第1次朝鮮共産党とは? わかりやすく解説

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第1次朝鮮共産党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)

朝鮮共産党」の記事における「第1次朝鮮共産党」の解説

1925年4月17日京城府(現:ソウル)の中華料理店雅叙園」において、金在鳳18人によって朝鮮共産党結成され責任秘書書記長に相当)に金在鳳選出した(第1次朝鮮共産党)。また、4月18日には朴憲永曺奉岩らによって、青年組織として「高麗共産青年会」(略称「高麗共青」あるいは「共青」)が結成された。もとより非合法組織であり、秘密裏結党であった朝鮮共産党第1次責任秘書 - 金在鳳 各部責任者 - 趙東祜朝鮮語版)(組織部)、金燦(宣伝部)、金若水朝鮮語版)(人事部)、鄭雲海労農部)、兪鎮煕(朝鮮語版)(政治経済部)、鍾健(調査部高麗共産青年会第1次責任秘書 - 朴憲永 各部責任者 - 五卨(組織部)、元根朝鮮語版)(宣伝教養部)、金丹冶(朝鮮語版)(政治部連絡部)、洪増植(調査部)、曺奉岩国際部朝鮮共産党火曜派が主導し北風会派加わって結成された。この過程から排除されソウル派も共産党組織結成したが、コミンテルン承認得られなかった。 朝鮮共産党は、1926年春にコミンテルンから承認を受け、正式な共産党コミンテルン支部となった。しかし、それより以前1925年11月上海に向かう途中党員中朝国境新義州においてトラブル起こし上海経由モスクワ送ろうとした共青の事業報告書官憲没収されたことから党の活動露見新義州事件朝鮮語版))。朴憲永金在鳳金若水主要な党員幹部らの一斉摘発検挙が行われ、検挙逃れた幹部国外亡命した。これにより組織大打撃受けた(第1次朝鮮共産党事件)。

※この「第1次朝鮮共産党」の解説は、「朝鮮共産党」の解説の一部です。
「第1次朝鮮共産党」を含む「朝鮮共産党」の記事については、「朝鮮共産党」の概要を参照ください。

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