皆実町時代と原爆被災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 03:54 UTC 版)
「広島医科大学」の記事における「皆実町時代と原爆被災」の解説
設立当初の校地は、旧師範学校校地であった広島市皆実町1丁目(現南区比治山本町)に置かれ、その附属病院(のち附属医院)となった旧・県立病院(現在の県立広島病院)は広島市水主町(現・中区加古町)に所在していた。1945年(昭和20年)8月、空襲激化に伴い高田郡小田村(現安芸高田市)の高林坊寺院に疎開したが、翌日の原爆被災によって広島市の本校舎・附属医院はともに全部焼失した(しかし疎開のおかげで生徒の大半は被爆死を免れた)。特に爆心直下に所在する附属病院(旧県立病院)は完全に機能停止となり、この時点で医専との関係は消滅したとみられる(戦後1948年日本医療団広島中央病院の施設の移管を受け宇品に移転、県立広島病院として再発足した)。このため同年12月、学校および附属医院を広島県賀茂郡安浦町旧安浦海兵団跡に移転し、授業を継続した。
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