護岸 メディア再生する メディア再生する メディア再生する 被害 広島市公式の原爆戦災誌 1971および土木学会1950共に破壊状況記述されていないことや、記録映像米国戦略爆撃調査団写真より、欄干併用同様に川に落下したものの、それは顕著な被害不明併用連絡橋2つ乗る中央の橋脚の上部に亀裂生じた橋脚全体では被害はほとんどなく、この付近のみ間知石積の護岸が6箇所崩壊したものの橋台被害はなかった。 併用床版車道部と歩道部でおのおの浮き上がったのは、この爆心地から近距離だったことに加え当時橋の構造原因がある。これは床版軸直角方向主桁に対して直角方向)の鉄筋軌道車道および歩道境界部分で分断されており床版それぞれ独立していたため、衝撃波による外圧かかった際に縦方向におのおの別個に破断した考えられている。 なお、相生橋床版被害状況上流側のほうが被害大)、下記表の橋梁被害状況、すぐ北側にあった広島護国神社鳥居扁額状況相生通り側は吹き飛ばされ無傷)など、衝撃波による被害真上から圧力がかかる爆心下より少し離れた位置のほうが大きくなっている。

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 18:14 UTC 版)

広島県庁舎」の記事における「原爆被災」の解説

多聞院1945年原爆投下後の市中心部中央やや右を縦断するのが相生通りであり、その道沿い手前から2つめのL字型建物旧・東警察署。 原爆被災分布図。また旧庁舎付近全焼しているとわかる。最も右側流れるのが猿猴川であり、その下流付近に東洋工業小さな字で「TOYO INDUSTRIES INC.」)がある。また旧陸軍兵器補給廠は火災発生しなかったとわかる。 1945年8月6日8時15分、被爆爆心地から約900m)。庁舎周辺含め壊滅した同日17時戦災緊急避難先として指定されていた多聞院右上地図比治山公園の「比」の字の左側付近)に石原虎好警察部長により臨時「県防空本部」が設けられ同日18時半には服部直彰中国地方総監副総監が、同時刻頃福山市への出張によりたまたま難を逃れていた高野源進知事到着内務省への報告救護班出動命令出されるなど、被爆直後臨時県庁として機能した。 翌8月7日朝、臨時県庁として東警察署(現広島銀行銀山町支店)に移転救済活動食糧放出などの対策進められた。なお当地は現在広島銀行銀山町支店となっている。 8月20日東洋工業(現マツダ社長松田重次郎より土地提供され府中町東洋工業講堂3階建)に移転全機関がこの敷地内業務遂行再開した

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:11 UTC 版)

広島陸軍被服支廠」の記事における「原爆被災」の解説

1945年昭和20年8月6日投下され原子爆弾により広島市壊滅状態陥ったが、爆心地から約2.7km離れていた被服支廠外壁の厚みが60cmと厚かったこともあって焼失倒壊免れ救護所として使用され避難してきた多く被爆者がここで息を引き取った当時惨状峠三吉原爆詩集』の詩「倉庫記録」「仮繃帯所にて」に描写されている。 このとき爆風により大きく歪んだ窓の鉄製扉は、現在もそのまま残され広島平和記念資料館には爆風浮き上がったレンガ塀笠木切り取られ保存されている。

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 21:51 UTC 版)

江波 (広島市)」の記事における「原爆被災」の解説

1945年8月6日の原爆被災に際し広島測候所では職員中に死傷者出たり観測機器破損した爆風窓枠曲がったりといった被害があった。また多く負傷者殺到し、その数は一万人を突破したといわれている。

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原爆被災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 06:23 UTC 版)

広島陸軍兵器補給廠」の記事における「原爆被災」の解説

1945年昭和20年8月6日原子爆弾投下では、爆心半径3.0km以内にあり、比治山陰に入る位置にあったものの爆風により半壊ないしそれに近い被害受けたこのため修道中学校崇徳中学校実践高等女学校(現:広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校)など勤労動員されていた生徒多数被爆死傷した当日広島では、兵器廠以外にも建物疎開などに多数学生・生徒動員されていたため、動員学徒全員死亡した例も多い)。当時修道中学在学していた平山郁夫(のち日本画家)もこの時負傷した学生一人である。また被爆直後市内から撮影されキノコ雲写真一つは、当日カメラ隠し持っていた動員学徒によってこの地点から撮影された。

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