現空港
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1999年(平成11年)11月11日 新紋別空港開港、ジェット化。ANK、新千歳空港線再開。 2000年(平成12年)3月1日 紋別空港に改称。 7月1日 ANK、東京国際空港線開設。季節運航で開設されたが、間もなく通年運航に変更。 2001年(平成13年)4月1日 ANK、新千歳空港線休止・丘珠空港線再開。 2002年(平成14年)7月1日 ANK、丘珠空港線をエアーニッポンネットワーク (AKX)へ移管。 2003年(平成15年)10月1日 AKX、丘珠空港線廃止。 2004年(平成16年)2月1日 AKX、新千歳空港線に1箇月限定就航。 2005年(平成17年)7月4日 北海道エアシステム (HAC)、丘珠空港線に11月30日まで(土曜・日曜は休航)就航。 11月16日 HAC、丘珠空港線を当初予定を繰り上げ終了。 2006年(平成18年)2月1日 HAC、新千歳空港線に2月の土曜・日曜限定就航。 7月1日 HAC、新千歳空港線に11月30日まで就航。 2007年(平成19年)2月28日 HAC、新千歳空港線と丘珠空港線の廃止を届け出。 2011年(平成23年)10月30日 ANA、東京国際空港線を2012年(平成24年)1月31日まで一時休止。同期間、新千歳空港線を再開させ乗継便とする。 2015年 3月31日 - 東京航空局紋別空港出張所閉所
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現空港
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1975年(昭和50年) - 新空港建設適地調査を開始。 1979年(昭和54年)4月 - 新女満別空港設置許可を申請。 1980年(昭和55年)10月 - 新女満別空港設置許可、第三種空港指定。 1981年(昭和56年)6月 - ジェット化へ向け、新女満別空港の工事着工。 1984年(昭和59年)4月 - 空港ターミナルビル・貨物ビル着工。 12月 - 基本施設完成。 1985年(昭和60年)3月 - ターミナルビル竣工。 4月22日 - 女満別空港南側に新女満別空港供用開始 (2,000 m)、ジェット化。女満別空港廃止。 1987年(昭和62年)2月 - 初の国際チャーターとして全日空香港便を運行。 4月 - 新女満別空港から女満別空港へ改称。 1988年(昭和63年)4月 - 東亜国内航空、日本エアシステム に商号変更。 1992年(平成 4年)4月 - 小型機エプロン供用開始。 4月 - 初のワイドボディ機として日本エアシステムが東京線にA300を導入。 7月 - 全日本空輸、大阪国際空港 線運航開始。 1993年(平成5年)7月1日 - 全日本空輸、名古屋空港線運航開始。 1994年(平成6年)滑走路2500m延伸認可。 3月 - 空港ビル増築部分供用開始。 9月 - 全日本空輸、関西国際空港 開港に伴い、大阪国際空港線を関西国際空港線に変更。 1995年(平成7年)6月 - 日本エアシステム、福岡空港 線運航開始(6月〜10月の季節運航)。 10月 - 滑走路延長工事着工。 1996年(平成8年)6月 - 日本エアシステム、広島空港経由福岡空港線、新潟空港 線運航開始(6月〜10月の季節運航)。 7月 - 日本エアシステム、仙台空港 線運航開始。 1997年(平成9年)7月 - (旧)日本航空 ・全日本空輸、東京国際空港線運航開始3社競合路線となる。 8月 - エアーニッポン、新千歳空港 線運航開始2社競合路線となる。 10月 - 日本エアシステム、福岡空港線休止。 11月 - 日本エアシステム、広島空港経由福岡空港線休止。 1999年(平成11年)4月 - 全日本空輸、東京国際空港線を通年運航から6月〜10月の季節運航に変更。 10月 - 北海道エアシステム、函館空港 線運航開始。 11月 - エアーニッポン、丘珠空港線運航開始。 2000年(平成12年)1月 - 1985年(ジェット化)以降の利用者数が1,000万人を突破。 