第1次楽天時代とは? わかりやすく解説

第1次楽天時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:38 UTC 版)

田中将大」の記事における「第1次楽天時代」の解説

2007年春季キャンプでのフリー打撃紅白戦オープン戦初登板が全て中止延期となり、チーム内で雨男あだ名された。3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で初登板初先発1回2/3投げて打者12人に対し6安打3奪三振1四球で6失点。4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で9回を2失点13奪三振抑え勝利完投6月13日対中ドラゴンズ戦で高卒新人では2005年ダルビッシュ有以来完封勝利記録同年オールスターゲーム高卒新人では1999年松坂大輔以来となるファン投票選出された。7月22日の第2戦に先発し自己最速の153km/hを記録した(2回6失点)。7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目江夏豊並び最速タイとなる962/3でのシーズン100奪三振記録8月31日埼玉西武ライオンズ戦で松坂大輔以来となる高卒新人、および球団史上初となる2勝利を挙げた規定投球回にも到達した楽天球団高卒新人による規定投球回到達球団初である。リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げリーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振記録高卒1年目新人王受賞した。これは松坂大輔以来8年ぶり、2021年現在では田中最後同年連敗ストッパーとなることが多く監督野村克也は「だって(田中は)ウチエースだもん」と答えたこともあった。ソフトバンクとの相性良く登板6試合のうち5試合勝利投手になった2008年シーズン前2年目のジンクスについて聞かれると「全く考えていない。いまやるべきことをやるだけ。そのこと二度と聞かないでほしい」と答えた5月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で勝利投手となり、北海道で初勝利を挙げたまた、この試合後には同球場では史上初の対戦チーム選手ヒーローインタビュー流された。交流戦最終戦の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)ではプロ入りセーブ挙げた北京オリンピック北京五輪)の野球日本代表選出され背番号15大会通じ3試合登板、7イニング失点だった。レギュラーシーズン最終戦10月8日の対ソフトバンク戦Kスタ宮城)で9回を6安打失点抑えチーム延長12回にサヨナラ勝利する田中勝利投手とならずこの年は9勝に終わるが、高卒新人としては40年ぶりの2年連続150奪三振記録した2009年開幕前の3月開催され第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表選出された。同大会では日本の2大会連続2度目優勝経験している。 シーズンではホーム開幕戦となる、対ソフトバンク戦先発し完封シーズン勝利を挙げたまた、4月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投4月22日ロッテ戦完封4月29日対日本ハム戦で野村克也監督通算1500勝目となる1失点完投と、1993年小宮山悟長谷川滋利以来となる開幕から4試合連続完投勝利を記録し自身初の月間MVP選出された。5月13日対日本ハム戦で完投途切れたが、6月3日の対阪神タイガース戦で敗れるまで開幕7連勝記録6月11日中日戦で8勝目挙げた後は、7月20日の対ソフトバンク戦抑えとして登板して自己最速更新する155km/hを計測し防御率1点台を維持しつつもオールスターゲーム後まで勝ち星からは遠ざかっていた。8月7日日本ハム戦で約2か月ぶりの勝利となる9勝目挙げて以降安定した結果残し8月27日西武戦自己最多となる12勝目記録8月には4試合登板して4勝0敗、防御率1.44、30奪三振自身2度目となる月間MVP選出される援護率パ・リーグワースト2位の3.54だったにもかかわらず最終的にリーグ2タイ、チームトップとなる15勝、リーグ3位となる防御率2.33を記録10月17日クライマックスシリーズ1ステージ第2戦の対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げチーム第2ステージ進出貢献した12月25日契約更改では1億500万円増、プロ入り4年目選手としてはダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる推定年俸1億8000万円契約2010年シーズン開幕から低調チーム中でも奮闘した5月には自身3度目となる月間MVP受賞し6月までにチームトップの8勝を挙げた。