第1次救援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)
最初に救出された人々名前年齢エリサ・ドナー 14 レアンナ・ドナー 12 ジョージ・ドナー,Jr. 9 ウィリアム・フック* 12 マーグレット・リード 32 ヴァージニア・リード 12 ジェイムズ・リード,Jr. 6 エドワード・ブリーン 13 サイモン・ブリーン 8 ウィリアム・グレイブス 17 エレノア・グレイブス 14 ロヴィナ・グレイブス 12 メアリ・マーフィー 14 ウィリアム・マーフィー 10 ネオミ・パイク 2 フィリピン・キースバーグ 23 エイダ・キースバーグ* 3 ドリス・ウォルフィンガー 20 ジョン・デントン* 28 ノア・ジェイムズ 20 エリザ・ウィリアムズ 31 *途中で死亡 当時、カリフォルニアにいた軍隊と壮健な男子は米墨戦争に動員されていた。たとえばフレモント大佐の部下も、この時点ではちょうどサンタバーバラ攻略に従事している。地域全体で道路は封鎖され、通信状況は悪く、物流は途絶えていた。ドナー隊の救援要請に応じた人員はわずか3名だった。リードも付近で生じた反乱と全般的な混乱のため2月までサンノゼで足止めされたが、同地でほかの開拓者や知人に働きかけ、これに動かされたサンノゼ住民は米国海軍に対してトラッキー湖畔に残る遭難者を救援するよう陳情した。地元紙2紙がかんじき隊が人肉食にまで及んだことを報じると、依然として雪に囚われたままの人々に対して同情が高まった。新しい移民が多かったヤーバ・ブエナ(現・サンフランシスコ)では1,300ドル(2016年換算33,500ドル)の義捐金が寄せられ、救助隊を支援する中継基地が2か所に設営された。 2月4日、ウィリアム・エディを含む救助隊がサクラメント渓谷を出発した。雨と川の増水によって数日間足止めを食う。エディはベア渓谷に留まり、ほかの者は雪と嵐を冒してトラッキー湖畔への峠越えに向けて着実に進んだ。その間身軽になるため携行食料は減らし、随時中継基地で補給した。3名は途中で引き返したが、残る7名は前進を続けた。 2月18日、7名の救助隊はフレモント峠(現・ドナー峠)を越え、エディから聞いていた小屋の位置付近に着くと大声で呼んだ。するとマーフィー夫人が雪の中の穴から現れ、救助隊を凝視すると「カリフォルニアから来たの、それとも天国から来たの?」と尋ねた。救助隊は食料を少量ずつ分配した。衰弱した人々に急に過食させると死ぬおそれがあったためである。すべての小屋は雪に埋もれていた。濡れた牛革の屋根は腐り始めており、ひどい悪臭がした。13人はすでに死んでおり、遺体は小屋の屋根から近い雪の中に浅く埋められていた。一部の生存者は情緒不安定に陥っていた。救助隊のうち3名はドナー家の位置まで進み、4人の痩せ衰えた子どもと3人の大人を連れ帰った。中でもレアンナ・ドナーはアルダー川からトラッキー湖畔までの険しい登りに殊に難儀し「あの日の苦痛と惨めさは筆舌に尽くしがたい」とのちに書いている。ジョージ・ドナーは手から腕が壊疽を起こしていて動けなかった。救助隊はまず23名を連れ帰ることとし、トラッキー湖畔の小屋とアルダー川にそれぞれ21人と12人が残された。 救助隊はかんじき隊の末路を隠し、凍傷で来られないだけだと伝えた。パティとトーマス・リードは積雪の中を進む体力が続かなくなり、ほかの誰も彼らを運ぶ余裕がなかった。そのためマーグレット・リードは、下の子2人がトラッキー湖畔に親なしで連れ戻されるのを断腸の思いで見送り、年長の子ども2人だけを伴ってベア渓谷に向かうほかなくなった。彼女は救助隊員のアクィラ・グローバーに対し、子どもらを湖畔まで無事連れ戻すことをフリーメイソンの名誉にかけて誓わせた。パティ・リードは「あのね、お母さん、もしもう会えなかったときは、精一杯頑張って」と言った。彼らが湖畔に戻ると、ブリーン家は自分達の小屋に入れることをすげなく断ったが、グローバーが食料を余分に出すと渋々ながら子どもを受け入れた。一方、先に進んだ救助隊が愕然としたことに、帰路で最初の物資集積所は動物に荒らされており、以後4日間食料切れになった。峠越えに苦闘する中でジョン・デントンが昏倒し死亡。エイダ・キースバーグもまもなく死に、彼女の母親は慰めようもないほど落胆して遺体を放そうとしなかった。困難な地形をさらに数日進んだところで、救助隊員はこのままでは子どもらが持たないのではないかと危惧した。子どもの何人かは隊員のズボンについていた鹿革の房飾りや靴ひもを食べて隊員を驚愕させた。山を下る途中、次の救助隊と行き会い、その中にいたジェイムス・リードの声を聞いてマーグレット・リードは雪の中に卒倒した。 これらのあと、救出された人々はベア渓谷に無事到着した。ウィリアム・フック(ジェイコブ・ドナーの養子)はそこで食料庫に押し入り過食して死んだ。ほかの者はサッター砦まで進んだが、ヴァージニア・リードは「あのときは本当に楽園に来たかと思った」とのちに書いている。彼女はそのときまだ12歳で飢えで衰えていたが、自分に求婚する若者まで現れたとおかしげに触れている。しかしその申し出は断った。
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