2月24日 - 滑走路延長(2,500m)完成、日本エアシステム東京国際空港線の機材変更でボーイング777-200 型機が記念飛来。 4月 - 全日本空輸、東京国際空港線を季節運航から7〜9月の期間限定運航に変更。 4月 - 日本エアシステム、仙台空港線を季節運航から7月中旬〜8月の期間限定運航に変更。 7月 - 全日本空輸、関西国際空港線をエアーニッポンに移管。 9月 - 全日本空輸、東京国際空港線休止2社競合路線となる。 10月 - エアーニッポン、丘珠空港線休止。 2001年(平成13年)3月2日 - ジャンボジェット機が初飛来((旧)日本航空ホノルル国際空港行チャーター便、ボーイング747-200B 型機)。 8月 - 日本エアシステム、仙台空港線休止。 2003年(平成15年)4月 - 日本エアシステム、大阪国際空港線運航開始大阪線としては2社競合路線となる。 7月 - 日本エアシステム、仙台空港線を7月・8月の期間限定運航で再開。 8月31日 - エアーニッポンのYS-11型機が、新千歳空港行454便を最後に運航終了。 9月 - エアーニッポンネットワーク 、丘珠空港線、新千歳空港線運航開始。 9月 - 日本エアシステム、仙台空港線休止。 10月 - (旧)日本航空、日本エアシステムとの統合準備に伴い、東京国際空港線を日本エアシステムに移管再度単独路線となる。 10月 - 日本エアシステム、新潟空港線休止。 11月 - エアーニッポン、関西国際空港線を通年運航から2月〜3月、6月〜10月の季節運航に変更。 2004年(平成16年)4月 - 日本エアシステム、日本航空ジャパン に商号変更、日本航空便名となる。 4月 - エアーニッポン・エアーニッポンネットワーク、全日本空輸グループ便名統一化に伴い全日本空輸便名に変更。 2005年(平成17年)2月 - 全日本空輸、中部国際空港 開港に伴い、名古屋空港線を中部国際空港線に変更。 4月 - 日本航空ジャパン、大阪国際空港線を関西国際空港線に変更。 4月 - 全日本空輸、関西国際空港線を季節運航から通年運航に再変更。 7月3日 - 美幌バイパス女満別空港IC 開設。 9月 - JR北海道開発のデュアル・モード・ビークルの試験運行を、北見駅 - 西女満別駅 - 女満別空港間で実施。 10月 - 航空管制官 配置により、管制空港になる。 2006年(平成18年)2月 - 北海道国際航空 、全日本空輸との共同運航で東京国際空港線運航開始(全日本空輸便としては再開)再度競合路線となる。 3月19日 - ターミナルビル第3期増築工事完成、搭乗橋・ターンテーブル各1基を増設し、内際分離式のCIQスペースを設けた。 北海道エアシステム、函館空港線休止。 4月 - エアトランセ 、函館空港線運航開始。 4月 - 駐車場有料化。 6月 - エアトランセ、新千歳空港線運航開始3社競合路線となる。 2007年(平成19年)2月 - エアトランセ、新千歳空港線休止2社競合路線となる。 3月 - エアトランセ、函館空港便が不定期運航となる。 4月 - 全日本空輸、新千歳空港線休止再度単独運航(札幌線としては2社競合)路線となる。 9月 - エアトランセ完全撤退。 2008年(平成20年)11月 - 全日本空輸、関西国際空港線を通年運航から6〜9月の季節運航に再々変更。 11月 - ILS 36供用開始(ILS双方向化)。 2009年(平成21年)3月 - 日本航空インターナショナル、関西国際空港線を休止再度単独運航路線となる。 2010年(平成22年)7月 - 全日本空輸、丘珠空港線を新千歳空港線に変更。 10月 - 北海道エアシステム、新千歳空港線運航開始。 2011年(平成23年)4月 - 北海道エアシステム、丘珠空港線運航開始。 6月 - 全日本空輸、関西国際空港線を6〜10月の季節運航に延長。 2012年(平成24年)4月 - 全日本空輸、関西国際空港線を4〜10月の季節運航に延長。 10月 - 北海道エアシステム、丘珠空港線休止。 2013年(平成25年)5月 - 全日本空輸、関西国際空港線を5〜9月の季節運航に短縮。 2014年(平成26年)2月 - 4日より、各航空会社によるものをのぞく館内放送を、女満別空港ビル応援キャラクターに選ばれたVOCALOID及びVOICEROIDの結月ゆかりが行うことになった 。 