しかし7月太腿肉離れ戦線離脱8月復帰するも、8月29日の対西武戦投球中に違和感訴えて降板すると右大胸筋部分断裂診断され以降試合欠場している。最終成績11勝、防御率2.50はチームトップだったが、奪三振投球回プロ入り後最低となった11月15日にはタレント里田まいとの交際自身ブログ公表した2011年1月12日ホリプロよりマネジメント契約結んだことが明らかにされた。公式戦シーズンは、6月7月には2か月連続月間MVP受賞8月7日対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から16試合連続クオリティ・スタート達成し8月27日の対ソフトバンク戦では野田浩司に次ぐ歴代2位当時)の1試合18奪三振記録9月10日対日ハム戦では、2006年夏甲子園決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がり見せ結果田中が1失点完投勝利した。この試合「ジョージア魂」賞年間大賞選ばれている。シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、中々打線援護恵まれなかったが後半勝ち星伸ばし最終的に19勝5敗。前述6、7月の他に10月月間MVP受賞しリーグ史上初となる年間3度月間MVP受賞果たした投球回は初の200イニング超え226回1/3イニング年々減っていた奪三振241イニング数を超える数を記録防御率パ・リーグ史上2位となる1.27で、2リーグ制以降では歴代5位の記録である。この年最多勝利D.J.ホールトン同数)、最優秀防御率最優秀投手最多完封(6試合ダルビッシュ同数)の4冠を獲得。他に両リーグトップの完投14試合、ただし、2試合10イニング投げた試合があるがいずれも決着が付かなかったため完投ならず)、無四球試合(5試合)も記録四球の数も減り過去最多イニング投げながら四球は僅か27過去最少で、パ・リーグ規定投球回到達した投手の中では3番目に少なく与四球率1.07、K/BB最多奪三振記録したダルビッシュの7.67を上回る8.93を記録し沢村栄治賞を初受賞、他にもベストナインにも選出されゴールデングラブ賞最優秀バッテリー賞獲得した2012年1月26日里田まいとの婚約発表シーズン開幕控えた3月20日に里田との婚姻届提出した3月30日開幕戦では自身初の開幕投手務めたが、6回5失点敗戦投手となった4月22日腰痛2年ぶりに戦線離脱した復帰後の5月30日の対巨人戦先発杉内俊哉互いに8回まで投げ2奪三振記録する勝負だったが、チームノーヒットノーラン敗れ敗戦投手に。7月6日西武戦では先発登板予定されていたが、投球練習中に脇腹違和感訴えて先発登板回避し代役として中7日塩見貴洋登板することになった8月19日の対西武戦西武ドーム)では通算1000奪三振記録するものの6失点敗戦投手となるが、8月26日対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利挙げ、これより翌シーズンにかけての連勝記録スタートさせることになる。シーズン終盤に4連勝し最終戦10勝目挙げ4年連続の2勝利となった防御率2年連続1点台となる1.87、リーグ最多奪三振記録。また完投完封もリーグトップを記録規定投球回達成者では最少となる19四球、BB/9は0.99と1を割り込んだオフ12月4日第3回WBC日本代表候補選手34人に選出された。また12月22日3年12億円+出来高契約更改し、「将来的に、そういうところ(メジャー)でやろうという気持ち芽生えたので、早いうちに伝えよう思いました」と将来的メジャーリーグ挑戦意思があることを明らかにした。 2013年2月20日第3回WBC日本代表選手28人に選出された。同大会では先発として起用されていたが、中継ぎ配置転換され、4試合登板。7イニング防御率2.57の成績だった。 レギュラーシーズンでは開幕から連勝重ねた4月は4試合登板し、3勝0敗。なお4月16日の対ソフトバンク戦では7回3失点リードのまま降板しているが、チームその後逆転負け田中勝ち負けはつかなかったが、この年シーズン公式戦では唯一の田中登板して敗戦となった5月は5試合登板し4勝0敗で、通算8度目となる月間MVP獲得した。これは、投手としてはパ・リーグ最多5年連続受賞投手としてはプロ野球初。