現聖堂の建設とは? わかりやすく解説

現聖堂の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:50 UTC 版)

今村天主堂」の記事における「現聖堂の建設」の解説

1896年明治29年9月着任した長崎出身の第4代主任司祭本田神父は、1908年明治41年教会改築計画立て江戸時代殉教者ジョアン又右衛門の墓の真上大祭壇が位置する構想に基づき新し大聖堂の建築計画した海外にも広く寄付募った。とくにドイツからは多く浄財寄せられたという。現在の聖堂鉄川与助設計のもと、1912年明治45年)に着工軟弱な地盤克服する苦心工事であったが、信徒労働奉仕も受け、1913年大正2年12月8日竣工した聖堂は、正面六角形双塔を持つロマネスク様式赤レンガ建築で、長崎の旧浦上天主堂原爆消失)を一回り小さくした設計造られ国内レンガ造り教会堂としては、唯一の双塔となる。設計・施工あたった鉄川与助は、長崎県中心に九州地方多く教会堂建築を手がけた人物であり、彼の7棟目の教会建築となる。 また、本田神父は、今村出身ブラジル在留人に塔に取り付ける釣鐘寄付求め寄贈実現し1914年大正13年長崎司教聖別得た鐘の音色は親しまれていたが、1945年昭和20年太平洋戦争終戦直前徴発された。 近代赤レンガ建築への関心から、以下のように高い評価得ている。 赤煉瓦ネットワークによる「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」(藤森照信監修)では、大阪市中央公会堂大阪府)や江田島旧海軍兵学校生徒館広島県とともに、「西の横綱」に選ばれている。 横浜開港資料館日本赤煉瓦建築番付では、京都同志社大学熊本旧第五高等中学校本館とともに「西の大関」に選ばれている。 2006年平成18年)、「今村教会堂」の名称で福岡県指定有形文化財指定され2015年平成27年7月に「今村天主堂」として国の重要文化財指定された。 築100年超え老朽化による倒壊恐れがあることから、2021年1月より建物内への立ち入り禁止され2022年6月より耐震補強工事施工される。

※この「現聖堂の建設」の解説は、「今村天主堂」の解説の一部です。
「現聖堂の建設」を含む「今村天主堂」の記事については、「今村天主堂」の概要を参照ください。

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