反「インディアン・マスコット」運動
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「シャーリーン・テッタース」の記事における「反「インディアン・マスコット」運動」の解説
1988年、シャーリーンは、子供たちをイリノイ大学で開催されたバスケットボールの大学対抗試合に連れて行った。イリノイ大学のバスケットボール・チームは、「戦うイリニ族」という、実在のインディアン部族である「イリノイ部族連邦」の名をチーム名にしていた。 シャーリーン親子が試合を観戦していると、ハーフタイムに鷲の羽の頭飾りを着けて「インディアン風」の格好をした白人の学生が現れ、「イリニウェク酋長」という「インディアン・マスコット」を滑稽な仕草で演じ、デタラメな踊りを踊り始めた。シャーリーンの息子は、この滑稽な「イリニウェク酋長」を見て、なんとか笑おうとしていた。娘を見ると、観客席の中で身体を強張らせていた。子供たちのこの表情を見た瞬間に、シャーリーンはインディアン民族のイメージを娯楽として使用する、この「インディアン・マスコット」と戦うことを誓った。 これ以来、シャーリーンは自らのアート作品で「反インディアン・マスコット」を題材とし、また全米各地で講演を行い、「エンターテインメントにインディアンのイメージや物品、文化、及び霊的な様式の真似事を使用することが、人種差別なのだ」ということを人々に訴え始めた。これに対し、白人たちは「部族の名や文化が、国を代表するスポーツの、そのチームに因まれることは素晴らしい名誉と考えるべきである」と主張してきた。これにシャーリーンは「クリーブランド・インディアンス」の「ワフー酋長」や「ワシントン・レッドスキンズ」のチーム名を例に挙げ、こう反論している。 責任ある部族の酋長をマスコットに仕立てて、伝統衣装や小間物を飾り付け、見世物にすることが「名誉や敬意を私たちに払うことだ」とは到底思えません。酋長はどんな部族においても、高い敬意を受ける存在です。球場でこの敬意を受けるべき人物が「ニタニタ笑った漫画」にされたり、インディアンにとって深い苦痛をもたらすイメージがチーム名にされている状況が、歓迎されるものとは思えません。インディアンは人間です。マスコットではありません。私たちの社会における「戦士」とは、平和と生命に関わる存在です。 1992年、「コロンブス上陸500周年」のこの年に、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)は「インディアン・マスコット」根絶のための全国組織「スポーツとメディアにおける人種差別の全国連合」(NCRSM)を結成。シャーリーンはヴァーノン・ベルコート、マイク・ヘイニーら「AIM」の運動家らとともに、イリノイ大学のバスケットボールの会場の外で、「インディアンは人間だ」とのプラカードを掲げ、インディアン・マスコット、「イリニウェク酋長」に抗議する無言のデモを行った。しかしデモ行進は警察や大学のファンの襲撃を受け、彼らは揉みくちゃにされて暴行を受けた。 同年、シャーリーンは「アメリカインディアン国民会議」(NCAI)内に「人種正義のための事務所」を開設。アマ・プロ問わず全米のスポーツチームが使用している「インディアン・マスコット」撤廃のための抗議と議論を活発化させた。シャーリーンは、「レッドスキン」という言葉の由来について、こう説明している。 白人たちがインディアンの大陸にやってきて戦争を始めたとき、彼らは殺したインディアンを数えるために死体を荷馬車に載せました。ですが殺したインディアンの数が多すぎたので、じきにこれは殺したインディアンの首を切り落として、この首を載せて運ぶことになりました。それでも首が載せ切れないほどたくさん殺し続けたので、白人たちは馬車にたくさん積めるように、インディアンの頭から皮を剥ぐことにしました。これが「レッドスキン」(赤い皮)の言葉の始まりです。スポーツチームの ロゴデザインにインディアンの頭部を使い、インディアンの大量虐殺にちなんだ名を着けることは、最もたちの悪い人種差別であり、インディアン民族に対する現在進行中のジェノサイドなのです。 シャーリーンや「NSRSM」のヴァーノン・ベルコートらインディアンたちの全国運動によって、数多くのプロ・アマのスポーツチームが「インディアン・マスコット」を廃止している。東ミシガン大学は1991年に、校内チームの「ヒューロンズ」(ワイアンドット族のこと)を、「東ミシガン・イーグルス」に名称変更した。一方で、高まる抗議の中、イリノイ大学はいまだに「イリニウェク酋長」と「戦うイリニ族」の使用を続けている。現在、シャーリーンや「NSRSM」が変更を求める現役のプロ・アマのスポーツチームには、次のようなものがある。 オハイオ州「アンダーソン高校」の「レッドスキンズ」 ジョージア州の「アトランタ・ブレーブス」 オハイオ州の「クリーブランド・インディアンス」、及び「ワフー酋長」 フロリダ州立大学の「セミノールズ」(セミノール族はこのチーム名とマスコットの使用を許可している) ミシガン州の「マルケット・レッドメン」、及び「レッデテス」 アイダホ州サーモン高校の「サベージズ」(野蛮人) ノースダコタ州立大学の「ファイティング・スー」(戦うスー族) ワシントンDCの「ワシントン・レッドスキンズ」 一方、アメリカインディアンから人間性は剥ぎ取られ続けています。彼らは羽根を着け、顔を塗って詠唱し、エンターテインメントとして私たちの歴史を使用して、私たちの将来を担う者たちの自尊心を挫くのです。
