第1次粛清終了後の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:38 UTC 版)
「昭南憲兵隊」の記事における「第1次粛清終了後の編成」の解説
第1次粛清(シンガポール市内の集団検問による粛清)が終了すると、大石隊長は、 横田昌隆中佐以下をスマトラ作戦の配属憲兵要員として控置し、 シンガポール島における憲兵の編成配置を下記のとおりとした。昭南東分隊(水野銈治少佐)…シンガポール川以東。スタンフォード路(英語版)の旧YMCAの建物を拠点とした。 昭南西分隊(上園美治大尉)…同川以西。のちに水上分隊となった。水上憲兵隊はタンジョン・パガー(英語版)の聖アンドリュース児童病院の建物に拠点を置き、空・海の交通管制と情報収集をしていた。 別に特別警察隊(特警隊)(大西覚中尉以下憲兵50名)を編成し、同隊はマレー・シンガポール全域の共産党対策と防諜を担当した。特別警察隊は1942年3月中旬、オクスレイ・ライズの下に移った。
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