現聖堂の建設
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1896年(明治29年)9月に着任した長崎出身の第4代主任司祭本田保神父は、1908年(明治41年)教会の改築計画を立て、江戸時代の殉教者ジョアン又右衛門の墓の真上に大祭壇が位置する構想に基づき、新しい大聖堂の建築を計画した。海外にも広く寄付を募った。とくにドイツからは多くの浄財が寄せられたという。現在の聖堂は鉄川与助の設計のもと、1912年(明治45年)に着工。軟弱な地盤を克服する苦心の工事であったが、信徒の労働奉仕も受け、1913年(大正2年)12月8日に竣工した。 聖堂は、正面に六角形の双塔を持つロマネスク様式の赤レンガ建築で、長崎の旧浦上天主堂(原爆で消失)を一回り小さくした設計で造られ、国内のレンガ造りの教会堂としては、唯一の双塔となる。設計・施工にあたった鉄川与助は、長崎県を中心に九州地方で多くの教会堂建築を手がけた人物であり、彼の7棟目の教会建築となる。 また、本田神父は、今村出身のブラジル在留人に塔に取り付ける釣鐘の寄付を求め、寄贈が実現し、1914年(大正13年)長崎司教の聖別を得た。鐘の音色は親しまれていたが、1945年(昭和20年)太平洋戦争の終戦直前に徴発された。 近代の赤レンガ建築への関心から、以下のように高い評価を得ている。 赤煉瓦ネットワークによる「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」(藤森照信ら監修)では、大阪市中央公会堂(大阪府)や江田島旧海軍兵学校生徒館(広島県)とともに、「西の横綱」に選ばれている。 横浜開港資料館日本赤煉瓦建築番付では、京都の同志社大学や熊本の旧第五高等中学校本館とともに「西の大関」に選ばれている。 2006年(平成18年)、「今村教会堂」の名称で福岡県指定有形文化財に指定され、2015年(平成27年)7月に「今村天主堂」として国の重要文化財に指定された。 築100年を超え、老朽化による倒壊の恐れがあることから、2021年1月より建物内への立ち入りが禁止され、2022年6月より耐震補強工事が施工される。
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