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反「インディアン・マスコット」運動
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「スーザン・ショーン・ハルジョ」の記事における「反「インディアン・マスコット」運動」の解説
スーザンはNFLの「ワシントン・レッドスキンズ」に対して、「レッドスキンズ」(赤い肌)のチーム名とチームロゴが「インディアンの文化を卑しめている」として、その廃棄を求めてヴァイン・デロリア・ジュニアやマテオ・ロメロらとともに1992年9月12日に米国特許商標庁で起こした訴訟の7人の原告団の一人としても知られている。 全米フットボール協会は訴訟に対して、憲法修正第1条の「言論の自由」を盾にとった。特許商標庁の審査員は全員インディアンに有利な判決を下したが、最高裁判所はインディアン側敗訴の判決を下した。特許商標庁はなおも、この案件は再検討に値するとスーザンらに同意している。 現在、この訴訟は「Blackhorse et al v. Pro Football」として、インディアンの若者たちが原告団となって引き継がれている、(→Harjo et al v. Pro Football, Inc.、Pro-Football, Inc. v. Harjo) スーザンたちは、オクラホマ大学のインディアン・マスコットの「リトル・レッド」の使用廃止に成功している。ダートマス大学の「インディアンズ」の名も、スーザンらの抗議によって変更されるなど、全米のかなりの数の高校・大学が、「インディアン」に関連する名前やマスコットの使用を廃絶している。1994年の「ロサンゼルスタイムズ」紙のインタビューで、スーザンはこうコメントしている。「こうした名称の変更には、本当に励まされます。それはアメリカが成長し、人種差別に対して光を当て始めた、本当に良い兆しです。」 スーザンのインディアン民族のステレオタイプ像に対するもう一つの取り組みの対象はハリウッド映画であり、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』、『ラスト・オブ・モヒカン』、『シャイアン』といった映画におけるインディアンの描写に関して、「白人中心のプレゼンテーションと制作による、『インディアンらしさ』の押し付けが偏見とステレオタイプを強化していく」として反対意見を述べている。 「インディアンのステレオタイプ」、つまり「高貴な野蛮人」だとか「姫」だとか「スコウ」、「凶暴な戦士」といった、ハリウッド映画におけるインディアン・イメージの固定化は、インディアンが激しく批判抗議する対象である。 スーザンは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』については、「『ダンス・ウィズ・ウルブス』が示したものは、『インディアンの題材はお金を意味する』ということでした」と述べている。一方、テレビドラマの『たどりつけばアラスカ』でのインディアンの描かれ方は褒めている。先述の「ロサンゼルスタイムズ」紙のインタビューで、スーザンはこうコメントしている。 多くの映画での問題は、未だに「心根が良く、容姿の良い白人ばかり出てくる」ということです。もうひとつはインディアンについてです。彼らは我々を描く際にデタラメな言葉を話させます。 私たちは「コーン」ではなく「メイズ」を食べます。私たちは歩きません。スキップするか跳ね回るのです。私たちは「歌」とか「音楽」ではなく、「詠唱」(チャント)します。私たちは教会で礼拝するのではなく、儀式を行います。そのようなすべてが私たちとは程遠く、似ても似つかないものになっていて、どの部分においても私たちに当てはまらないものになっています。
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「ヴァーノン・ベルコート」の記事における「反「インディアン・マスコット」運動」の解説