6月16日の対阪神戦Kスタ宮城)で球団新記録開幕から9連勝6月は4試合登板で3勝0敗で、史上初の2度目の2か月連続通算9度投手としては日本プロ野球最多タイ月間MVP受賞7月は4試合登板で3完投の4勝0敗として、パ・リーグ初の3か月連続日本プロ野球タイ記録年間3度目通算10度目(いずれもイチロー記録に並ぶ)の月間MVP受賞となった8月入って連勝途切れることはなかった。9月多く連勝プロ野球新記録作ることになる。8月2日対日本ハム戦(札幌ドーム)で、開幕から15連勝として間柴茂有1981年)と斉藤和巳2005年)の日本プロ野球記録並んだ8月9日の対ソフトバンク戦Kスタ宮城)で日本プロ野球新記録開幕16連勝、また前年から20連勝で、松田清1951年 - 1952年)と稲尾和久1957年)の日本プロ野球記録並んだが、先発登板だけで20連勝史上初である。8月16日の対西武戦西武ドーム)で日本プロ野球新記録21連勝8月30日の対ソフトバンク戦ヤフオク)で開幕からの連勝19として、にルーブ・マーカード1912年記録したメジャーリーグ開幕連勝記録並んだ8月は5試合登板し、5勝0敗で、日本プロ野球新記録の4か月連続年間4度目通算11度目となる月間MVP受賞9月6日対日本ハム戦(Kスタ宮城)で稲尾和久1957年)の記録に並ぶ日本プロ野球タイ記録シーズン20連勝シーズン20勝は2008年楽天岩隈久志以来メジャーリーグ開幕連勝記録上回った9月13日の対オリックス戦Kスタ宮城)でシーズン21連勝日本プロ野球新記録となり、カール・ハッベル1936年から1937年にかけて記録したメジャーリーグ連勝記録上回った9月21日対日本ハム戦(札幌ドーム)で日本プロ野球では1980年木田勇以来33年ぶり、2008年岩隈久志上回る球団新記録シーズン22勝目で、2003年斉藤和巳以来日本プロ野球タイ記録15試合連続登板勝利楽天優勝へのマジック2で迎えた9月26日の対西武戦西武ドーム)で1点差で迎えた9回裏に、同季初のリリーフ登板。この時、ほぼ同時刻に2位ロッテ敗れてマジックが1となり、このまま勝てば優勝決定場面で田中走者2人出したものの無失点抑えて胴上げ投手となり、チーム初のリーグ優勝決めた田中セーブ4年ぶり。9月は4試合登板で3勝1セーブとして、5か月連続通算12度目の月間MVP受賞その後連勝途切れることなく、同季最終登板となった10月8日の対オリックス戦Kスタ宮城)でシーズン24勝目挙げたシーズン中田中クオリティスタート率は100%であり、全試合を6イニング以上、自責点3以下に抑えたロッテとのクライマックスシリーズCSファイナルステージでは第1戦(Kスタ宮城)に先発登板し2対0で、CSでは初の完封勝利CSで3試合連続勝利タイ記録史上3人目、3試合連続完投勝利CS新記録日本シリーズ進出決めた第4戦でも9回表リリーフ登板し失点抑えてパ・リーグCS最優秀選手選ばれている。巨人との日本シリーズでは第2戦(Kスタ宮城)に先発しシリーズ史上18人目20度目の2奪三振シリーズ史上3人目毎回12奪三振で、自身球団シリーズ勝利を挙げるが、チーム日本一まで残り1勝だった第6戦(Kスタ宮城)では、9回を160球で完投被安打12で、この年シーズン公式戦から含めてワーストとなる4失点敗戦投手となった翌日の第7戦(Kスタ宮城)でも3点リード迎えた9回から登板打者5人に15球で無失点抑えてセーブ挙げ球団史上初の日本一決定すると共に田中胴上げ投手となったこの年は、最多勝最優秀防御率勝率第1位投手獲得前年からの連勝28開幕からの連勝24としてそれぞれ日本プロ野球新記録達成規定投球回数達し勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、シーズン無敗最多勝日本プロ野球史上初。沢村賞選考委員会でわずか10満場一致により選出されベストナイン投手部門では24年ぶり、自身初のMVPでは投手野手通じて48年ぶりに、記者投票満票獲得して受賞となった11月23日行われた球団ファン感謝祭において、開幕からのシーズン24連勝前年からの28連勝と、これにポストシーズンの2勝を含めた30連勝3つギネス世界記録として認定され認定証が贈られた。 ポスティングシステムの新協定成立後12月17日には翌シーズンMLB挑戦希望していることを表明し25日球団からポスティングシステム行使容認されるマネジメント契約結んでいたホリプロとの契約この年終了し、エクセル・スポーツ・マネジメントのケーシー・クロース(英語版)を代理人として契約交渉を行う。田中プロ入り当初からメジャー願望持っていたことを当時監督であった野村が後に明かしている。

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