第1次朝鮮共産党
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1925年4月17日、京城府(現:ソウル)の中華料理店「雅叙園」において、金在鳳ら18人によって朝鮮共産党が結成され、責任秘書(書記長に相当)に金在鳳を選出した(第1次朝鮮共産党)。また、翌4月18日には朴憲永・曺奉岩らによって、青年組織として「高麗共産青年会」(略称「高麗共青」あるいは「共青」)が結成された。もとより非合法の組織であり、秘密裏の結党であった。 朝鮮共産党(第1次) 責任秘書 - 金在鳳 各部責任者 - 趙東祜(朝鮮語版)(組織部)、金燦(宣伝部)、金若水(朝鮮語版)(人事部)、鄭雲海(労農部)、兪鎮煕(朝鮮語版)(政治経済部)、朱鍾健(調査部) 高麗共産青年会(第1次) 責任秘書 - 朴憲永 各部責任者 - 権五卨(組織部)、林元根(朝鮮語版)(宣伝教養部)、金丹冶(朝鮮語版)(政治部兼連絡部)、洪増植(調査部)、曺奉岩(国際部) 朝鮮共産党は火曜派が主導し、北風会派が加わって結成された。この過程から排除されたソウル派も共産党組織を結成したが、コミンテルンの承認は得られなかった。 朝鮮共産党は、1926年春にコミンテルンから承認を受け、正式な共産党(コミンテルン支部)となった。しかし、それより以前の1925年11月に上海に向かう途中の党員が中朝国境の新義州においてトラブルを起こし、上海経由でモスクワに送ろうとした共青の事業報告書が官憲に没収されたことから党の活動が露見(新義州事件(朝鮮語版))。朴憲永・金在鳳・金若水ら主要な党員・幹部らの一斉摘発・検挙が行われ、検挙を逃れた幹部も国外に亡命した。これにより組織は大打撃を受けた(第1次朝鮮共産党事件)。
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