合衆国では20世紀に入って、プロ・アマのスポーツチームの多くが、インディアン民族をイメージしたチーム名や、動物扱いしたマスコットキャラクターを採用した。これらすべてがインディアンのステレオタイプなイメージに基づき、本来のインディアンの文化とはかけ離れたものである。多くのインディアン団体や個人が、この「インディアン・マスコット」はインディアンの文化を卑しめるものとして、その撤廃と変更をチームと関係者、州に要求してきた。ヴァーノンは、生涯を通じて「インディアン・マスコット」の撤廃運動に力を注いだインディアン運動家の一人である。 1992年、「コロンブス上陸500周年」に当たるこの年に、ヴァーノンは「スポーツとメディアの人種差別に関する全国会議」(NCRSM)を結成し、スーザン・ショーン・ハルジョやシャーリーン・テッタースらインディアン女性運動家と連携し、ナショナル・フットボール・リーグの「ワシントン・レッドスキンズ」や、「カンザスシティ・チーフス」、プロ野球メジャーリーグの「アトランタ・ブレーブス」と「クリーブランド・インディアンス」のオーナーに、その名称の変更とインディアンのマスコットキャラクターの廃止を訴えて激しい抗議運動を行った。 「インディアン・マスコット」を使用している多くのチームの試合では、白人のファンたちが羽根飾りを頭に着け、顔をペイントし、太鼓を叩き、トマホーク型の応援グッズを振り下ろす(「トマホーク・チョップ」という)応援が行われている。インディアン達は、「これらすべてが、インディアンの本来の文化とはかけ離れた侮辱的なものである」として、激しい批判と抗議を行っている。 この年、「ワシントン・レッドスキンズ」対「バッファロー・ビルズ」の「スーパーボウルXXVIゲーム」に合わせ、ヴァーノンら抗議団は球場に集結してデモを行った。ヴァーノンは2,000人以上の群衆を前に演説を行い、「レッドスキンズ」のジャック・ケント・クークオーナー、NFLコミッショナーのポール・タリアブーエを激しく叱責した。ヴァーノンはクークにこう抗議した。 あんたのフットボール・チームの名前は変えなければならない。もう鶏の羽根はたくさんだ。もうペイントした顔もたくさんだ。そんな「チョップ」はもうここで止めるべきなんだ。 この年9月12日、スーザン・ショーン・ハルジョ、ヴァイン・デロリア・ジュニアら7人のインディアン運動家が、「ワシントン・レッドスキンズ」を相手取り、チーム名変更を要求して集団訴訟を決行。ヴァーノンら「NCRSM」も、この法廷闘争に参加する。連邦裁判官は2003年にこの訴えを却下している。 1994年、「インディアンス」の新球場「ジェイコブス・フィールド」完成に合わせ、ヴァーノンたちインディアン抗議者は「インディアンス」の名称変更と「ワフー酋長」の廃止を要求し、「ワフー酋長」のマスコット人形を燃やして抗議した。この廉で、ヴァーノン他4人のインディアンがクリーブランド警察によって「加重放火」の罪で逮捕された。 1997年、「インディアンス」の本拠地球場でのワールドシリーズに合わせ、「ワフー酋長」に対する抗議デモを行い、市警察に逮捕された。この逮捕では初めて告訴が取り下げられ、起訴されなかった。 ヴァーノンは、アメリカの黒人たちの初期の公民権運動の中での妥協派を引き合いに出し、「インディアン・マスコット」を容認するインディアン部族を「(白人の)砦に群がるインディアン」だとして批判している。ワシントン州のスポーカン族が、マイナーリーグベースボールの「スポケーン・インディアンス」のチーム章の「S」のマークに鷲の羽を添えたことで、「インディアンス」のチーム名の存続を認めたことに対し、彼は死の前年の2006年に受けたインタビューで、次のように語っている。 私たちに対する中傷者たちが言うことはいつもこうだ。「我々は、あなたに敬意を表しております。」 だがそれは名誉ではない。私たちは尋ねなければならない。「誰の名誉なのか?」と。 プリマスの岩でのピルグリム・ファーザーズの上陸から始まって、我々のうちのおよそ1600万人が絶滅させられた。ワシントン州すべてのインディアンの村で、少女たちが鉱山町の性奴隷として競売台の上で売られ、少年たちは牧場で奴隷にされたのだ。 ロバート・ウォーリアー(オーセージ族、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校Ph.D)は、「AIM」とヴァーノンの取り組みについて次のように述べている。 私は、インディアンの共同体の多数の人たちが、「反インディアン・マスコット運動が成功している」と見ているとは思いません。「AIM」の行動には…、 間違いがあったし、彼らの行動に対する多数の批判があり、そしてその多くはたしかにそうです。しかし、ヴァーノンと他の「AIM」の主導者たちがやってきたことは、他のインディアンの団体がしてこなかった取り組みでした。…人々の要求に耳を傾け、手を差し伸べようとしたのです。
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