第1次発掘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:23 UTC 版)
1967年(昭和42年)7月には仙台市の公園整備事業の一環として、宮城教育大学日本史研究会が、平重道教授・加藤孝講師・後藤勝彦講師の指導のもと、発掘調査を行った。発掘の鍬入式には金倉円照学長と大塚徳郎教授も参加した。東西9メートル、南北4メートルの長方形の狭い範囲ながら、はじめての組織的な調査であり、遺物は層位別に取り上げられ、克明に破片点数も数え上げられた。縄文土器4337点、うち10個復元、石鏃63点・石槍6点・石匙41点、石箆10点、他に磨製石斧6点、石皿1点、磨石82点、凹石24点、不定形の石器が68点あった。 その結果、第Ⅲ層土器は「上川名Ⅱ式」のバリエーション、「大きな意味で大木I式以前の縄文前期初頭の土器」、第Ⅱ層土器は林が三神峯Ⅲ式と仮称している底面縄文施文土器も含め「大木1式土器としておきたい」、第Ⅰ層土器は「大木2a式」とされ、林の細別には否定的な見解が示された。ただし、この型式区分についても、山内が当初示した型式内容とは大きく異なっており、後々まで問題を残すこととなった。
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