2020年(令和2年)1月15日 - 北海道空港を中心とする「北海道エアポート」が女満別を含む道内主要7空港のターミナル民営化運営を開始 。 10月27日 - 北海道エアシステムが丘珠空港線を週3便(火・水・木)にて再開。 2021年(令和3年)2月10日 - Peach AviationがLCCキャリアとしては同空港初就航。成田国際空港線を開設。 3月1日 - 北海道エアポートが女満別を含む道内5空港全体の民営化運営を開始。 7月1日 - Peach Aviationが関西国際空港線を開設。 10月1日 - 女満別空港ビル株式会社が北海道エアポートに吸収合併される。
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現空港
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1981年(昭和56年)6月26日 - 第二種空港新秋田空港、河辺郡雄和町(現・秋田市)に開港。2,500m×60m(10/28)の滑走路供用開始。(旧)秋田空港廃止と同時に新秋田空港を秋田空港に改称 1984年(昭和59年)10月 - 防衛庁(現防衛省)と秋田県が航空自衛隊秋田救難隊の設置運用に関する協定を締結 1987年(昭和62年)3月31日 - 航空自衛隊秋田救難隊が新設 1993年(平成5年)7月5日 - 国際線ターミナルビル竣工 2001年(平成13年)10月29日 - 国際定期便(仁川国際空港便)就航 2010年(平成22年)9月9日 - 立体駐車場の供用開始 2012年(平成24年)3月25日 - 運用時間が22時までに延長される 2013年(平成25年)4月26日 - 国内線ターミナル2階の改装工事が完成 2019年 (平成31年) 3月30日 - 国際定期チャーター便(台湾桃園国際空港便)が就航。(1年間の期間限定) 2020年 (令和2年) 3月 - 臨時駐車場が第3-2駐車場として拡張工事の上、供用開始
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現空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 00:20 UTC 版)
1989年(平成元年)12月16日 - 香川郡香南町大字岡に、新高松空港が滑走路長2,500mで供用を開始。これに伴い旧空港は廃止。 1991年 - 新高松空港を高松空港に改称。 1992年 - 国際線旅客ターミナルの供用を開始。 2006年1月10日 - 香南町が高松市へ編入されたことに伴い、空港ターミナルビルの所在地が高松市香南町岡となる。 2010年7月13日 - ターミナルビル2階の空き店舗スペースに「空の駅かがわ」がオープン。 2012年5月31日 - 高松進入管制区が関西進入管制区に統合されたことに伴い、当空港施設での管制業務を一部廃止。 2013年 1月16日 - 山口宇部空港発東京国際(羽田)空港行のANA692便(ボーイング787)が、飛行中に機内に煙が充満して緊急着陸。滑走路が長時間にわたり閉鎖されたが、19時26分に運用を再開した。定期便による重大インシデントは現空港の開港以来初めてであった。詳細は「ボーイング787のバッテリー問題」を参照 4月1日 - 関西航空地方気象台高松空港出張所が航空観測所に移行される。 2015年5月27日 - エアロラボ インターナショナルが保有する日本航空機製造YS-11(N462AL)が動態保存機として東京国際空港より飛来する。その後2018年5月11日に能登空港へ移動するまでの約3年間、同空港にてエンジン始動、地上走行などを定期的に行った。 2017年12月1日 - 空港ビルの運営が民営化される。 2018年4月1日 - 滑走路等の施設を民営化。国管理の空港からは仙台空港に続いて2例目となる。 2019年10月1日 - 高松空港株式会社が空港ビルの旧運営会社で先に完全子会社化した高松空港ビル株式会社を吸収合併。
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